第67話 いい事

「本当に牧野くんは……」


 美佐都さんはため息交じりにそう呟いた。


「どうしました?」


 俺がもう一度聞き返したが、更に疲れた顔をする美佐都さん。

 一体どうしたと言うのだろう?


「……まぁ良いわ。橙子がそうなったのは私の所為みたいだしね。……あれは私が小さい頃の事だわ。ある日私は玄関の門の前で一人で遊んでいると、少し離れた所からおじいさんがこちらを見つめているのに気付いたの。私はてっきり家へのお客さんだと思って声をかけた。するとひどく動揺しだして、今思えば不審者として声を上げたらいいんだけど、当時はそんな事も思いつかなくて、そのおじいさんの手を引いて、家に案内しようと近付いたの」


 おじいさん? 声を掛けたら動揺したって、それ完全に不審者じゃないか。

 まさか誘拐されたとか言うんじゃないだろうな?


「そして、おじいさんの手を掴んだ時、凄く複雑な顔をしていたのがとても印象に残ってる。良く分からない私はそのまま手を引っ張ろうとしたら、思いっ切り手を払い私を睨みつけて来たの。私は突然の事に恐怖で体が固まりおじいさんをただ見つめる事しか出来なかった。そして……、私に……、『お前は誰からも望まれず生まれて来た悪魔の血を引く娘だ!』と言ってきた……」


 最後の方は言うのが辛いのか途切れ途切れに事情を話す。

 その凄惨な内容に俺だけじゃなく、皆まで一緒に言葉を失った。

 何者なんだ? そんな酷い事を幼い美佐都さんに言った奴はっ!


 どっちが悪魔なんだよ!


 美佐都さんが知らない人間で、事情を知っている者と言う事は河内森家側の人間だろう。

 一方的に押し付けてきた制約を守っていのるか監視でもしに来たのだろうか?

 だとしても、幼い女の子にそんな事を言っていい訳ないだろう!

 俺は怒りに打ち震える。


「その後も何か色々と言って来たのだけど、あまりのショックで良く覚えてないわ。そのおじいさんは一通り私に言い終えると慌てて逃げて行った。最後に私を見た時の表情は酷く後悔していたように見えたけどその意味は分からない。そして私は怖くなってお母さんの所に逃げていったの。その時よ、橙子とすれ違ったのは」


 そう言って美佐都さんは橙子さんを見て頷いた。

 なるほど、恐怖に頭が真っ白になって周りの声が聞こえていなかったのか。

 本当に良かったですね、橙子さん。

 俺は嬉しくなってもう一度橙子さんを抱く手に力を入れた。

 その行為に、またもや場の空気が固まった気がしたが、気の所為だろう。


「……む~。まぁいいわ、話を続けます。そしてお母さんに報告したら、血相を変えて誰かに家の周りを警戒する様に連絡してたのよ。その後お母さんは気にしなくて良いと言ってくれたけど真相は何も言ってくれなかった。その時に気付いたの、お母さんもそうだけど、誰も私のお父さんの事を喋らないと言う事に。お母さんに何度聞いてもすぐにはぐらかす。私の頭の中にはそのおじいさんが言った『望まれない子、悪魔の子、要らない子』と言う言葉が広がりとても辛かったのを覚えているわ。そしてそんな私は、辛いなら他の人の事なんて気にせず生きればいいと、自分に言い聞かせて今まで生きて来たのよ」


 これが美佐都さんが誰に対しても無感情になった真相なのか。


「美佐都~! ごめんなさい~!」


 学園長が、今の話を聞いて美佐都さんに泣きながら抱き付いた。


「いいのよ、お母さん。仕方無かったんだから。あっ、顔を服にこすりつけないで、鼻水がついちゃう!」


 相変わらず、この人色々と擦り付ける人だな……。

 仕方の無かった事とは言え、やっぱり学園長って不器用だよな。

 もう少しうまくフォローしていたらこう言う事態にならなかったのに。

 とは言え、こうなったのは、美佐都さんに酷い事を言ったジジイの所為だ。

 その後、創始者と美都乃さんのお陰である程度回復したが、生徒会の件で再び、いや前にもまして心を閉ざし鉄面皮とまで呼ばれるようになってしまったんだ。


「その後も、何度かそのおじいさんが私の前に現れたわ。一人の時を狙ってね。その時は何か私に対して罵る感じでは無かったようだけど、その頃の私の心にはもう何も響かなかったし、何の感情も湧いて来なかった。そして、私が『二度と私の前に現れないでください』と言ったら、それ以降は現れなくなったの。おそらく彼はお父さんの家の人だったのね。これでやっと全てが繋がったわ」


