ミニマリストに彼氏は不要か?
昨今はなんだかミニマリストだとか断捨離だとか流行ってますね。
すぐ何かっていうとこいつは本当に要るのかどうか問いますね。
個人的にはあまりいい風潮ではないと思いますよ。
そりゃ床に散らばったゴミは捨てなくちゃいけませんよ。
でもあれもこれもそれもみんな全部いらないなんてB'zの歌詞みたいなこと言っちゃってなんでも捨てちゃうのはいかがなものでしょうか。
そこにあるってことは何かしら意味があるんです。捨てるならよくよく吟味してからにしましょう。昔は扁桃腺とか盲腸とか何かあるとすぐスパスパ切ってたらしいですがあれはあれで一応機能があるみたいですね。
よほど邪魔にならない限り、何かがなくなってから
「うっわあれ捨てたらいかんやつやったやん! どないしよ」
となる方が世の中何かと厄介なのです。
ですから「役に立たないなあこの社員……」とか「うちに転がってるニートの息子役に立たないわぁ」とか思っても何かしらの機能があるんです。あるったらあるんです。
頼むから会社も母上も私をクビにしないで。勘当もヤメて。
彼氏だってそうです。
あれでも一応生きてるんですよ彼氏だって。
むやみに捨てないであげてください。
というわけで『ミニマリストに彼氏は不要か? 』と題して、今回はそもそも恋人の効用ってなんだ?? というお話です。
恋人のいる男性が「恋人必要なのだろうか? 」と悩むのは珍しいみたいですね。
良くも悪くもほとんどの男性は生理的に異性を必要としていますから、そもそも必要かどうかについて悩んでる人はあまりいないように思います。
悩むとすれば
「(他にもっといい子がいるのに)この恋人必要なのだろうか……? 」
みたいな話ですね。贅沢な話ですね。羨ましい限りです。
とはいえ、異性に不自由しない男性にとって、正式に付き合える異性のロットは1つしか空いていないというのは理不尽極まりない状況なわけです。
「結局あの娘とワタシどっちが大事なの?? 」と聞かれてもそりゃ選べませんよ。
あの娘と君はどっちも違ってどっちもいいんだもの。
緑茶か紅茶かなら1つにしようってなるけど、ティラミスとアイスどっちにするって言われたら両方買っちゃおうかなってなるでしょ。
彼らに言わせれば異性というのはそういうものです。
そもそも、そんなアテも余裕もない男性は
「他にアテなんかないよぅ頼む捨てないで……」みたいなスタンスになります。
恥も外聞もプライドも捨ててすがりつきます。
私の友人は、別に異性に不自由しなさそうな容姿をしているにも関わらず、一度彼女にフラれかけた時「2番目でもいいから別れないでくれ頼む」と彼女が部屋に残していった私物(スク水)を抱きかかえてオイオイ泣いていました。
そんなにマインドコントロールのうまい女の子に引っかかったのかと思うくらいでしたが、むしろそういうスタンスの男性の方が多いみたいですね。
「なんだこのアマぁ、そっちがそんな高慢ちきな態度取るってんならこっちだって男が黙っちゃいねえや。おめぇみてえなのはこっちから願い下げよ! 」
こういう男性は今どき珍しいというか絶滅危惧種でしょう。むしろこういうスタンスの女性はよく見かけますが。
きょうびアマぁなんて言った時点で「男女平等参画社会」と書かれた棒を持ったおまわりさんが飛んできて滅多打ちにされるか、LINEのスクショを撮られて「なにこいつ。まぢムリなんですけどウケる」とツイッターに投稿されること間違いなしです。
「恋人の効用」の話でしたね。容量用法をちょっと間違えている人の話は今回しないです。彼女がいる野郎ども(男性諸君)を見ていて、こういうのが効用じゃないかなと思ったことを書き並べると
・交渉力が上がる
異性というのは同性以上にそもそも考え方も一致しなければ感性も違う、時に利害も合致しないという宇宙人みたいな連中です。それでいて生半可に人間のカタチはしているもんだから、わかったようでいてその実お互いわかっていない。
