翼が生えたトカゲ 弐

「ついにお迎えが来やがったか……?」


 古き伝承に伝わる勇者の魂を刈り集める戦乙女。 目の前に突如として現れた二人の少女に対して、ブレイデンが抱いた心証は概ねそのようなものであった。もっとも自分にはその資格が無い事を思うと、これは死に間際に見る都合の良い幻想なのでは? とブレイデンは訝しんだ。


「とりあえず全員生きてるわね。 気休めだけどこれを飲みなさい」


 ブレイデン達の前に颯爽と駆け付けた二人の少女は、未だに状況が飲み込めない三人に回復薬ヒーリングポーションを手渡した。


 回復薬の舌が痺れるような苦味に、ブレイデンの思考はにわかに現実味を取り戻す。


「あんたら何もんだ?」

「私はリリア・フロース。 そしてこの超絶可愛い、世界で一番幸せにしてあげたい私の妹がエリス・フロースよ」

「姉さま、恥ずかしいので止めて下さいまし……」


 フロース姉妹の名はブレイデンには聞き覚えの無いものだった。


「もしかして、あのフロース姉妹っスか!?」

「竜を殺す者、百合魔法使いリリウム・マギウス……噂には聞き及んでいたけど、実際に御目にかかるのは初めてね……」


 リコとエミリアは噂程度には姉妹の事を知っている様子だ。


「竜を殺す? ……それであの飛竜ワイバーンを仕留めに来たってのか?」

「竜? あれが? 冗談でしょう。 あんなの翼が生えたトカゲよ」

「そのトカゲ相手に俺たちはこのザマなんだよ……」

「すみません、姉さまは悪気があった訳ではないのですわ…ただ、わたし達の殺すべき竜は、もっと強大な存在なのです」


 姉妹が探し求める"竜"と飛竜は起源も何もかも異なる、全く別種の存在である。


 飛竜とは太古の昔からこの世界の空を支配してきた翼竜の末裔であり、警戒心が強く臆病な性格故に今日まで繁栄を続けてきた。 その例に違わず、この固体も突然現れた姉妹に対して用心深く様子を伺っている。


「ぱっとみ、普通の飛竜と変わらないわね。 でも周囲に纏ってる金色の粉はなにかしら?」


 姉妹の視線は天空に向けられ、空を舞う巨大な飛竜を捉える。


「わたしの推測ですが、あの粒子は魔導具の材料となるような魔力伝導率の高い金属であると思われます。 魔力を通しやすいが故に、あらゆる方向に散らしてしまい、魔法の威力を減衰してしまうのでしょう」


 瞬時に敵の特性を捉えるエリスの洞察力は驚くべきものである。


「ギルドの調査報告にない新種ね。 とりあえず金粉の飛竜ゴルディッド・ワイバーンとでも名付けておきましょうか」


 空を自由に飛び回る飛竜とフロース姉妹の戦闘に於ける相性は、最悪であると言えるだろう。 近接戦に持ち込む事が出来ず、百合魔法の範囲に捉えることも難しいからだ。


「姉さま、どうなさるおつもりで?」

「どうするかって? 決まってるわ。 使うわよ! 私達の新しい力っ!」

「纏衣魔法ですわね、姉さま!」


 フロース姉妹は手を繋いで集中力を高め、溢れ出る百合力を火の魔力に変換し、その魔法を紡ぎ出す。


「「殲滅者の纏衣リコリス・ラジアータ」」


 フロース姉妹を包み込んだ火の魔力の奔流は彼岸に咲く深紅の花を思わせるドレスを形成した。 ドレスといっても、この装いを纏うものが舞い踊るは死の舞踏。 これは只々闘いの為だけに生み出された魔力纏衣である。 その為、身体の動きを妨げる事は一切なく、物理的な制約に囚われない無尽にして無双の力を与える。


「なんスかあれ…… すごくキレイっス……」


 深紅の装いに身を包んだ姉妹は、さながら舞踏会に招かれた高貴なる姫君の様だ。 それでいて相対する者に対しては、死を予感させる人ならざる気配も同時に秘めている。


「まだ"こっち側"の法則性には馴染めませんわね……」

「そうかしら? 難しく考えなくていいのよ、エリス。 思いっきり好きなように動けばいいの!」


 纏衣魔法を発動したフロース姉妹に非魔法的な制約は存在しない。 神経の情報伝達速度や肉体の強度による生物的な限界すら無意味なものとなる。


「作戦とかは特にないわ。 三発目で撃ち墜とすからエリスは止めをお願い」

「心得ましたわ、姉さま!」


 リリアは空を舞う飛竜を視界に捉えると、流れるような美しい動作で、遥か上空を舞う強大な翼目掛けて投擲を開始する。


 リリアの手から高速で放たれた物体は、空気との摩擦により表面を赤熱化させながら飛竜の右の翼膜を貫いた。 それは地面に転がっている何の辺鉄もない石塊いしくれに過ぎなかったが、限界突破した力が加われば魔物をも殺し得る武器となる。


 飛竜のような巨大で重量がある生物が翼の羽ばたきのみで飛翔するのは困難である。 そのため飛竜は何らかの魔法的な作用により飛翔しており、翼は補助的なものに過ぎないとする説が現在の魔法生物学に於ける定説だ。 したがってリリアの初撃は飛竜に対してダメージを与える事を意図したものではない。


 リリアは単に測っているに過ぎない。 敵との距離。 飛行速度。 風向き。 攻撃を受けた際の反応。 それらの情報を元に次なる投擲を開始する。


 リリアの手から放たれた二投目は狙い違わず飛竜の左の翼膜を貫いた。 これも飛竜にとって大したダメージとは言えないが、無効化出来ない非魔法的な遠距離攻撃に警戒心を強めた飛竜は、更に高度を上げて敗走を始める。


