第91話 大罪

「もしかして、俺って親父に……」


 体がガクガクと震える。

 もしかして、親父がこの問題を解決させる為に、俺に幸一さんと同じ名前を付けてこの学園に入れた?

 黒い疑念が次々と湧いて頭の中が混乱する。


「コーくん。それは違うわ」


 自分の存在意義が揺らぎ、震えている俺の肩に手を当てながらお姉さんがそう言ってきた。

 何が違うんだ? お姉さんは裏事情知らなかっただろ?


「なんで違うって分かるんだよ!」


 俺は思わず声を荒げてお姉さんに食って掛かる。

 しかし、お姉さんは優しく俺の言葉を受け止めながら笑った。

 そして俺を優しく抱き締め、そして「大丈夫、落ち着いて」と耳元で囁く。


「簡単な事よ。コーくんの『こーいち』と言う名前を考えたのは美貴さんだもん。光にぃの『光』を取って『光一』、私は私の名前から取って『幸一』を薦めたんだけど却下されたわ。でも、まぁそれならもっとやばかったわね」


 お姉さんは少し体を離して、俺の頬に手を当てて懐かしそうな顔で俺を見ながらそう言って来た。

 当時の俺を思い出しているんだろうか?

 この名前は親父に意図された名前じゃなかった?


「あ~、そう言う事らしい。当事者が居てくれて助かった。私の言葉だけでは信じてくれなかったと思うからね」


 芸人先輩が安堵した顔でそう言った。


「もし、その意図が有ったなら父さんは親友を辞めていたと言っていたよ。『僕は反対したんだけど、嫁とがこの名前にすると聞かなくて仕方無く』と言っていたそうだ。妹ってのは大和田女史の事だね。しかし貴女の案が通らなくて本当に良かった。そして、その時に私の父さんが約束させたのが、『創始者の件を一切息子に話さず、学園にも関わらせない事』だったんだよ」


「え? い、いや、そう言えば、こんな話親父から聞いた事もない」


 と言うか、学生時代の話さえしてくれた事はなかった。

 親父が商店街の救世主なんて話を知った事さえついこの前だ。

 10年ぶりにこの街に帰って来るので、高校を親父の母校にしようかと、何気無く親父に尋ねたら、この学園の名を言ったんだ。

 言った後、珍しく親父が動揺していた気がしたが、その所為だったのか?


「この名前はね、突然美貴さんが言い出したのよ。何でも不思議な夢を見たって言ってね、そこに出てきた素敵な恋人同士の男性の名前が『こーいち』と呼ばれていたって言ってたわ。光にぃが反対してたのは夢に嫉妬したからと思ったんだけど、こう言う事だったのね」


「も、もしかして、それって木の下で出会ったとか言う夢?」


「あら、美貴さんに聞いた事あるの? そうよ、不思議な木の下で出会って、悲しい運命によって引き裂かれ、そして10年ぶりに再会して結ばれた。素敵な夢だったそうよ。その夢を見て『こーいち』にするって決めたと言っていたの」


 なんて事だ……。

 母さんもこの夢を見ていたのか……。

 そして、それを俺も見たのと言うのか?

 じゃあ、二人の夢の果ても見たんだろうか?


「その先は? その二人の行く末は見たの?」


「ううん。そんな夢はそれっきりらしいの。美貴さん自身『続きが見たいわ~』って悔しがってたわね」


 そうなのか、その先を見たのは俺だけなのか……。

 どう言う事なんだ?


「ふむふむ、興味深い話だけど、今は本題に戻ろうか。先程言った通り、本来なら君はこの学園に来る事は無かった筈だ。君のお父さんもこの学園に入れるつもりは無かった。だって、自分が似ている容姿で学園の権力者を怒らせたんだ、更に似ている容姿に同音の名前だよ? 少なくとも美都勢さんが存命している限りは、君を入学させるのを良しとしなかっただろう」


 なら、なんで俺はこの学園に居るんだ?

 親父は俺がここに決めた時なんて言ってた?