宇宙人と定期的に会ったり同棲したりて、時々喧嘩をしている男性の方がそれを経験していない男性よりも自分の要求をうまく通す交渉スキルは上がる……と信じています。
これは行きつけの宿の親父に
「営業として一皮ムケたいなら女の子一人くらいゲットできなきゃ!ナンパには営業のキホンが詰まってるんだぜ? 」
と言われたことから考えた話です。
昔就活で飛び込んだ企業で「キミ、ナンパできる? 」と唐突に聞かれたこともあります。ナンパ力は直接的な交渉力というより半分ツラの皮の厚さと瞬発的な対人見極め力な気もしますが、それも総合的には交渉力なのでしょう。
ちなみに、私はナンパなんてしたことなかったんですが、とっさに
「はい! できます! もちろんです! そのへんで声かけてきましょうか!」
などと窓から外を指差してテキトーな返事をしました。
・忍耐力が上がる
忍耐と書きましたけど、どちらかというと異文化に対する耐性みたいなものだと思ってます。
異質な他者に対して「我慢する」のも「無視する」のも「うまくいなす」のもスタンスの差こそあれ、対処の仕方であることには変わりません。世の中にはいろんな考えのやつがいるんだなァというのを実戦経験を通して知っているのは強いです。
各所で長期カップルの話とか聞いてると、なんとなく共通して皆「他人への不理解に対する理解」みたいなのがある気がします。
「あいつってこういうとこあるんだよね」
「うん」
「言っても通じないことはわかってて、俺なりには配慮してるつもりだし、あっちも不器用ながら配慮してるんだろうけど」
「食い違っちゃう」
「そう。でもそういうもんって諦めがついちゃってさ。」
というような会話をよくします。
3年越えてほとほと疲れてきて、5年越えて10年選手とかになると、
「そう!これウチの彼氏!オカシイとこたくさんある。でもコレはこういうもん!」
という達観に近い何かが垣間見られることがあります。
結婚のような法的な拘束がない中で、10年なんて長い時間を過ごすのはそれくらいの一本通ったものが必要なんでしょう。
忍耐力というかなんというか、
「努力をいくらしても他人はどうしようもないし、他人からしても自分はどうしようもない。でもそれはそういうものとして関係を続けていく」みたいな覚悟というか矜持みたいなものを感じることがあります。
昔と違って老いることを考えなければ、コンビニもネットもある21世紀では20代から30代くらいまでって娯楽も食事もその気になれば自分一人で賄えちゃうし、これほど独り身が楽しく生きられちゃう時代もないと思うんです。
逆にいうと、なまじ生きられちゃうがゆえに人間関係という肝心なところがついつい疎かになっちゃう気もします。
覚悟の決まらない3年選手くらいの彼氏に分厚くて硬い雑誌でキツい一発をガツンとお見舞いする我らがゼクシィ先輩も『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、わたしは、あなたと結婚したいんです。』とおっしゃってます。
今回の話だと恋愛なんですが、別に恋愛もしなくても死ぬまでは生きられる時代に、(ゼクシィ先輩風にいうと『幸せになれる』)なんであえて恋愛するんだろう? やっぱりした方が幸せになれるのかな? という疑問がたくさん湧いてきます。
オレが、オレたちが
自分よりちょっと上の世代が結婚するようになったり、一方で一人で飄々と生きる道を選択する人がいたりするのを見ていると「人間って人間どうしの関わりの中で生きてるんだよなぁ」というのをどうしても最近考えてしまいます。
『ミニマリストに彼氏は不要か』ってタイトル、
「ミニマリストを女性だと断定する文章である、これは典型的な性的役割分担意識に基づいた信念型誤読である」とかいってボコボコにされないかな。
男の子のミニマリストに彼氏がいてもいいじゃない。
私は無理ですよ、モノがたくさんないと安心できないので。
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