追憶・楽園の終わり

「いってらっしゃ~い! リリア、エリス~! あとレヴィも~!」


 フロース姉妹が初めての闘いを終えて、数日が過ぎたある日の事。 オリーブに見送られて、フロース姉妹はレヴィと共に近隣の村に向かっていた。 目的は生活に必要な物資の補給である。 それに加えて今回は姉妹の訓練も兼ねている。


 フロース姉妹は、いずれ森の外に旅立つ事になる訳だが、今は余りにも外界に無知であり、知るべき事は多い。


「リリア、エリス。 外の世界で最も気を付けるべきものは何だか分かるか?」


 魔物避けの通路に歩を進めながらレヴィが姉妹に問いかける。


「やはり、魔物かしら? この森の外には、もっと凶悪な魔物がいるのでしょうし……」

「亜人種の中にも危険なものがいるらしいですわね。 小鬼ゴブリン大鬼オーガなどがそれにあたります」


 二人は思い思いの答えを口にする。


「確かにそれらの存在は、お前達の前に立ち塞がる脅威の最たるものだろう。 しかし、気を付けるべきは、それだけではない。」

「何かしら? 勿体ぶらずに教えてよ、母さん」

「人間だよ。 悪魔の様に狡猾で、獣の様に獰猛、それでいて見せかけだけは上手く取り繕っている」


 亜人種とは人間が魔力に適応し、魔物化した存在であり、それらの生物が持つ残忍さも獰猛さも、本来的に人間が持つ特性を継承しているに過ぎない。


「人間を容易く信じてはならない。 どれだけ穏やかに見えても人間は己の内側におぞましい化物を飼って生きている。 時としてそれらが牙を剥く事もあるだろう…… もしもそういう手合いを前にしたなら、容赦するな。 自らの尊厳と生命を脅かす如何なるものも、生かしておくな」

「母さま… 人間とはそんなにも恐ろしい生き物なのですか?」


 エリスは少なからず怯えた様子だ。


「外の世界で生きるようになれば、嫌でも知る事になるさ。 まぁ一概に悪人ばかりとは言えないがな」

「大丈夫よ、私がエリスを守るって約束したでしょう?」

「 わたしも、姉さまの為なら…… 」


 フロース姉妹のような、若く美しい娘の二人旅には危険が付きまとう。 姉妹の可憐な容姿は、虫が光に群がる様に余計なものを引き付けてしまうだろう。


「村に着いたら別行動だ。 私は物資の補給。 二人は少し、村の中を見て回るといい。 良い経験になるはずだ」


 一行が帰らずの森を抜けて暫く街道沿いに歩くと、木々に囲まれた村にたどり着く。


 シルウァと呼ばれるこの村は、王都から北に遠く離れており、この大陸に於ける人間の領域のほぼ最北に位置している。 これより更に北に進めば、魔王の支配する闇の領域を目にする事になるだろう。


「あまり目立つなよ? ただでさえ、お前達の容姿は目を惹く」

「ちゃんと大人しくしてるから、大丈夫! 心配しないで母さん」


 フロース姉妹にとっては貴重な、外の世界を見る機会である。 好奇心の強い二人が心を踊らせぬ訳がない。


 リリアとエリスにとって森の外に出るのは、これが初めてではなかったが、目に写る全てが姉妹には新しく見えた。


 モコモコと体毛を生やした動物。 木と石を組合せて建てられた家。 石の様にゴロゴロした作物。 そして、自分たち以外の人間。 元気に走り回る幼い子ども達や、作物を収穫するそれらの人々は、姉妹の目にはレヴィの言うよう邪悪な存在には見えなかった。