 雲にも届く勢いで飛翔し逃げ去って行く飛竜。 しかし、逃げる方向さえ分かっていれば追撃は容易い。


 先の二投で得た全ての情報から導き出された完璧な速度と軌道でリリアが放った第三の投擲は、飛竜の頭部を的確に捉え、戦鎚で強かに殴りつけたかの如き衝撃を与えた。 飛竜の巨体が大きく揺らぎ、急激な降下が始まる。 単なる石塊であっても尋常ならざる力が加われば凶器そのものであり、飛竜の堅き鱗に阻まれたものの十分な気絶スタン効果をもたらしたのだ。


「さあ、準備はいいかしら?エリス!」

「勿論ですわ、姉さま!」


 重力の網に捕らえられて墜ちて行く飛竜。 その落下予測地点に向かってエリスは走り出す。 一歩、二歩、三歩。 液体のように纏わりつく空気を振り払ってさらに加速する。 そして接敵の勢いをそのままに、落下して来た飛竜目掛けて神速抜刀。 同時に光の魔力ルクス・フォルティア魔力付与エンチャントして極限まで威力を高めた一撃は飛竜の頭部を無慈悲に刎ね飛ばした。


 飛竜が落下した衝撃で、どうっと地面が揺れ、流れ出した鮮血が地を紅く染め上げる。


「あり得ねぇ…… 何なんだあんたら…」

「人間技じゃねぇっス……」

「魔力を物質化して纏っているの? どうやってそんな膨大な魔力を補っているのかしら…?」


 纏衣魔法発動時のフロース姉妹は魔力の流れによって肉体を支配しており、自らの意思によって寸分の狂い無く五体の隅々までを動かす事が出来る。 故にこのような動きすら可能となるのだ。


 飛竜をものともせず屠り去ったフロース姉妹は纏衣魔法を解除する。 "殲滅者の纏衣"を構成していた魔力がほどけ、淡い光と共に虚空へと消えていく。


「お疲れ様、エリス~!」

「わっ! 急に抱きつかないでください!」

「ふふっ… 頑張った妹には、ちゃんとご褒美をあげないとね~?」

「んっ! ちゅっ、ん、ちゅっ、むぅ……ふぁぁあ…ちょっ! 姉さま… 少しは人目を憚ってくださいまし……」 


 そうは言ったもののエリスはしっかりと姉の情熱的な口づけを受け入れ、舌まで絡めているのであった。


「わわっ! アニキは見ちゃダメっス!」

「馬鹿、俺はそんなんじゃ……」

「すっごい……こんなに激しいの初めて見たわね……」


 死の危険を脱したブレイデン達は姉妹の作り出す和やかな空気に包まれ、緊張間も和らぎつつあった。 最も重傷であったエミリアも回復薬の効果と自前の生命魔術によって、ある程度は治療を終えている様子だ。


「姉さまぁ……」


 姉からもたらされる愛の口づけによって、エリスの肉体はすっかり蕩けてしまっているようだ。 エリスは目を潤ませ、肌を朱に染めて何かをねだるような表情でリリアを見つめている。


「続きはまた後で、ね?」

「はい…姉さま……」


 もはやブレイデン達は完全に呆気にとられている。 しかし、それも無理からぬ事であろう。 飛竜に追い詰められて死を覚悟していたら、突然現れた殺戮の化神の如き姉妹が飛竜を瞬殺した後に濃厚な口づけを始めた、などという状況は中々あるものではない。


「俺はブレイデン・アウダークス。 取り込み中すまんが、礼を言わせてくれ。 俺達はあんたらに命を救われたんだ… ありがとよ……」

「ウチはリコ・ラトムスっていいます! リリアさんとエリスさん、すげぇかっこ良かったっス! もちろんアニキも!」

「ブレイデンはただ自爆してただけでしょう。 まぁそれは置いといて、礼を言うわ。 私はエミリア・ラーディックス。 この借りは必ず返させていただきます。 エルフは義理堅いんですからね!」

「気にしなくていいわ。 私達はただ依頼を果たしただけだから……」


 三人の冒険者達に思い思いの感謝を告げられて、やや戸惑いつつもフロース姉妹はブレイデン達と少しばかり話し込み、交流を深めたのであった。


「それでは私達はこれで……帰り道の無事を祈ってるわ」

「皆さまお気をつけてくださいまし…」


 そう言って立ち去ろうとするフロース姉妹をブレイデンが呼び止める。


「待ってくれ。 最後に一つ教えてくれねぇか? …… 何があんたらをそこまで強くしたんだ?」


 ブレイデンの問いに対するリリアの答えは余りにも単純にして複雑なものだった。


「……愛よ」




 ◇◇◇




「世の中にはすげぇ奴も居たもんだな……」


 無事に街へと帰還したブレイデン一行は酒場にて今回の冒険を振り返っていた。


「ウチもあのお二人みたく、強くなりたいっス!」


 リコはフロース姉妹の強く凛々しい姿に憧れを抱いているようで、先程からその話ばかりしている。


「リコは新しい"お姉さま"に夢中みたいね?」


 エミリアにはそれが気に食わないのか、長い耳をピクピク動かして不機嫌な様子を隠そうともしない。


「そんなことないっス! ウチはエミねぇのことが一番……」

「一番……なにかしら?」

「エミねぇのいじわる……」


 ブレイデンはパーティーの女性メンバー二人のただならぬ雰囲気に「何やら面倒な事になってきたようだ……」 といった表情で肩をすくめるのであった。


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