夜更けのネイビー
レクス
第1話~深海~
梅雨前線がきているとかで、ここ数日太陽を拝んでいない。洗濯物もぎっしり溜まり、辺りの湿気を吸って重たくなっていた。
「乾燥機買っちゃおうかなあ……」
かといって置くところもなし、私は風呂場を後にして冷蔵庫の中の缶ビールを取り出して一息に半分ほど飲み干した。
「やっぱり風呂上りはこれよねえ」
ふふふ、と思わず笑ってしまう。先日別れた彼氏はお酒が全く飲めなかった。それどころかアルコールは良くないと決めつけて一滴たりとも飲ませてくれなかった。
「お前は全体的に女の子っぽくない。男友達と一緒にいるみたいで、ちっともドキドキしない。服も料理もガサツで、一緒にいて恥ずかしいんだ」
お前とはもうこれっきりだ、付き合ったらもう少し可愛くなると思ったのに残念だ。
そういわれてフラれたその足で、ビールを含むアルコールとおつまみをたくさん買ってマンションに帰って、一晩ひとりで呑み明かした。
「私にはお酒がついてるもん。全然寂しくないったら」
空になったアルミ缶をぐしゃっと潰してゴミ箱に放る。それは音を立ててゴミ箱の淵に当たり、床に転がって、辺りのアルミ缶のひとつになった。
「はあ……」
引き出しにしまってあるこっそり買ったバカラのグラスに、冷凍庫に入れておいたウォッカを注ぐ。そっと、ゆっくり。表面いっぱいになるまで注いで、さっと瓶を戻す。艶やかに光る液体はそれはもう透明度の高い水晶みたいで、私はうっとりとその宝石を眺めた。
飾りにしかならないダイヤモンドよりもよっぽど価値がある。
「こんなに綺麗なものが体に悪いわけないもんね」
喉元を芳醇な香りと共に抜けていく宝石。鼻奥をつーん、と刺激する何かまでは流してくれなかったけど。
空っぽになったグラスを流しに放ってベッドに向かう。枕元には枕代わりの大きなクッションの他に、クレーンゲームで取ってもらったぬいぐるみがいくつかおいてある。別にほしくなかったけど、なんでも取ってくれるっていうからねだったときのだ。本当はぬいぐるみなんかよりも、お菓子とかのほうがよっぽどうれしかったのだけど、ぬいぐるみ取って、っていう方がいいかな、って思ったから。
気付くとぬいぐるみの首を強く掴んでいた。そのままベッドから床にたたきつけたらどんなにせいせいするだろう。
「…………」
それは、よくない。可愛いぬいぐるみに罪は一切ないのだ。ベッド周りをとりあえず枕だけにして、ようやくすっきりした。
「そうだ」
この時間ならまだいける。きっと来てくれる。『淳くん』と登録された番号を呼び出して、耳に当てた。無機質なコール音で息が止まる。
「なんの用事?」
ちょっと不機嫌そうな、子供っぽい声が応えてくれた。淳くん。大学の同期である伊月と付き合っている。
「淳くん? 今からうち来ない? ていうか来てお願い」
「今何時だと思ってんの。時計見える? 十一時なの、これからお愉しみの時間なの」
「そんなことは知ってるし、知ってるから電話したの。ね、二人一緒なんでしょ? 来てよ」
電話の向こうでどうする? と聞く声がする。いいんじゃない、と答える声も聞こえた。
「じゃあちょっと待ってろ。その代わり行くまでに用意しておけ。何でも付き合ってやるからさ」
「やった」
「じゃな」
電話を切ってすぐに私は近くのコンビニに走った。深夜かつ雨のコンビニなだけあって、人気はなく、店員が一人で品出しをしている。それを横目に、かごにいっぱい二人の好きなお酒と私が飲みたいお酒を入れて、氷をとろうと冷凍庫に近寄ると、大きなグレーのパーカーを来て、髪の毛も適当に結った女が見えた。
なんて可愛くない人。
