(62)大学で転機。そして海外へ
★京丁椎さんからのおたより
すみさんが小学六年生の頃だと……生まれてたのかな? 京は四十×歳の男の子。
すみからの返信
そこ! 計算しないの!(笑)
★淡路結葉さんからのおたより
積雪期に山頂まで登れるんですね.......。凄いです!
すみからの返信
登ったらあかんって看板がなかったので、登りました。
一日かかりましたが、登れましたよ。驚いた事に、足跡があったんで、私より先に登った人も居たようです。
大学生になって、今度はバイクを手に入れた私は、行動範囲が一気に広がりました。廃車寸前のオフロードのバイクを貰ってきて、修理をして、山を走り回ってましたね。
獣道を走り、峠を越えて隣の府県へ行くのが楽しかった。何度もコケたし、登れない山もあった。
そこで思いついたんは、
「バイクで行けないなら、歩いて登ったらええんや」
ってな感じで、ワンダーフォーゲル部に入部。
先輩たちは強者ばかり。なんと初めての山行が、厳冬期の冬山。
「冬山は、遭難とか、やばくないですか?」
と、何気なく拒否してましたが、見事に連れて行かれましたね。しかも、山頂直下で猛吹雪になって、2日もビバークしましたよ。
「絶対に死ぬ!」
って思いましたわ。
そんな私をよそに、先輩たちは「ビバーク」を楽しんでましたね。逆に、
「こんなもんかぁ」
って感じる事もできました。
その後、年に4回は3000メートル級の山々を登りました。これは28歳まで続けましたね。
バイクも好きでしたから、バイクで日本中を移動し、移動した先で山を登る。下山したら、またバイクで移動。そんな冒険的な旅をしました。山&バイクで、北海道まで行ってましたね。
時が経つと、先輩たちは卒業します。そして就職。
ところが、その先輩達は、なぜかすぐに仕事を辞めて、海外へ行ってしまうんですよ。
我がワンゲルの大先輩の中には、社会人になってから4大陸の最高峰を登った人(チョモランマは登ってない)がいるぐらいですから、そんな伝統でもあるのですかね。DNAは、脈々と受け継がれています。
卒業前の時期に、あの「湾岸戦争」が起こりました。報道でクルド人の方々の悲惨な映像がながれてましたから、
「酷いなー。クルド人の人は、辛いやろなー。どう思てるんやろ。話を聞いてみたいなー」
と感じました。
そんな訳で、私も就職が決まってたんですが断って、イラクへ行くことにしました。その事を母親に話したら泣いてましたけどね。親不孝でした。因みに父親は無言でした。更に、当時付き合ってた彼女は、
「必ず帰ってきてね。生きて帰ってきてね」
と、イラク行きを許してくれました。いい人です。
当時、イラクへの飛行機は飛んでませんでしたから、大陸まで船で行き、そこから陸路でイラクを目指します。
「陸続きやし、最悪歩いて行ったら、いつかは着くやろう」
そんな気軽な感じで、イラクへの大冒険が始まります。
この大冒険は、拙作「広く異国のことを知らぬ男」の元になりました。
ってか、まだ連載中ですね。あくまでも連載中です。1年以上、更新されてませんが、
連載中です! ( ・ิω・ิ)キリッ
気になる方は、そちらをお読みくださいませ。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます