1-5過ぎ去った嵐
香子が帰った後も、俺はしばらく席に残り呆然としていた。たった数十分の出来事だったがえらく濃密な時間を過ごした。
なんか、嵐が過ぎ去ったみたいだな。
友人から借りた本を返そうとしていたら、いきなり連続窃盗犯に間違えられ、逆に連続窃盗犯を捕まえる側に引き込まれる。こんな経験たぶん、いや絶対に他の人間は体験することはないだろう。
まさか、俺の身に起きるとはな。こんなおもしろいことが……。
ぐ〜っ。
唐突に、俺の腹の音が鳴った。
さっきまでリュックサックを枕にして寝ていたはずの隣のテーブルの女子大生がいつの間にか起きていて、俺の腹の音に気づいてしまいこちらをチラッと見たのがわかった。若干口元が緩んでいるのを見ると、心の中で俺を小馬鹿にして笑っているのだろう。
は、恥ずかしい……。
俺ももう帰ろう。
俺は荷物を手に持って、そそくさと逃げるように学生ラウンジを後にした。
「うわ、さんむいな……」
身を刺すような寒さにさらされ、俺は身を縮めた。空も暗くなり始めている。そのうち完全に日が暮れるのだろう。まあ、空は雲に覆われているから日が暮れるも何もあったもんじゃないがな。
さっさと帰ろう……。
俺は正門を目指して歩き始めた。
多くの学生は山手線の目白駅が目と鼻の先にある西門から帰るが、俺は地下鉄副都心線の雑司が谷駅の方にある学生マンションで一人暮らしをしているから、そちらに近い正門から帰ることにしている。この大学は建物間の距離は短いが、建物から門までの距離はやけに長い。学生ラウンジのある西三号館から正門までは普通に歩いて十分程かかる。その途中には文学部棟と呼ばれる北二号館や、アメリカンフットボールのコートも備えるグラウンドがある。さらに、ちょっとした雑木林のようになっている場所もあり、そこをレンガで舗装された道に沿って進むと大学図書館がある。
大学図書館がある、で俺は思い出してしまった。
見城に借りた本、結局返してねぇじゃねぇか……。
戻ろうかな。でも寒いから早く帰りてぇ。いや、戻ろう。こういうのは後回しにすればするほど自分自身のストレスになるからな。
俺は方向転換し、部室棟へ向かった。
部室棟に入り文芸部のポストを探す。
さっきは香子の邪魔が入って結局見つけられなかったからな。また端からしらみ潰しに見ていくか。
半分が過ぎた頃、後ろから二人分の女子学生たちの声が聞こえてきた。
「ねぇ、やっぱり鍵は私が持って帰ったほうがいいのかな?」
「あぁ〜、盗難が流行ってるから?」
「うん」
「結構やられてるみたいだよね〜。この前も警察の鑑識の人がうろついてたしね〜。ウチがみんなに連絡しとくから、ミホ持って帰りなよ」
話の内容から察するに、部室の戸締りを終えて帰宅するところなのだろう。鍵は持って帰るべきだ。さっきの香子の話じゃ犯人は鍵を使って入ってるみたいだからな。こんな投入口から手が入りそうなポストに入れただけで、鍵を管理している気になっちゃダメだ。
二人の女子学生たちは、おそらくミホという名前なのであろう女子学生が鍵を持って帰ることで合意したようで、俺はひとまず安心した。まあ、もうすでに合鍵を作られた後だったら、持って帰ろうが置いて帰ろうが犯人からすればどっちでもいいことだろうけどな。
それはそれとして、だ。
「文芸部のポスト、どこだよ……」
こんだけ探してるのにないってどういうことだよ。もういいや、諦めて見城に聞こう……。
俺がスマホを取り出して見城に連絡を取ろうとすると、逆に見城からメッセージが届いていた。時間はついさっき。俺が寒さに震えながら正門までの道から戻っている頃だ。何の用だ……?
アプリを起動し、見城からのメッセージを読む。
『文芸部のポストは右端の列の、上から三番目だぞ。名前消えちゃっててわかりづらいけど、間違えるなよ』
え……? 右端の列、上から三番目。おぉ、これか。確かに名前が消えている。……ってそれ、もっと早く言えよ! なんだ名前消えてるって! 見つかるわけねぇだろうが!
俺の心の叫びは当然誰に届くこともなく自分で飲み込んだ。俺は本をそのポストに投函し、今度こそ本当に帰ることにした。
はぁ……。見城のせいでかなりの時間を浪費した気がする。
まあいい、過ぎたことをあまりどうこう言ってもしょうがないからな。そんなことより気分を切り替えて今夜はすき焼きだ。試験を乗り越えた自分へのご褒美としてすき焼きにしようとか考えていたが、明日から始まる犯人探しに備えて士気を上げるためにもすき焼きにするしかない。何より久しぶりに牛肉が食べたい。
俺は久しぶりの牛肉への期待で歩みを速めた。そして寒空の下、ちょっと遠回りをして肉の専門店へ行き、
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