「そんなに悪い人達じゃなさそうね。 少し話をしてみましょう」


 引っ込み思案なエリスに比べてリリアは物怖じしない性格であり、早くも状況に適応しつつあった。


 リリアは畑の横で腰を下ろして休む、農民とおぼしき老婆に話しかける。


「こんにちは、お婆さん。 お仕事大変そうですね。 私達で良ければお手伝いしましょうか?」

「あらあら、綺麗なお嬢ちゃん達だねぇ。 いいのかい? 畑仕事なんてしたら、服が汚れちまうよ?」

「気になさらないでください。 それに力仕事なら結構慣れているので」

「よっ、よろしくお願いしますわ!」


 姉の後ろに隠れつつも老婆に挨拶をするエリス。


「後ろの娘は妹さんかい? 悪いねぇ、ちょっと手伝っておくれ。 わたしゃ腰が悪くてねぇ」


 老婆に軽く手解きを受けたフロース姉妹は、芋の収穫を手伝う事となった。


「どおりゃーッ」


 フロース姉妹は大きく育った茎の根元をしっかり掴み、豪快に引き抜いた。 文字どおり芋ずる式だ。


 森の中で育んだ力を存分に発揮した姉妹は、ものの数十分で作業を終えた。 細腕からは想像出来ぬ怪力である。


「ありがとうねぇ、お嬢ちゃん達。 ほんとうに助かったよ」


 老婆は何度も姉妹に礼を言ったのち、収穫物を山ほど二人に持たせてくれた。


「それにしてもお嬢ちゃん達、見ない顔だねぇ。 旅の人かい?」

「商人の母と旅をしているんです」

「へぇ、そうかい。 このご時世に難儀だねぇ。 ここから西に行くなら、帰らずの森には近づかないようにしなよ、あそこには昔から恐ろしい魔女が住んでるからねぇ」

「恐ろしい魔女、ですか?」


 無論、フロース姉妹には帰らずの森に恐ろしい魔女など居ない事も、森の奥に住む母親達が、そのような偏見に晒されている事も理解していた。


「あたしが子どもの頃からの言い伝えさ。 その魔女ってのは、角や牙を生やした恐ろしい姿で、迷い混んだ人を喰っちまうらしいんだ。 この間も冒険者の方があの森に向かったきり帰って来なくてねぇ」


 その冒険者とは先日、森の巨獣に殺された者達であろう。 これも年の割に賢しいフロース姉妹には察しがついていた。


「そんな恐いところに、どうしてわざわざ向かうのでしょうか?」

「魔女の住処には珍しい宝が隠されているらしいからねぇ。 冒険者ってのは一攫千金を求めて、危険に飛び込むのが仕事なのさ。 あたしのせがれも冒険者になるって家を飛び出してから、帰ってきやしない…」


 魔物に喰い殺された冒険者の姿を思い出し、フロース姉妹は老婆を痛ましく思った。 冒険者には死の危険が常に付きまとう。 それは必然的により強い者、抜け目がない者、そして残忍で容赦のない者達が生き残る事を意味している。


「そういえば、今日も冒険者の方が村に寄っていったよ。 なんでも、帰らずの森の魔女を討伐しに行くんだってねぇ。 難儀だねぇ」

「帰らずの森に?」


 リリアは思わず問い返した。


「そうさ、あたし達が止めても聞きゃしないんだよ。 五人組くらいの男達だったよ」


 瞬間的にフロース姉妹の脳裏によぎったのはレヴィの言葉と、森に一人残してきたオリーブの安否だった。


「エリス、私凄く嫌な予感がする。 今すぐオリーブ母さんの下に戻りましょう!」

「でっ、でもレヴィ母さんを探さないと…」

「そんな時間ないわ! 私達だけで何とかするのっ!」

「わっ、分かりましたわ、姉さま!」


 状況が飲み込めずに困惑する老婆をよそに、フロース姉妹は手を繋ぎ、身体強化魔法、鬼神の舞踏ランシフォリアムを発動させる。


「ごめんなさい、お婆さん。 私達行くわ!」


 フロース姉妹は湧きあがる焦燥感を力に替えて、凄まじさ速さで走り出す。


「母さま、無事でいて下さい……」


 フロース姉妹は一瞬で村の外に抜けて、最短距離でオリーブの下にひた走る。


「魔物避けの通路を通ると回り道になるわ。 突っ切って行くわよ! 」


 限界を超えて更に加速する姉妹。 溢れ出す力は、景色が後方に吹き飛ぶ様な疾走感をもたらす。


 帰らずの森に入った姉妹は異常に気付く。 森の所々に殺された魔物の死体が転がり、血の臭いが辺りに充満している。


 森に踏みいれば魔物との戦闘は避けられない。 しかし、余りにも死体の数が多すぎる。


「わざと殺して回ってるってこと? まともな連中じゃないわね」


 フロース姉妹は例え魔物と言えども、理由無く殺してはならないと教えられてきた。 それらもまた、ひとつの命なのだから。


 血の道しるべは"聖域"へと続いていた。 聖域にはフロース一家以外、立ち入る事が出来ないように結界が施されていたが、地脈から魔力を誘導し、力線を形成していた要石の一つが粉々に砕かれ、結界に綻びが生じていた。