「君のお父さんは君がこの学園に来る事を反対しなかったかい? それに何か諦めさせようとしなかったかい?」


「親父が……?」


 そう言えば、俺がここにすると言った時、何か慌ててた気がするな。

 それに『ここは偏差値高いよ』とか『駅前の公立の方が通いやすいよ』とか言って来た。

 偏差値がどうこうと言う言葉に、カチンと来た俺は『絶対受かってやる』って宣言したんだった。

 あの時、親父が零した『しまった』と言う言葉は、俺をバカにするような発言をした事を悔いた言葉かと思ったいたけど、その言葉でやる気を出させた事を悔いたって事だったのか。


 それに思い起こすと、試験当日もそうだ。

 あの親父が区画整理で道が変わったからと言って、麓から見えている学園までの道に迷うって言う事が有り得ない。

 本来なら石橋を叩き割って、もっと安全な道を選ぶ位、どんな事でも事前準備を怠らないような性格だ。

 あんな前日の深夜から車で直接現場入りするなんて言う無謀な真似は、後にも先にもこれが初めてだった。

 あの頃は普段はどこか抜けている呑気な性格と思っていたが、今では違う。

 伝説なんて呼ばれている人間がそんなへまはしないだろう。

 何とか間に合ったのも、俺が『そっちの道じゃないか?』と口を出したからだ。

 その時の俺は開始時間に焦っていて、親父のおかしい言動にまで気が回らなかった。

 試験に関しても、諦め半分で肩の力が抜けて、逆にそれで冷静になれたんだ。

 そして無事に合格した、だから今では笑い話となって気にしていなかった。


「そう言えば、俺は成績的に難しいと言って止める親父に反発してこの学園を選びました。それに試験当日も道に迷い、試験に遅れそうになったりと、思い起こせば他にも小さい妨害工作は有った気がします」


 受験生に対して、急にキャンプに行こうだの遊園地に行こうだの色々誘って来ていた。

 全部高校に合格して、この街に戻って来てからと言って断っていた。

 まぁ、その約束は親父がブラジルに行った為、果たされていないんだけど。


「だろうね。君のお父さんもわざと遅刻させて、まともな精神状態じゃないからこれで大丈夫だと思った。本当に彼に有るまじきミスだね。実は合格発表後に君のお父さんから電話が掛かって来たそうだよ。『すみません。止めようとしたけど無理でした。出来れば、生徒会に近付かない様に見守って下さい』ってね。そう言えば、春休みに父さんが家訓について何か言って来たが、二度と係わる気も無かったから『知らん』と言って突っぱねたんだよ。多分この事だったんだな。ハハハハハ」


 ハハハハハって……。

 もしかして、この人が最初から動いていたら俺はこの場に居なかったし、美佐都さんや橙子さんも、こんな目に合わずに生徒会役員として、この半年を普通に暮らせてたんじゃないだろうか?

 いや、それは結果論だ。

 そもそも、美佐都さんとの出会いから、有り得ないほどの偶然の連続だったんだ。

 俺でさえ運命を信じてしまうぐらい。


「ここで君のお父さんはまたミスをした。君を侮っていたのかもしれない。入学したとしても、私の家がアプローチしなければ何も起こらないとね。でも、君はそんな思惑を飛び越えて美佐都を、いやその時には既に橙子をも変えてしまっていたらしいね。それに気付いた美都乃さんは単独で生徒会に入れると言う強硬手段に出たんだよ」


 親父が俺を侮っていた?

 だから、この学園に入学する事を許可したのか。

 いや、今の状況が俺自身信じられないんだから仕方が無い。

 こうなるなんて誰も想像出来なかった。


「ただね、本当にすまない。これは我が家の怠慢さ。美都乃さんは知らなかったんだよ。君が幸一さんと同音異字名で外見まで瓜二つと言う君のお父さん以上の爆弾だったって事を。まぁ普通二代前の人の嫁ぎ前の苗字なんて知らないし、綺麗な写真も残っていないんだ。それにそれらは美都乃さんの目的にとって重要な情報でもなかったからね。知らなくても仕方無い。元々孫である美都乃さんには余計な情報を入れない様にと、我が家の事情と共に伏せていた。それが裏目に出てしまったんだよ」


 芸人先輩の家の怠慢……、いや違う。

 そうだ、橙子さんも言っていたじゃないか。

 本当は俺を目立たせない様に計画していたって。

 芸人先輩は関係無い、俺が悪いんじゃないか。

 俺が入学式に学園内をウロウロと歩き回らなければ、演説や、理事長に対して啖呵を切らなければ、御陵家の皆は今まで通りに暮らせていたんじゃないか?


