第一章

1-1最悪の出会い

「えぇっ⁉︎ いやいやいやいや! 違う違う違う違う!」

 俺は慌てて否定した。しかし、あまりにも慌てふためく俺の様子は、おそらく誰から見ても怪しい人間の反応だったであろう。

「その否定の仕方は怪しいわね。何をしようとしていたのか、白状しなさい!」

 美少女が俺に詰め寄る。

「いや、だから、けんじょうっていう高校からの付き合いの友達に借りた本を返そうとしてただけだって。ほらこれ。これを文芸部のポストに投函しようとしてたんだよ」

 俺は手に提げたビニール袋を突き出すと、美少女はそれを掠め取って中身をあらためた。その中には友人から借りた本が入っている。別に怪しい本ではない。数年前に流行ったが、俺自身は結局読むには至らなかった小説だ。

「あら、私この本読んだことあるわ。返そうとしてたということは、この本は読み終わったのよね? なら、どんな内容だったか話してみなさい。それができたらあなたの話は信用してあげるわ」

 なんだと。ていうかこいつ、何様のつもりなんだ。いきなり出てきて人を窃盗犯扱いしやがって。

「できないのかしら? ならやっぱり口からでまかせを言ってるとしか思えないわね」

 こ、この野郎……。

「はぁ……、わかったよ。その本は小説が書けなくなった小説家の話だ。ネタが思いつかない小説家が各章ごとに散歩に出たり、釣りに行ったりしていろんな人と出会って、ちょっとした出来事が起こる。それを小説のネタにしようとするんだが、やっぱりうまくいかないんだ。どうしたもんかと悩んだ末、小説を書けなくなってしまった小説家ってのを描いた小説を書くことにしたってオチだ。これで満足か?」

「ふむ、合ってるわね。いいわ、あなたを信用してあげる」

 え、エラソーにしやがって……。

「っていうかあんたはそもそも何者なんだよ。どこからともなく現れて人をコソドロ扱いしてくれやがって。俺からすりゃ、あんたの方がよっぽど怪しいわ」

 俺は友人の本とビニール袋を奪い返して逆に問い詰めてみた。女は意外にもあっさり素性を明らかにした。

「あんたって呼ぶのはやめなさい。私はかざおかきょう。文学部日本語日本文学科の一年生よ。学科の友達が所属する女子ラクロス部が盗難の被害にあって、その友達から相談を受けて犯人探しをしているのよ」

 なるほど。ご苦労なこった。しかし、

「風岡さん、ね。友達想いなのはいいことだと思うけど、いきなり怪しいと思った人間に詰め寄るのはやめたほうがいいんじゃないかね……。窃盗を重ねてるやつなんて絶対ろくな思考回路しちゃいないぜ。もし俺が犯人だったら、あん……風岡さんは襲われてたかもしれないだろ」

 俺はなるべく穏やかに、諭すように言った。

「ふむ。確かにそうかもしれないわね。でもいいのよ、それならそれで。あそこの女子トイレでその友達が見張ってて、何かあったらすぐに助けに来てくれるって算段だったからね」

 そう言って風岡さんは後ろの女子トイレを指差す。俺が視線を向けると女子トイレの入口のドアが開き、中からラクロスのラケットを持ち、紺のウインドブレーカーに身を包んだ、黒いショートヘアの女の子が出てきた。

 俺……、ひょっとしたらあのラケットで殴られてたかもしれないのか……? 怖すぎるわ。

「紹介するわ。くだんの友達、がわかえでよ」

「あ、あの……、疑ってすみませんでした……」

 小川さんというらしい女の子はぺこりと頭を下げた。こう素直に謝られると逆に弱ってしまうのは俺だけだろうか。

「あ、あぁ……。もういいんですよ。過ぎたことですし……」

「そう言っていただけるとありがたいです」

 常識的な態度の小川さんを見ると、少々ぶっ飛んだ印象の風岡香子とはあまりにも対照的なので、この二人が友達であることには疑問を禁じえない。

「ところで、あなたの名前をまだ聞いていなかったわね」

 風岡は俺に鋭い目を向けて言った。

 そうだったな。まだ俺は名乗ってなかった。

「俺はばしけいすけで、経済学部経営学科の一年だ」

 言い終えてから気づく。別に名乗る必要なんてなかったんじゃないかってことに。

 正直に言って、窃盗犯をとっ捕まえようなんて考えているヤバそうな奴らには、関わらないようにするのが賢明な判断というやつだ。君子危うきに近寄らず。それが俺のモットーでもある。であれば、俺はさっさと本を返すという用事を済ませ、早々に立ち去るべきだったのだ。にもかかわらず、

「なるほど、桂介ね。よろしく」

 そう言って風岡香子が差し出した手を反射的に取り、握手を交わして「あぁ、よろしく」なんて答えてしまったのは、冬のイタズラのせいだろうか。

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