 美佐都さんは言い終えるとホッと息を吐いてこちらに向き直る。

 その表情は何故かスッキリとしていた。


「ふぅ~、何故かしら? 喋ったら今まで締め付けられている様に感じてた、心の奥のモヤ~とした気分が晴れて来たわ。まだ色々と実感出来ていない事も有るけど、皆が居るから多分大丈夫。これが心の重しをみんなで分け合うと軽くなるって事かしらね。牧野くん?」


 俺を見てにっこりと笑う美佐都さん。

 皆が居れば、もう大丈夫と言った決意を込めた力強さを感じる。

 しかし、その目線は何かに気付いたらしく一点を凝視しだした。

 にっこり笑う顔のまま明らかに怒気を孕む雰囲気を醸し出していく。


「牧野くん? そろそろ離れてもいいんじゃないかしら? なんだか二人を見ていると、心の奥のモヤ~が再燃しそうなんだけども?」


 美佐都さんはとてもイライラした声で俺にそう言ってきた。

 顔もだんだんとピキピキと怒りの感情が現れてきて、俺はその迫力に背筋が凍る。

 よく見ると周りの皆も美佐都さんと同じ所を、これまた同じ様な顔をして凝視していた。


 そろそろ離れる? 二人? 何の事だろう?

 おや? そう言えば何やら右手に違和感が?

 とても暖かくて柔らかい物が俺の右腕に納まっている。

 それにとてもいい匂いも先程からするし、なんだろう?

 この感触と匂いは最近どこかで……?

 俺は目線を下げた。


「あっ」


 俺の目の前に顔を真っ赤にして口をパクパクさせているがいた。

 あ~忘れていたよ……、そう言えばさっき嬉しさのあまり、俺にすがり付いて泣いていた乙女先輩を支える為に片手で抱き締めてたんだった。

 の衝撃の告白のせいで頭に血が上って、またもや軽い暴走状態だったようだ。

 頭が冷めてくると共に急激に恥かしさが込み上げて来る。


「わ、わ、わ、わ、わ! すみません藤森先輩!」


 俺は慌ててから離れる。


「い、いえ、いいのよ。牧野くん……」


「で、でも、そんな……」


 恥ずかしさで俺と乙女先輩のモジモジ合戦が始まった。


「そこ~! イチャイチャしな~い!」


 俺が乙女先輩とモジモジし合っていると、が痺れを切らして、そう言いながら俺と乙女先輩の間に割り込んできた。


「牧野くん! そう言えば帰ってきたら言いたい事が有ったのよ!」


 そう言って頬を膨らませて、俺の前に仁王立ちで俺を見下ろして来た。

 俺とギャプ娘先輩の身長差は10cmも無いのにもかかわらず、その迫力によってまるで数mは有るかのように感じて俺はその恐怖で後ずさる。


「な、何でしょうか? 生徒会長?」


 俺が"会長"と言った途端、眉毛をぴくっと動かした。


「そう! まず、それよ! さっきは"美佐都さん"って名前で呼んでくれていたのに、なんで生徒会長に戻ってるの? それに私だけ役職名だけじゃない! 他の人は苗字に先輩呼びだし。千林さん達なんか下の名前呼びよ? 何か私だけ距離感じるんですけど!」


 そう言ってギャプ娘先輩は俺にプンプン顔を近付けてくる。

 顔が近いなぁ……、それに目が怖いです。

 う~ん、今まで呼び方を気にしていなかったよ。

 俺の中ではあなたはギャプ娘先輩だし、名前で呼ぶ時は、頭に血が上っていて暴走している時だしね。


「いや距離なんて、そんな事ないですよ? 皆同じくらい大切な先輩達ですし、それに名前で呼ぶ時は頭に血が上って無意識なんで……、そう言う時って、なんか生意気な事ばかり言っているようですみません」