きっと睨み付けると、相手も睨み返してきた。可愛くない表情だと思った。にこ、と口角をあげてみると、ガラスの中の女は別人みたいに華やかに見えた。力を抜くと、女は私になった。単純。
結局、氷とレディ・ボーデンのバニラ味を追加して会計をしてもらう。いっぱいになったレジ袋を抱えてアパートに戻り、冷たいものだけ先に仕舞ってから、身支度を整える。最近買ったばかりで使わずじまいだった可愛いベビードール。髪の毛はゆるくシュシュで結んで横に流した。
インターホンが鳴らされてドアの向こうを覗くと淳くんと伊月が立っていた。
「待ってたー!」
ドアを開けて二人に抱き付いた。二人とも同じシャンプーの匂いがした。いつだって優しい顔でにこにこ笑ってる伊月と、対照的にぶすっとして口も悪い淳くん。二人は同じマンションの同じ部屋に住んでいる。
「そんな恰好で出てくるなよ、カメラに映ったらどうするんだよ」
「平気平気。私は気にしない」
「こっちが困るの」
「いいでしょ、別に。ほらっ、どう? 可愛くない?」
くるっと回って見せると、裾がふわっと浮いてショーツとおなかが露わになる。くいっと首をかしげて見せると、苦い顔をした二人がそこにいた。
「寒そう」
「可愛くない」
「ひっどーい!」
淳くんと伊月。渇きの髪の毛でやってきた二人は、大学の頃からそういう関係で、私の友達でもあり、その友達は時として色んな名前に変換される。
二人を部屋に上げ、丸テーブルを囲んで座る。さっき買ってきたお酒とグラスを並べて、明るい色のチューハイの缶と金色だけど全部味の違うお酒を中心に、希釈用のいろんな飲み物と美味しいおつまみを添えて賑やかな世界が出来上がった。私は賑やかな場所が大好きなのだ。一人じゃ食べきれない宴会。
「じゃ、七奈の失恋を祝って」
乾杯。グラスは涼しい音を立てて、体は一瞬で温かくなった。
「良く持った方だよ、七奈。今回は半年だろう?」
しばらく飲んで騒いで楽しんで、一息つこうとして会話がぶつっと途切れた。ものの一瞬で現実感が私を襲う。目の前に広がるゴミの山。私は淳くんを睨んだ。
「それ、どういう意味よ」
なんて酷いことを言うのだ。せっかく楽しかったのに。
「言葉通りだよ。無理して彼氏なんて作る必要なんかないよ。フラれるたびにこうやって僕たちを呼んで、楽しい?」
「超つらい」
透明な氷の上からハイボールと炭酸水を注いで、それを喉に注いで、気持ち良くなって。
急に世界が色褪せていく。セピア色に変化して、お酒の味がしなくなる。ただの水以下になって、胃に流し込んだ異物は逆流して、慌ててトイレに駆け込んだ。
汚い。苦しい。一体どこが楽しいように見えるんだあのとんちき。
中身を全部出して戻ると、伊月がグラスに水を入れて待っていてくれた。淳くんの姿が見えなかったが、おそらく寝室にいるんだろう。
「さ、これ飲んで今日はもう寝よう。明日淳は休みだし、片付けは起きてからでいいだろ」
首を小さく縦に振ると、水を受け取って飲み干す。冷たい甘露水は体の中に落ちて、ゆっくりと溶けていく。
勝手知ったる他人の家、伊月は私を寝室に連れて行ってくれると、淳くんがベッドに座っていた。
「お前さあ、よくもまあ飽きないよな」
「……伊月とおんなじこと言うよね」
「それはもう、付き合って数年ですから」
「……ふん」
ベッドに横になると、両脇を彼らが埋めてくれる。小柄な伊月に抱き付いて、背中からは淳くんが抱きしめてくれる。
「またほかの人紹介してよ」
「ああ」
「任せて」
耳元で約束されるととってもぞくぞくした。気持ち良くって、意識が遠のく。
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