僕は寿命の喪失を前に生きる事が怖くなった。

てくの

決断

 サイレンの音がクレッシェンドを掛けた様に耳に入ってくる。拘束されているかのような身体の重さ。ゆっくりと瞼を開けるとすぐさま僕の名前を必死に呼ぶ声が聞こえてきた。視界に入るのは見覚えのない白く狭い天井と僕を覗き込む2つの顔。最後の記憶を必死に手繰り寄せると横から大きな衝撃を受ける運転中の光景が目の前に浮かび上がった。脳内での僕は交通事故にあっていた。首をゆったりと起こすとぐちゃぐちゃになっている下半身が視界に入り、同時にもう長くない事を悟る。すごい延命技術だ、これで死んでないなんて。傷を知覚したことで知らない振りをしていた神経の叫びが僕の脳を暴れる様に焼く。先程からある拘束感は出血多量のせいだろう、既に致死量ギリギリの血が全身から抜け落ちているのだと思う。


『死』と言う未知の現象の足音が聞こえる。これ以上生きるのは不可能なのだろうか?


 ぼやけてはっきりしない視界で片方の顔が何かを必死に何かを僕に伝えようとしている。一緒に車に乗ってた気がする母親だろう。

 聴覚もクリアにならずなにを伝えたいのかわからないが直ぐに手の届く範囲にある記憶には母親の伝えたい事に思い当たるものが無い。

 まあいいじゃないか、いま直ぐに死ぬ訳では無さそうだしそう急ぐ必要も無い。

 そう思い僕は重たい瞼を閉じた。





 暗闇に微睡み始めて少しすると、不思議と過去の記憶が詰まっているであろう光り輝いている結晶が周囲の様々な所から浮かび上がってきた。その中でとりわけ存在感を放っている結晶を見つけたので手繰り寄せてみる。結晶が近づけば近づく程目が離せなくなる。それは詰められている記憶を僕に再び思い出すよう訴えているかのようだった。魅力に抗えなかった僕がそれに手を触れると記憶が流れ込んでくる。これは少し前の記憶だ。



 今日は珍しく雪が積もったまま夕方になった様で、窓を開けると同時に冷たい風が一日中寝てた僕の火照った体を現実に戻してくれた。今日は昨晩課題をすべて終わらせたため特にやることもなく暇だったため睡眠に一日をつぎ込んだが、睡眠負債を抱えないよう気を付けて生活してきた身にはこれ以上の睡眠は出来なさそうだった。

 せっかくなので雪でも楽しみに散歩でもしてみると、こういった何もない時間に思考は捗るのか様々な研究のアイデアが思い浮かんでくる。そんな中、一つ決めなければならないことが残っているのを思い出した。僕の生死についてだ。


 現代の社会では科学が高度に発達することで僕らの脳をコンピューターに取り込んで電子の世界で永久に生きることが可能となった。また、サイボーグになることも。

 両者の違いは生きる世界が現実世界か電子世界かなだけで、本当の肉体を持ち合わせていないという点においては全く同じである。まるで一昔前のSF小説のような事が起こっていて、人類はこれを大いに喜んだ。


 永久の命を手に入れる方法は二つある。一つは寿命が近づいてきたとき、もう一つは肉体が損傷して生命維持が不可能になった時だ。


 電子の世界では僕たち人間は一切年を取らずに済むし、生命維持に食事も必要がない。といっても、たいていの人はそれを気味悪がって現実と同じようにデータで構築された仮想上の食べ物を食べ、設定で生理現象が自然に近い形で起こるようにする。

 この人間のデータ化は倫理的な問題で物議を読んだが、結局殆どの人は死に対する恐怖に抗えず批判するのをやめてしまった。


「よお、お前、こんな時間にどうしたんだ?」

 僕の思考を遮ってきたのはそんな声だった。顔を上げると旧来の友人が立っていた。久しぶりに会った友人も僕と同じで散歩をしていたらしい。どちらも暇なので雑談をしながら近くを歩くことになった。しばらく歩いているとやはり電子の世界に関する話に辿り着く。


「どうするか決めたのか?」


 その言葉で悩んでいたことを思い出す。僕が決断しなければいけないのは、事故にあったとき僕に救急隊員はどう対応をすればよいか、と言うものだ。現時点で僕たちには三つの選択肢がある。


 A.スキャンして電子の世界に行く。

 B.サイボーグにしてもらう。

 C.救命のみで、助かりそうにない場合はそのまま死ぬ。


 殆どの人はAを選ぶ。サイボーグになるにはお金がいるからだ。ただ、僕はどれを選ぶか迷ってた。そしてこいつもAを選ぶらしい。まだやり残すことがあるうちは生きていたい、とのことだ。別に電子の世界で生きているからと言って死ぬことが不可能なわけではない。


 あれ、そういえばこの話の後どの選択をするか決めたっけな......。


 現実に引き戻される。思い出すのにそう時間はかからなかった。僕はまだ選択をしていないのだ。急速に頭が冷えていく。母親が必死に伝えようとしていたのはこのことだと直感的に悟る。選択をしていないまま死んでいたら自動的にCの選択肢とみなされることになっているのだ。まだ議論されていた頃運命に逆らうのは良くないだのなんだの言った人がいてそのままなあなあで決まってしまったからだ。このままでは僕は死ぬ。


 死の足音は確固たる意志を持ち近付いてきている。さっきよりも明確に、一歩を踏みしめる足取りで。


 残りの体力全てを振り絞り目を開ける。明るくなる視界、母親の顔が一番に目に入る。しかし、視界はぼやけたままで、むしろ酷くなっている印象を受ける。残り時間がないことをはっきりと示していた。徐々に体が動かなくなっていってるのも感じる。拡張現実のメニューをジェスチャー操作出来るほど腕が動かない。必死に視線操作をするも日ごろ使っていないせいでうまくいかない。やっとのことで開いた選択画面を見た時には涙が出そうになったくらいだ。


 Aを選択し、あとは更新をするだけと言うところで急に僕を恐怖が襲ってきた。永遠に生き続けるという生物としての歪さを思い浮かべ、初めて味わう不快感が僕を塗りつぶす。永遠に生きることに何の意味があるというのだろうか。次第に刺激が薄れていき何も感じなくなる擦り切れたただ『存在するだけ』の『電子情報』になることを僕は本当に望んでいるのだろうか? 電子の世界に入っても死ぬことは出来るが永久の命を手にしてその選択をするまでに一体僕は何年かかるだろうか? あふれるように出てくる疑問と恐怖に僕は動けなくなっていた。


 思い返してみれば今までの人生は後悔も多かったが、『生きてきた』ことは自信を持って言える。

 そう気づくと不思議とここで死ぬのも悪くない気がした。


 覚悟を決めたところで暗くなっていく視界。親にお礼を言うことは出来なかったが最後に精いっぱいの感謝として頑張って微笑むことは出来たと思う。












神経との接続が完了。これよりデータ移行に入る。

















 意識が明確になっていく。どうやら助かったのか、と思ったがいつもと全身から感じる情報の量が少ない気がした。周りを見渡すと見覚えのある光景であふれていた。


 ここは、電子の世界であった。


 多分、Aを選択するところまで行って更新しなかったから生きる意志ありと思われたのだろう。ここまで来てしまったが幸いまだ覚悟は残っている。視界にあるタブから奥深くの設定を引っ張り出す。





 <<死にますか?>>


 ――YES.――

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僕は寿命の喪失を前に生きる事が怖くなった。 てくの @techno

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