赤い小悪魔

冷門 風之助 

第1話 

『お願いします!どうしても、どうしても引き受けてください!』

 彼は事務所に入ってくると、ソファにへたり込んだまま、俺が出したコーヒーに手も付けず、うなだれて両肘を膝の上に乗せて肩を震わせた。

 彼の名前は森尾和也、現在都内の某公立大学の一年生、つまりは今年の春に入学したばかりである。

偏見だといってしまえばそれまでだが、この頃は親に金を出してもらって、しれっと大学を何の苦労もなく卒業してという手合いが多いようだが、この森尾君はどうやらそうではないらしい。

 幼い頃に両親が離婚し、その後は歳の離れた姉と二人で、母親の手一つで育てられ、その母親を楽させようと、自分自身も昼間は工場で働き、夜は定時制高校に通い、そこでも常に優秀な成績で通し、大学も夜間の二部に入学。将来は司法試験を受けて弁護士になるのが夢だという。

その彼が、何故こんなに泣くのか?

 一番大切にしていたものを台無しにされたからである。

 大学に進学すると同時に、彼は親から離れてアパート暮らしを始めた。

 学校と職場への行き来のためには、どうしたって『足』がいる。

 そこで彼はやっとのことで、中古の400ccの中型バイクを手に入れた。

免許は既に、高校時代に取得していたそうである。

 彼にとっては例え中古であっても、欠かせない『足』となっていた。

ところが、である。

 その『足』を、ある日突然失ってしまったのだ。

 ある日、彼は仕事から学校に行き、そのままバイクにまたがってアパートに帰ってきた。

 泥のように疲れ切って、そのまま食事もろくに摂らずに寝込んでいると、人の騒ぐ声と、サイレンの音で目が覚めた。

 枕元に置いた腕時計をみると、時刻は午後11時になろうとしていたという。

 何があったかと外へ飛び出してみると、アパートの前の駐車場から火の手が上がっていた。

 よく見れば、何と自分のバイクが炎を上げて燃えているではないか?!

 駆け付けた消防車が消火作業により、すぐに鎮火はしたが、彼のバイクと、その隣に駐めてあった自転車は見る影もなく丸焦げになっていた。

 思わず彼はその場にへたりこんでしまったという。

 当たり前の話だが、当然バイクにはガソリンが入っていたものの、それ以外火の気のあるものは一切置いていない。

 隣の自転車も同じだった。

 同時にやってきた警察官に事情を聴かれたものの、さっぱり心当たりがなかったが、どうやら『放火らしい』ということが分かっただけだった。

 自分はこのバイクを、何よりも大切にしていた。

 乏しい給料から金をためて、やっと手に入れたのだ。

 当然、被害届は出した。

 しかし、いつまで経っても警察からは何の連絡もなかった。

 たまりかねてこちらから連絡をしようとしていた矢先、警察から連絡があった。

『犯人が捕まったから、調書の作成に協力してくれ』という。

 彼は交番に出かけてゆき、若い巡査から色々と聞かれた。

 当たり前だが、当然の権利として『犯人はどんな奴だ?』と訊ねてみた。

 だが、巡査は『いや、それは捜査上の秘密でして・・・・』とかなんとか、言を左右にして曖昧な答え方しかしない。

 これでは自分にとって、何の解決にもならないじゃないか。彼は思い、地域を管轄している所轄署にも談判に行ったが、無駄骨であった。

分かったのは、せいぜい、

『どうやら相手が未成年らしい』ということだった。

 警察では埒があかない。そう思った森尾は、大学時代の先輩で、やはり苦学して弁護士になった若手の平賀市郎に、俺を紹介して貰ったのだそうだ。

 平賀からは幾つかの事件で依頼を受け、俺が解決に導いている。

『なるほどねぇ・・・・しかし断っておくが、俺は探偵だ。当たり前だが金がかかる。その点は分かってるだろうね?』

『勿論、分かってます。』森尾は話し終えると涙を拭い、それから正面からまっすぐに俺を見据えた。

彼は傍らに置いたバッグの中から、銀行のロゴが入った封筒を取り出した。

『着手金です。残りは事件が解決してから払います・・・・というより、今の僕にはこれだけしか出せないんです。』

俺は黙って封筒を手に取り、中身をあらためた。

1万円札で10枚、5千円札で4枚入っていた。

『よかろう、引き受けようじゃないか。じゃ、これが契約書だ』


 





 

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