 俺は答えの出ない自問自答の連鎖に囚われる。

 どうしたらよかったんだ?


 ……そうか、この学園に俺が来なかったら良かったのか……?


「この学園に来なければ良かった」


 俺の思いに被せる様に、突如そんな声が部屋に響いた。


「!!」


 俺は慌ててその人物の方に振り向く。

 その言葉を発したのは千歳さんだった。

 千歳さんは今まで見た事無い冷酷な顔をしている。

 その眼差しは背筋が凍る様だ。

 俺はその言葉に胸が締め付けられる。


 その通りだ。


「「「ママ酷い!」」」


「そんな! こーちゃんが可哀そう!」


「先輩と言えども、コーくんに対してその暴言は見過ごせないよ!」


 次々に俺を擁護する声が上がった。

 皆が俺を庇ってくれているが、千歳さんの言葉は正論だ。


「あなた達、少し黙りなさい。大切な話なの」


 何者をも寄せ付けない静かな圧力で皆を黙らせた。

 お姉さんでさえ息を飲んで黙った。


「あなたがこの学園に来なければ、少なくとも現状より悪くなる事は無かった」


 そうだ、そうだよ。

 俺がこの学園に来ようと思わなければ良かったんだ。

 親父は止めようとしていた。

 実際に受かると思ってなかった節も有った。

 今までそれなりの成績だったけど、飛び抜けて優秀だったわけでもない。

 この学園に入るには内申点だってギリギリだったし、模試でもC判定だった。

 それに、こうなる事を予測して止めようとしてくれていた親父の言葉を、俺を馬鹿にしていると勘違いして、意固地になって試験を受けたんだ。

 結果受かってこの学園に来た。


「と、あなたは今思っているでしょう?」


「え?」


 先程と打って変わって優しい声で千歳さんはそう言って来た。

 顔を上げると千歳さんは笑っていた。

 周りも突然の変わり様に唖然としている。


「私も光善寺先輩にその事は聞いていたのよ。確かにあなたは創始者の旦那さんと瓜二つ、そして同じ名前と言う創始者にとってタブーと言って良い程の爆弾よ。あなたがこの学園に来なかったら、今まで通りの日常が続いていた事でしょう」


 俺が先程自問自答していた内容そのままだ。

 言葉は相変わらず辛辣だけど、声はそのまま優しく俺に語り掛けてくる。

 千歳さんは何を俺に言いたいのだろうか?


「でも、そこには誰の幸せも無かったのよ」


「え? 幸せ……?」


「そう。あなたが居なかったら美佐都ちゃんは心を閉ざしたままだったし、橙子ちゃんも心の傷を引き摺ったままいつか壊れていたかもしれない。それに娘の千花もね。あなたが入学してくれたから救われたのよ。あなたに人を変える力が有ると思ったから美都乃さんはあなたを創始者と対決、いや囚われた心を救済しようと思い立った」


 優しい目で俺にそう言ってくれる千歳さん。

 だけど……。


「でも、俺が目立ち過ぎた所為で全てが……」


 俺が見立ち過ぎた所為で、美都勢さんを怒らせてしまい、皆の想いを踏みにじる結果となってしまったんだ。


「そうだね。君は目立ち過ぎた。そろそろ私がここに来た本当の理由について語ろうか。実は美都乃さんの使者と言う役目以外にも理由が有ったんだよ。察しの通り光善寺家としての目的でね、そして、この事は千林 千歳さんも知らない事さ」


「本当の理由?」


「あぁ、美都乃さんはね、君が幸一さんと瓜二つと言う事も名前が異口同音と言う事も知らなかったから、ただ単に君が説得に来たら、周りを変える力で説得出来るだろうと高を括っていたんだよ」


 高を括っていた?

