子羊の如く去る

「さて、疑問は出尽くしたかな?」

 葵さんは腕を組み、俺たちの顔を一つひとつにら……見回した。

「最後に一つだけ」

 俺には聞いておきたいことがあった。

「何かな?」

「入間には、何て……?」

「その子は俺が女だと教えただけで倒れてしまったからな」

「じゃあ何か伝言はありませんか?」

「うむ、そうだな。悪いが君の気持ちには答えられない、と伝えておいてくれ」

 まあ、そうだよな。

「こんななりでも俺には心に決めた人がいるんだ」

「そう、ですか」

 葵さんが心に決めた人とは一体どんな人なのだろうか。そもそも男なのか、女なのか。でもきっと芯の強い人なのだろうということはなんとなく感じるな。

「あぁ。だから、申し訳無いがそう伝えてくれ」

「……わかりました」

「うむ。では俺はもう帰ることにしよう。三人とも、不束ふつつかな弟だがこれからも銀をよろしく頼む」

 葵さんはそう言って、ポニーテールを揺らしながら桜吹雪の中を帰っていった。



「なんか、俺の中の瞬間最大風速を更新したぜ」

 そしてそれは、おそらく今後一生更新されることは無いだろうという確信も俺の中にはある。

「すんごい人だったね。千春ちゃんが勘違いしたのも頷けるっていうかさ」

「えぇ。でも、おもしろい人だったわ」

 おもしろい、のか……? 銀は気苦労が絶えなさそうだけさどな。

「皆、あまりそう言ってくれるな。あれでも俺にとっては姉であり、師なんだ」

 なるほど。二人は葵さん優位の支配関係にあるように見えて、そのじつしっかりとした信頼関係が成り立っているんだな。それは今日初めて不知火姉弟を見ただけの俺たちがとやかく言えるような関係じゃないのだ。

「んぅ……」

 不意にうめくような声が聞こえてきて振り返ると、入間が起き上がっているところだった。

「よう、お目覚めかい、お姫様?」

 俺は目覚める前に王子様に帰られてしまった姫君に笑いかけた。

「ん? お姫様……? はっ、あれ? あの人は?」

 葵さんと会っていたことを思い出した様子の入間は、辺りをキョロキョロと見回して葵さんの姿を探している。

「葵さんは帰ったよ。残念だけど入間の気持ちには答えられないってさ。心に決めた人がいるんだとよ」

「……そっか。しょうがないね」

 入間はそう言って力なく笑った。それは悲しげで、しかしどこかすっきりとしたようにも見えた。舞い散る桜は、香子に言われた通りに自分の気持ちにしんに向き合った入間を、たたえているようだった。



 その後はしょうしんの入間をなぐさめてやろうとみんなで花見を楽しんだ。

 銀と俺は一度買い出しに走ってお茶や団子を追加した。俺たち二人は桜を眺めて話にも花を咲かせたが、女性陣三人は花より団子を食べることに忙しくなっていた。醤油の団子とヨモギあんこの団子を交互にパクパクパクパク。よくもまああんなに食べられるもんだ。千円分も買ってきたはずの団子は俺と銀が一本ずつしか食べていないのに、あっという間に無くなった。

 そうして過ごしているうちに日も傾き、さすがに肌寒くなってきたので花見は終わりにし、歩美の提案に乗ってカラオケにやってきて、みんなで大声を出して騒いだ。

 銀と歩美は九十点台を連発して、特に歩美は抑揚とビブラートで加点をつけることで平均して九十点台後半を叩き出していた。俺と香子は八十点台くらいでまあ普通くらいだ。残念ながらとくひつすべき点は何も無い。入間は……うん、まあ、ね。いや、でも本人が楽しそうにしていたからそれで充分だろう。



 楽しい時間はあっという間に流れていき、十九時を過ぎた頃俺たちは解散することになった。

「みなさん、今日はありがとうございました。特に香子さんと土橋くんはずっと一緒に探してくれて心強かったです」

 入間は深々とお辞儀をして言った。

「ははっ、くたびれ儲けだったけどな」

「えぇ。桂介が理学部生って言ったのに結局理学部生じゃなかったし、男だと思ったら女だったしね」

「あんなイレギュラーは推理しようがねぇだろ」

 俺と香子のやりとりを見て三人がクスクス笑っているのが見えた。

「二人ともそこまでだ」

「そうそう。ちゃんと相談者をお見送りしないとね〜」

 やれやれ……。香子のせいで銀と歩美に怒られたじゃないか。まあしかし、これにて一件落着ということで、

「じゃあな、入間」と俺。

「元気でな」と銀。

「またね〜」と歩美。

「部室棟の同じ階に部室があるんだから、たまには顔を見せなさい?」と香子。

 学生相談所のメンバーが口々に別れの言葉を述べると、

「はい! また!」

 入間は短く、でも力強く答えて去っていった。

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