追憶・初めての闘い

 星明かりが煌めく静かな夜に響く、微かな水音。 フロース姉妹は浴槽に浸かり、肌を重ねあっていた。


 レヴィの“聖域”では簡易化した魔法を用いた、ある種の魔力装置が存在し、地下より水を引き上げて湯を沸かすといった事も可能であった。 故に文明社会から切り離されたこのような場所帰らずの森に於いても、フロース一家の衛生水準は高いレベルをキープしている。


「エリスぅ、またおっぱい大きくなった?」


 リリアは背後から妹の発達途中の胸を優しく揉みしだく。 その絶妙な力加減はエリスの瑞々しい感性にもどかしい刺激を与えた。


「んぁっ、姉さまぁ… 変な触りかた… しないで……」


 エリスは余りの心地よさに、まるで抵抗できない。 それを良いことにリリアのスキンシップはより過激な方向にエスカレートしていく。


「エリスぅ、耳まで真っ赤になってる… 可愛いよエリス、ちゅっ、んっ、はむっ」


 リリアは妹の首筋や耳たぶに舌を這わせ、吸い付くようにキスをする。 頭が痺れるような快感に、堪らずエリスの声が溢れ出す。


「ひゃっ!? あぅ…… ダメ、姉さま…」


 リリアは愛おしそうに妹の背中を撫で、そこに刻まれた忌まわしい呪いの痣をなぞった。


「姉さま、どうされました?」


 愛撫を途中で中断され、やや物足りなさそうにしながらエリスが尋ねる。


「この痣、また大きくなってる… エリス、身体に変なところはない? 」


「特に変わった事はないですわ。 心配しないでくださいまし、姉さま 」


 フロース姉妹は物心ついた頃より、レヴィから竜の呪いと百合魔法使いリリウム・マギウスの話を聞かされてきた。 この世界に古くから伝わる、そのおとぎ話の粗筋はこのようなものである。


 今より遥か昔、とある王国に紅い瞳と碧い瞳を持った双子の姉妹が生まれる。 その姉妹の片方には生まれながらに、全身の五ヶ所に竜の形をした痣が存在していた。 高名な賢者曰く、その痣は竜の呪いによるものだと言う。 やがて姉妹の片割れの命を奪う事になる、その呪いを解く方法はたった一つ。 強大な力を持つ五体の竜を全て倒す事だ。 姉妹にはその為の力が宿っていた。 即ち百合魔法使いリリウム・マギウスの力である。 幼き頃より賢者の下で修行を積み、成長した姉妹は竜を殺す旅に出る事になる。 五体の竜達との闘いは熾烈を極めた。 しかし、姉妹のお互いを想い合う心は、決して竜には屈しない。


 長い長い闘いの末、遂に全ての竜を討ち倒した姉妹は、末永く幸せに暮らしました。 途中の展開には幾つかのパターンが存在するが、物語の最後は決まってその一文で締めくくられる。 しかし、レヴィはフロース姉妹に告げる。 この物語は、おとぎ話等ではなく、竜も百合魔法使いも実在すること。 そして、全ての竜を討ち倒した百合魔法使いは、未だ嘗て存在しないということを。


 この話を聞かされたフロース姉妹は、戸惑いながらも一切の疑い無く母であるレヴィの事を信じた。 エリスの身体には実際に竜の痣が刻まれていたし、自分達の間に特殊な力が存在することも、リリアとエリスは自覚していた。 何より姉妹は二人の母親の事を心から愛し、信頼していた。


 それからというもの、フロース姉妹はレヴィの下で、剣と魔法の厳しい修行を積む事になる。 どれだけ辛い修行も、二人で乗り越えて来た姉妹であったが、明日遂に始めての実戦に挑む事になる。 たかが森の獣相手であっても命のやり取りである。 加勢は一切無く、二人だけでやり遂げねばならない。


 浴槽に漬かったフロース姉妹は、より強く身を寄せ合う。 重なり合う体温、心地よい肌の柔らかさ、伝わってくる鼓動。 決して喪いたくないという想い。


「絶対に負けないから… 私がエリスを守ってみせる。 貴女を傷付ける全てから」

「ならば、わたしが姉さまをお守りしますわ! そうすれば、何も恐いものなどありません!」


 姉妹の間に交わされた、神聖なる誓いの言葉。 その夜リリアとエリスは、二人を引き裂こうとする運命に抗うように、お互いを強く抱き締め合って眠りについた。


 明くる日、早朝に目覚めた姉妹は、軽く朝食を済ませると、狩りの準備を整える。 軽鎧を纏い、道具袋を下げ、剣を携えた姿は中々に様になっていた。


「結構似合ってるよ二人とも。 旅立つ前にリリアとエリスに渡す物があるんだ」


 そう言うとレヴィはフロース姉妹に、細身の長剣を手渡した。 精巧に作り込まれ、柄に花の意匠があしらわれた、その二振りの姉妹刀の銘は愛の祈りの剣オラティオニス・アモリス勝利の剣ヴィクトーリアといった。