 

「いや、それ自体は問題無い。実際のところね、正直に言うと、木曜日までの君の行動くらいでは、美都勢さんはここまで動こうとは思わなかっただろう。君が瓜二つと言う事は創始者はしね。この写真を見て貰えるかい」


 芸人先輩そう言いながら、別の写真を取り出して見せて来た。


「な! なにこれ!」

「ひ、酷い。これこーちゃん?」

「写真写り悪いなんてもんと違うで?」

「あぁいいね、いいね、こう言う顔もゾクゾクするよ」


 皆が口々にその写真に対して悪口を言って笑い出す。

 あぁ写真と言う事で、萱島先パイも復活しましたか。

 先程の幸一さんの写真と違って、これは初見みたいなんで興味が湧いて来たんですね。

 しかし恍惚として腰をモジモジしている姿を見ると、ちょっと引いてしまいます。


 まぁ、みんなが言うように、この写真は確かに酷い。

 別に面白写真ではないし、写っているの俺なんだけど。

 それは半目で口を上げながら少し上向きな感じの俺の写真だ。

 これは入学願書用に証明写真BOXで撮った写真だ。

 いや実際はこれを添付して出さなかったんだけど。

 丁度シャッターが下りる瞬間にくしゃみが出てこんな顔になってしまった。

 初めて使ったんで操作方法が分からず、キャンセルしようと焦ってボタン連打したらそのままプリントしてしまった奴だ。

 親父と母さんはこれを見て爆笑してたっけ。


「いや、なんでその写真を持っているんですか? 引っ越す時に捨てたと思っていたのに」


 いつの間にか見当たらなくなってたんで、てっきり母さんが捨てたと思っていた。


「君のお父さんから頂いたんだ。そして、これを美都勢さんへの君に関する報告書に貼付した。だから美都勢さんは君はそんな顔だと思っていた。名前の方も一応漢字が違うからね。お父さんの『光』を使っているんで、口で読み上げない限りそこまで気にならなかっただろう」


  なるほど、これなら俺が幸一さんと瓜二つと言う事に気付かないだろう。

 名前もお姉さんの案が通らなくて本当に良かった。


「じゃあ、一体どうして美都勢さんは急にこんな手段に?」


 その言葉に芸人先輩から全ての感情が消え能面の様な顔になった。

 その様に皆が驚き、俺の情けない写真を見て少し和やかになった空気も一変する。


「君はタブー……いや罪を犯した」


 静かに芸人先輩はそう言った。

 罪を犯した・・・・・?

 俺の存在がタブーと言う事じゃなかったのか?

 そうじゃなくて『罪を犯した』とはどういう事なんだ?


「それは一体? どう言う……?」


 俺が恐る恐る聞くと芸人先輩は顔を伏せた。

 暫しの沈黙後、ふぅと息を吐く。


「君のお父さんが過去に怒らした? 君が幸一さんに似てる? 遺言の写真を変えようとしてる? 孫に近付いた? 正直そんなタブーなんて、君が犯した罪に取ったら些細な事なんだよ。さっきも言った通り、それが無ければ美都勢さんは動かなかったし、会報も完成させ、恐らく君は美都勢さんの説得にも成功して、皆救われるハッピーエンドを迎えていたと思う」


 俺が何かしたのか? 何をした?

 さっき芸人先輩は『』と言っていた。

 と言う事は、金曜日に何かしたのか?


 金曜日にした事?


 生徒会会報を完成させた? いやこれは違うようだ。

 ドキ先輩が感じた不審者を見逃した?

 それとも印刷所が怪しい事に気付かなかった?


  いやこれは俺がしたと言う罪の所為で起こった事だろう。

 他に何をした?


 …………。


 あっ!!


 俺の脳裏に美都勢さんの太陽の様な笑顔が浮かんだ。

 そう、夢の中で幸一さんが言った言葉……。


『好きですね。それにきらきら輝く木漏れ日を見上げながら、この木陰の下で寝転んだら最高でしょうね』


 金曜日、俺も全く同じ言葉を言った。

 そしてそれを嬉しそうに聞いていたお婆さん……。

 そんな……、あの人はまさか本当に? 美都勢さん?


「気が付いたようだね。君が犯した罪について。いや罪と言う言葉さえ軽いだろう。美都勢さんに取ったら許し難い大罪だろうね」

 

 俺は頷いた。

 そうだ、これはダメだ。


「どう言う事なの? コーくん?」


「何が有ったの?」

 

 事情の知らない皆は口々に俺と芸人先輩に事情を聞いてくる。

 千歳さんも自分の与り知らぬ話に狼狽えていた。


「牧野くんはね、どうやら事も有ろうに美都勢さんと幸一さんとの二人だけの秘密。我が家にも伝わっていなかった、二人の大切な出会いの場面を、美都勢さんに対して演じてしまったんだよ」


 そう、それが俺の犯した大罪だ。

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