人の性的特質セクシユアリテヰは、手に宿ると僕は考へてゐる。

 すなはち元来の性別を問はず、個人の性的特質セクシユアリテヰを最もありありと示すのは、手であるやうに思うのだ。

 これは或アベツクの右手の話である。

 そのとき僕は確か新宿で絵を描いてゐた、とだけ覚へてゐる。僕にとつて重要であるのは絵描きの仕事と人の右手との二つのみなので、如何どうも細部までは記憶する癖が付いてゐない。

 僕が、鏡に反射する夜空のやうな細かい夜景を見つつ、近場のスケツチをしてゐる時に声を掛けられた。

 話を聞けば、二人がさう云つた仲になつてからもう一年が経つ頃合いであつたらしい。それで僕に互ひの似顔絵を描いて欲しいとの事であつた。

 僕は先程のページで解る通りに他人の記念日を邪魔したくは無いと云ふ性分しょうぶんなのだが、彼らが如何どうしてもと云つたので引き受けた。僕が思うに、絵描きとしてはこれほどの栄誉は無いのではなかろうか。

 二人の右手をく観察してみると、成程手には個性が出るもので、片方の可愛かあいらしい顔立ちをしたのは、手先まで絹で出来てゐるかのやうにたおやかであつて、線が細いと云ふ表現は、このやう御仁ごじんに使うべきなのであろうと思つた。

 もう一人の方も中々に可愛らしい顔付かおつきであつたが、其手は先日出会つた大工の如き武骨さを持つており、手先のみであれば熊のやうにごつごつした、まるで岩くらいの手であつた。

 このとき僕は先程記した通り、性的特徴セクシユアリテヰは手にこそ宿ると云ふ思考を身に着けたのであるが、それよりもづ、この二人の手の美しきに心酔したのである。

 なので僕は、綺麗な手をして居りますね、と云つた。

 するとごつごつした手の方が、さも満足さうに、

「さうであろ、さうであろ。此子このこは私の自慢でしてなあ。」

 と、もう一人の方の手を持上げた。

 それは良い。良いが、僕は如何どうにも認識の相違があると思つたので、いえ、貴方も。と加へた。

 さうすると余程意外であつたのか、熊手くまのての方は呆けた顔になつてしまつた。今度は絹手きぬのての方が、それを誇るやうにしてにやにやしてゐた。

 こんところで、絵を終えた。余りに美しひ手であつたので、おまけとして腹の辺り迄描いた。勿論もちろん手は、腹の前で組むやうな構図である。

 それから二人にかう云つた。

これより先、貴方達を裂かんとする手の多さに驚くことでせう。

 然し、臆することはないのであります。手振を見るに、貴方達の愛は本物でせう。

 ならば、何を恐れることがありませうか。何時いつであつても最後を勝取つたのは、本物の愛ある人達であつたのでありますから。」

 さうして僕はこの二人に桔梗ききょうの花を贈つた。永遠の愛が花言葉であるのを、或友人から聞いた覚へがあつた為である。

 ちなみに、後付けの告白ではあるが、この二人のアベツクは、両方とも男性であつた。

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