「使い古しじゃ心許ないだろ? そいつは軽くて良く切れて魔力付与エンチャントもかかり易い優れものだ。 ……無事を祈ってる。 二人なら絶対にやり遂げられるよ」

「ありがとうございます、母さま…」

「大物仕留めてくるから! 期待して待ってて、母さん」

「リリア、エリス~! やっぱり心配だよぅ、わたしもついていく~!」


 オリーブは駄々をこねる子どもの様にフロース姉妹に纏わりついた。


「手出しは無用だ、オリーブ。 これはリリアとエリスの闘い。 二人で乗り越えるべき試練なんだ」

「でもぉ、二人に何かあったら……」


 尚もぐずるオリーブをレヴィが抱き締めて耳元で囁く。


「大丈夫さ、オリーブ。 二人は私達の娘なんだよ? 必ず無事に帰って来る…」

「レヴィ…」


 レヴィとオリーブは見つめ合い、いつの間にか二人の間には、艶っぽい空気が生まれている。


「そーいうのは目に毒だから、子どもの目の届かない所でやってくれる? 」




 ◇◇◇

 



 フロース姉妹は二人の母親に見送られて、旅立った。 聖域から伸びる魔物避けの魔法がかかった安全な通路を通って、森の入り口付近に向かう。


「それにしても、母さん達は大袈裟なのよね、この分だと竜を倒す旅に出る時は、どんなお見送りになるのかしら…」

「それだけ心配してくださっているのですよ、母さま達は…」


 リリアとエリスの中にも少しばかりの不安はあったが、森の中は姉妹の庭も同然であり、迷うことなど有り得ない。


「今日は妙に森の中が静かね…… コボルトの鳴き声一つ聞こえないし」


「インプやウェアウルフなども見当たりませんわね……」


 幾ばくかの違和感を感じながらも、姉妹の旅はこれといったトラブルも起きず順調に進むかのように思えた。 しかし、運命の女神とは残酷なもの。 あらゆるものに対して悪戯に試練を課す悪辣極まる性格をしているのだ。


「なんですの? これは……」


 目の前に広がる光景に、フロース姉妹は言葉を無くした。 魔物避けの通路は途中で途切れ、辺りの木々が薙ぎ倒されている。


「誰か助け、ぎぃやぁああァぁあぁ!」


 森の中に絶叫が響き渡り、静寂を切り裂いた。 フロース姉妹は咄嗟に魔物避けの通路を外れ、声のした辺りに走った。


「血の匂いがする。 どんどん強くなってる……」


 薙ぎ倒された木々と血の匂いの道しるべを辿り、フロース姉妹はたどり着く。 凄惨なる殺戮が行われたであろう血だまりに。


 ぐぢゅっ、ぶぢゅり、ぐぢゅるる、ぶちゅり。 おぞましい咀嚼音がフロース姉妹の耳を汚す。

 

 それが元々なんであったのかを類推するのが困難なほどに、ぐちゃぐちゃに潰された屍を貪る巨大な獣から、その音は発生していた。


「何なのよ! あの化け物はッ!」

「分かりませんわ… でもごく稀に地脈の豊潤な魔力を求めて、あのようなものが森を荒らしに来ると母さまが…」


 フロース姉妹の気配に気づいた獣は、ゆっくりと振り向く。


 それは真っ黒な体毛を生やした、巨大な猪だった。 反りかえった刃のような四本の牙には血が滴り、口内にまだ残っている、犠牲者の肉を咀嚼する乱杭歯は捕食者のそれだ。 大地を踏み締める四肢は、まるで樹の幹のように太い。 フロース姉妹には知るよしもないことだが、その獣は森滅ぼしの巨獣ダムドブルスティと呼ばれていた。


 巨獣は地鳴りを響かせながら、ゆっくりとフロース姉妹に向かって歩いてくる。 その目は余りにも穏やかで、殺意など微塵も感じさせない。 しかし、それが寧ろ姉妹を恐怖に駆り立てた。 一見穏やかに見えるその目は、相手を捕食の対象として捕らえているが故だ。


「姉さま、わたしを置いて逃げてくださいまし…」

「何言ってるの、エリス! 貴女もいっしょに逃げましょう!」

「わ、わたし、恐くて身体が…」


 巨獣の足音が響く度に、エリスの身体はビクッ! と震えた。 生まれて始めて味わう死の恐怖に支配され、エリスは完全に肉体のコントロールを失っていた。


「エリスのこと置いて逃げるわけないでしょう? 私達はずっと一緒だよ」


 リリアは妹の震える手を強く握り締めた。


「私はエリスの事を絶対に一人になんかしない。 私達はどんな時だって、見えない糸で繋がってるんだよ? いつだって一人じゃない。 だから、恐いものなんかないでしょう?」