「誰かが結界の中に入ったんだわ。 急ぎましょう!」


 金色の花が咲き乱れる花園にフロース姉妹がたどり着いた時、姉妹の予感は最悪の形で現実のものとなっていた。


「リリア、エリス… 逃げて……」


 オリーブは身体中を切り裂かれ、傷口から緑色の体液を溢れさせ、地面に倒れ伏していた。 その身体は大地に溶けるように崩れ、後には人間の頭程の花の蕾だけが残った。


「へっ、てこずらせやがってよう。 早くお宝を頂こうぜ!」

「まぁ待てって、ドライアドの蕾もかなりの高値で売れるんだぜ?」


 聖域に踏み入ったのは五人の冒険者達だった。 いずれも凶悪そうな顔立ちの男達だ。


「それに触れるなっ! よくも母さんをっ!」


 フロース姉妹は怒りのままに剣を抜き、魔力により武装強化を施す。


「許さない。 きさまら全員殺してやるっ!」


 姉妹の突然の乱入に男達は困惑した様子だ。


「何でこんなところにガキがいんだぁ?」

「俺達は悪い化け物を倒しに来たんだよ。 お嬢ちゃん達はさっさと家に帰りな」

「此処はわたし達の家です。 化け物はあなた達の方ですわっ!」


 事態を飲み込めずにまごついている男達の中で、リーダー格とおぼしき男が姉妹に話しかける。


「何やら行き違いがあるようだ。 我々の目的は魔女の討伐。 先程のドライアドは我々の邪魔をした為、やむを得ず斬った。 それだけの事だ」

「きさまらが殺したのは私達の母さんだ…」

「それはすまない事をした。 お詫びにお嬢さん達を母親の下に送って差し上げよう」


 男達は血の滴る刃をぎらつかせながら、姉妹に迫った。


「心配しなくていい。 すぐ楽にしてあ………」


 男の口からその先の言葉が発せられる事はなかった。 何故なら、男の下顎から上は吹き飛ばされ、紡ぐべき言葉をなくしていたからだ。


 その男は脳味噌の破片や血漿を撒き散らしながら、糸が切れた様に倒れた。


「ひっ! なんだってんだよぉ!」


 仲間の血を浴びて、大混乱に陥った男達の背後には、いつの間にかレヴィ・フロースが立っていた。 否、レヴィ・フロースが立っていた。


「きさまらは、どうして自分達だけが絶対的に正しいと思えるのだ? 憎らしい、おぞましい、妬ましい!」


 それは、まだかろうじてレヴィの面影を残していた。 しかし、その頭部からは捻れた三本の角が生え、口内には鋭い牙が乱雑に伸び、 金色の瞳は蛇のように縦長に瞳孔が開いている。 露出した肌は毒々しい青紫色の鱗でびっしりと覆われており、手には鋭く尖った鉤爪が生え、冒険者を屠ったとおぼしき鞭の様にしなる尻尾は血で汚れている。


「なっ、なんだてめえっ!」

「私が何者であるか、きさまらが何者であるか、そんな事はどうでもいい。 私の家族に手を出した時点で、きさまらがどうなるかは決まっている!」


 レヴィだったものは尻尾を振り回し凪ぎ払う。 たったそれだけの動作で、二人の男が胴体を切断され、苦しみながら事切れる。


「やめ、止めろっ!」

「黙れ、只々死ね」


 レヴィだったものは四人目の男の心臓を鋭い爪でえぐり出し、目の前で握り潰す。


「助け、助けて下さい! 俺達が悪かったからよぅ。 許して……」


 レヴィだったものは、許しを乞う男の頭部を掴むと、果実でも潰すようにグチャグチャに粉砕した。


「終わったよ。 全員殺した…」


 凄惨なる殺戮を終えたレヴィだったものは、フロース姉妹に向き直る。


「母さん、母さん……」

「母さま、母さまぁ、オリーブ母さまが… うぅ、ひっぐ……」


 フロース姉妹は変わり果てた姿に関わらず、レヴィにすがり付いて泣いた。


「オリーブは大丈夫だ。 蕾さえ無事なら、暫くすれば元気になる 」

「良かった…… うぅ、母さん……」

「良かったですわ、母さまぁ……」


 自分の変わり果てた姿に驚かぬ姉妹に、レヴィは狼狽えた。


「私が恐ろしくないのか?」

「どうしてですか?」

「尻尾が生えてても、母さんは母さんよ」


 家族とは血の繋がりではなく、心の繋がりであると姉妹は考えていた。 したがって、どんな姿であろうと姉妹にとって、レヴィは母親なのだ。


 レヴィは、ふっと苦笑し微笑んだ。


「お前達は私の娘だよ、何があってもな」

「そんなの当たり前ですわ!」

「なにを今さら、どうしちゃたの? 母さん」

「色々あるのさ、リリアとエリスにはずっと隠していた事があるんだ。 少しだけ母さんの昔ばなしに付き合って貰おうか」


 そう言ってレヴィは話し始めた。 レヴィ・フロースという存在、もとい嫉妬の邪竜レヴィアタンが辿ってきた道筋を。

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