 ギャプ娘先輩が怒っている意味が良く分からないので、取りあえず謝っておこう。


「それじゃあ、これから私の事は美佐都って呼ぶ事! いい? まぁ外では役職呼びでも仕方無いけど」


 え? 素面で先輩に対して下の名前を呼び捨ては、ちょっと抵抗感が……。


「御陵会長ではダメですか?」


「美・佐・都!」


「はい、美佐都会長……」


「う~、呼び捨てで良いのに……。まぁ今はそれでいいわ」


 なんとか納得してくれたけど、名前の呼び方ってそんなに気になるかなぁ?

 まぁ、これで機嫌を直してくれるならいいか……。


 俺がギャプ娘先輩からの圧力に解放された事を安堵していると、どうやらそれで終わりでは無かったようだ。

 またもや顔をググッと近付けてくるギャプ娘先輩。

 この人こんなキャラだったっけ?

 それに目がちょっとイっちゃってる感じがするんだけど?

 もしかして、これって昼の時と同じで、解放された感情の制御が効かずに暴走しちゃってるって奴なんじゃないか?


 これヤバイぞ?


「美佐都会長? 落ち着いてください。もうちょっと冷静に……」


「私は凄く冷静です!」


 いや、その瞳孔開き気味の目は冷静じゃないですよ?


「そんな事よりもう一つ! 牧野くん、女性とベタベタし過ぎ! 千林さん達は見た目がアレなんで一見微笑ましく見えるけど、一応牧野君より年上なのよ? それに今日はお母さんと抱き合ってたし! それも二度も!」


 一度目を知らない皆はその言葉に騒めき出した。


「誤解ですよ! それにあれは抱き合ったんじゃありません! 抱き付かれたんですよ! あっ、そこ! 頬を染めて恥じらわない!」


 学園長が染めた頬に両手を当てて恥じらう乙女みたいなポーズを取っている。

 これ絶対悪ふざけだわ。

 だって目は悪戯っ子みたいにニヤニヤ笑ってるし。

 この人さっきので性格が元に戻ったかと思ったけど、全然変わってないな。


 やっぱり素なんだろ? その性格!


「じゃあ、橙子の事はどうなの? 廊下で抱き締めたって言うし、さっきもずっと慣れた手つきで片手に抱いてたし」


 う……そう来たか。

 と言うか、廊下の件って乙女先輩そんな事まで喋っちゃったの?

 あっ! 桃やん先輩がてへぺろしながら謝っている!

 あんたが喋ったのか! 本当にどいつもこいつも。


「そ……それは、傷付いた彼女を慰めるために仕方無かったと言うか……」


 そうしないと乙女先輩が壊れてしまいそうだったし……。

 まだその二件にはちゃんとした理由が有ったけど、萱島先パイのマシュマロ体験とドキ先輩のほっぺにチューの件は門外不出にしないとな。

 千林姉弟のダッコとかは、もう避け様の無い天災みたいなモノだからこの際置いておこう。


「……うっ、そう言われると、私も責任を感じちゃうわね」


 おっ? どうやら正気に戻ってきたみたいだ。

 少しうつむいてバツが悪そうな顔をしている。

 乙女先輩の変わり様に驚いていたし、その原因の一端はギャプ娘先輩でも有るのだから、さすがに責任を感じて冷静になったのかな?


「フフ、フフフフフ……」


 あ、あれ? なんか笑い出したぞ?

 この笑い方凄く怖い!


「そうだわ! いい事考えた! じゃあこうしましょう!」


 俺の思惑とは異なり急に顔を上げて、それはとても素晴らしい満面の笑みで俺を見てくる。

 但し、その目だけは瞳孔が完全オープンで暴走色が更に強くなっており、とても正常な思考を出来そうに思えない。

 もう嫌な予感しかしないな。

 今のギャプ娘先輩が導き出した『』は絶対『』じゃないのは 火を見るよりも明らかだ。


 俺は死刑執行に脅える死刑囚のような気持ちで、暴走状態のギャプ娘先輩が考えたと言う、その『』が一体なんなのか思わず固唾を呑んだ。

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