 繋いだ手から伝わる温もりが恐怖で冷えきったエリスの身体を解きほぐす。


「姉さま…」


 最早、フロース姉妹の目には迫り来る巨獣の姿は目に入らない。 ただただ目の前の愛しいものと見つめ合う。


 溢れだす愛おしさに突き動かされ、二人の唇が重なった時、姉妹の想いは恐怖心を凌駕する。 二人を繋ぐ一本の力線に百合力リリウム・フォルティアが行き交い全身に満ちると、姉妹の魂は燃え立ち、内側から湧き上がる無尽の力。 周囲を染め上げる赫い光は身体強化魔法、鬼神の舞踏ランシフォリアムによるものだ。


「びくびく逃げ回るなんて、私達には似合わない。 そうでしょう、エリス!」

「ええ、その通りですわ、姉さま!」


 フロース姉妹が細身の長剣を抜き放ち構えると、愛の祈りと勝利の宝剣グラジオラスが発動し、眩い光が刀身に収束した。


 突然の豹変ぶりを見せた、フロース姉妹を敵として認識した巨獣は、大地を揺るがしながら姉妹に対して突進する。


 土煙りをあげて迫り来る巨獣。 その動きは巨大な体躯からは想像もつかぬ程に速い。 木々を薙ぎ倒し、全てを踏み荒して蹂躙する圧倒的な質量に巻き込まれてしまえば、人間など瞬く間に轢殺されてしまうであろう。 しかし、フロース姉妹は動かない。 剣を構えたまま、静かに巨獣を見据える。


 フロース姉妹には分かっているのだ。 二手に分断され、どちらか一方が狙われたら打つ手はない。 姉妹のどちらか片方でも臆すれば待つのは死。 しかし、姉妹は決して逃げださなかった。 最愛の人を守ろうとする気持ちは、死の恐怖すら上回る。


 剣が届きそうな程に巨獣が目前に迫ったその時、フロース姉妹は同時に動いた。完全に 同調シンクロした身のこなしで左右に分かれて、突進を回避すると同時に、すれ違う巨獣の前脚に光の刃を叩きつける。


「グロオォォオオォオッ!」


 巨獣の前脚から鮮血が溢れ出し、苦痛の叫びが上がる。 回避しながらの攻撃故に切断するまでは至らなかったが、フロース姉妹の刃は深々と巨獣の骨肉を切り裂いていた。


 本来なら巨獣の突進は、その速さと攻撃範囲の広さから、回避など不可能なはずであった。 しかし、ギリギリまで引きつけてから、完璧に同じタイミングで左右に分かれた事で、どちらを標的とするか巨獣に一瞬の迷いが生じる。 その僅かな判断の遅れが、フロース姉妹の神業的な回避を可能とした。


 巨獣が体勢を崩した隙に、フロース姉妹は素早く合流し、敵から距離を取る。 優位な状況に立ったなら、安易に攻めるべからず。 これは母レヴィの教えだ。 優位な状況では無理に攻めずに、優位な状況を維持すること。 この考えは、あらゆる勝負に於ける鉄則といえる。


 巨獣は体勢を立て直し、再びフロース姉妹に向かって突進を開始する。 しかし、両脚に負った傷の影響で最初程の速さはない。 当然姉妹に完璧なタイミングで突進を回避され、再び前脚に容赦なく斬撃を打ちこまれる。


 ドグォッ! と大斧で大木を伐採するかの如き音が響いて、巨獣の前脚は同時に切断された。 噴き出す血飛沫に溺れる様に、地響きをあげて巨獣が地面に倒れ臥す。


「やりましたわ! 姉さま!」

「まだよ、エリス。 確実かつ徹底的に息の根を止める。 母さんの教えよ」


 母の教えの通りにフロース姉妹は巨獣にとどめを刺すべく、挟撃の構えをとった。


 二人の間に発生する、一本の真っ直ぐな力線で巨獣を捉え、フロース姉妹は湧き上がる百合力を火の魔力アグニス・フォルティアに変換して魔法を放った。


「「スパラキシス切り裂く閃光!」」


 前後から同時に放たれた超高温の刃は、巨獣の頭から尻尾までを縦に切り裂いた。


「ギャロォォオォオオ!」


 断末魔の叫びをあげながら巨獣は爆発炎上した。




 ◇◇◇




「やった! やったんだよ、エリスぅ〜! 私達で倒したんだ!」

「姉さま〜! やはりわたし達二人の前に敵などいませんわねっ!」


 フロース姉妹は全身で勝利の喜びを表現して、お互いに抱き合った。


「ところで、エリス… 貴女、水の魔力アクア・フォルティアの変換って出来たかしら?」

「出来ませんわよ? 今のところ、光の魔力ルクス・フォルティア火の魔力アグニス・フォルティアの変換だけですわ」

「どうしよっかー、これ森林火災……」


 考えなしに火属性魔法を放った代償は大きかった。 巨獣が爆発炎上した際に飛び散った火種は周囲に燃え拡がり、森林火災を発生させていた。 自らが引き起こした惨状を前にして、フロース姉妹は途方に暮れる他なかった。


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