第12話 積極性。

どうも斑雪です。

今回は積極性について自論を語っていきます。

前回の核兵器とは違い、気持ち軽めの内容で発表!!


皆さんは小学生の頃に先生から注意された経験はありませんか?

私は沢山経験しました泣。

何故か、それは発表の回数です。小学生時代の私は中学受験生であり、学校の授業自体あまり興味はありませんでした。もちろん発表なんかしませんし手すらもあげません。

これが私が注意を受けた原因です。

私は授業中静かにしていましたし、うるさい訳ではありませんでした、至って真面目に黙々とノートを書いてはボーっとしていました。

するとある日先生から「何故、手をあげないのか?授業に参加する気はあるのか?」と注意されました。私は驚きのあまり言葉が出ません、私は授業に参加していました、答えも分かってるし授業の分野は完璧と言っていいほどに理解していました。なのに、先生から参加する気があるのかと言う注意を受けたのです。もちろん板書もしていました。

呆然としている私に先生は続けます、「だいたい手を挙げれないということは分からないんだろう?なら尚更質問をするべきだ、行動を起こさないと勉強でついて行けなくなるぞ!!」私は唖然としていました。

こいつ何言ってんだ?ボケてんのか?なんて思っていました。板書してる時点で授業には参加してるし、分からないとこなんてない。それどころか進度が遅いくらいだ。なのに何故、分かってもないのに適当に手を挙げてる人達を差し置いて怒られるのか。

私は先生に怒りを感じました。


皆さんはこの出来事を読んで何を思いましたか?(黙れ自慢はやめろとは言わないでください。)


小学生の授業には様々な人がいます。授業の進度についていけず分からなくなる人、正直小学校の授業は簡単すぎて眠い人、分からないわけではないが完璧ではない人、先生に気に入られたい人。と様々です。


そして小学校では授業中、手を積極的に挙げる人に好感を持つ先生がいます。これが私には理解できないのです。しかもその部類の先生に限って手を挙げない=分からない、積極的ではない、と見なします。

しかし、これはおかしい。正直分かってても手を挙げるのが面倒くさい人もいるでしょう。

でも、学校の先生は手を挙げた回数で積極性を見定めます。

(グーから始まり、手を挙げたもしくは発表した回数を挙げさせられた学校もあるのではないでしょうか。)


この、手を挙げることが積極的である。という考え方は無くすべきです。ただの偏見だと思います。


この手を挙げる=積極的という偽りの積極性を盲信し、本当に積極的に授業を受けている人が消極的だと思われることがとても悔しくてなりません。



あ。おこがましい文章でごめんなさい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る