第320話 死ぬときは好きなものを食べたい
魔王の間に現れたセリスはルシフェルに目をやり、その隣にいる勇者に目を留めた。
「……侵入者ですね。私もお手伝いします」
その声には完全に感情が欠落している。彼女の醸し出す無のオーラと、その瞳に広がる底のない闇に、レックスは鳥肌が立つことを止められなかった。だが、隣にいるルシフェルはセリスにニコニコといつもと変わらぬ笑顔を向けている。
「大丈夫だよ、セリス。彼は僕の遊び相手だから」
「何を言っているのですか?そこにいる男は人間、我々の敵です」
有無を言わさぬ口調で告げると、セリスはゆっくりと歩き出した。そんな彼女の目の前に、二人の戦いの余波を喰らった岩の瓦礫が転がっている。セリスは面倒くさそうにそれを一瞥すると、静かに口を開いた。
「……邪魔です」
その瞬間、そこにあった瓦礫があらぬ方向へと飛んでいく。それを見たレックスが大きく目を見開いた。
「ここの扉を吹き飛ばしてたから多分そうだろうと思っていたけど、やっぱり”
「……パラダイス・ロスト?」
「彼女の持つ最強の魔法だよ。何をするにもセリスの思い通りになっちゃうんだ」
「なんだよ、それ。まるで……」
「何をごちゃごちゃとくっちゃべっているんですか?」
気が付けば、セリスは二人の手の届く範囲まで来ている。彼女はゆっくりと手を挙げると、その手のひらをレックスへと向けた。
「魔王城を荒らす不届き者……吹き飛びなさい」
セリスが言葉を発すると同時に、レックスは見えない力に襲われる。クロの重力魔法に似た力であったが、その大きさは全くの別物。抵抗することは許されない絶対的な力。そのまま為すすべもなく後ろへ吹き飛んでいったレックスは壁に叩きつけられた。
「がっ……!!」
受け身を取ることも許されなかったレックスは、背中から来る衝撃に一瞬息が止まる。クロとルシフェルを相手に戦ったレックスの身体はすでに満身創痍であり、壁に埋め込まれたまま動くことができなかった。セリスは静かに手を降ろすと、壁に張り付けになっているレックスの方へと近づいていく。
「……聞いてなかった?彼は僕の遊び相手だって」
その行く手をルシフェルが遮った。セリスは立ち止まり、どうでもよさそうな目で自分の主君を見やる。
「ルシフェル様こそ私の話を聞いていなかったんですか?彼は敵です。敵は排除します」
「彼は敵じゃない。クロの親友だよ」
ルシフェルの言葉に、セリスはピクっと身体を震わし、顔を俯ける。
「彼を殺すことをクロは望んでいないでしょ?」
「…………」
「クロの奥さんだったら、彼を攻撃するより、もてなしてあげた方がいいんじゃない?」
「……を…………すな」
「それとも、もう死んじゃったクロの事なんてどうでもいいってことなのかな?」
「その名を出すなっ!!」
セリスの身体から魔力が突風となって吹き荒れた。あまりの風圧にルシフェルはその場で大きく跳躍すると、レックスの場所まで後退する。セリスは息を荒げる自分をなんとか落ち着かせ、二人に虚無の視線を向けた。
「……その人間の肩を持つということは魔族の裏切り者ということですね?分かりました。魔王軍幹部として侵入者と裏切り者を排除します」
セリスの周りに高濃度の魔力球が無数に浮遊し始める。途方もない力を解放した今のセリスの魔力を凝縮させた球だ、その威力は想像に難くない。
「安心してください。すぐには終わらせません。……真綿でじわじわと首を絞めるように、時間をかけてあなた達の息の根を止めます」
唇を三日月状に歪め、薄く笑うセリス。その顔はさながら狼藉者を地獄へと誘う死の使い。その手から逃れることなど叶わない。
「……起きてる?勇者君」
「……あぁ……ギリギリな」
やっとの思いで壁から抜け出したレックスがルシフェルの横に降り立った。
「こうなった以上、君との遊びは終わりだよ」
「だろうな……で?どうすんだよ、これ」
「魔王と勇者、二人仲良く手を取り合って世界の危機を回避するっていうのはどう?」
ルシフェルが緊迫感のない無邪気な笑顔をレックスに向ける。それを見た彼は一瞬、ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに声を上げて笑い出した。
「なるほどな。あいつが魔王軍に下るわけだ」
「その反応ってことは協力してくれるってことでいいの?」
「あぁ。……まぁ、俺達二人が手を組んだところであれに勝てるか知らねーけどな」
レックスは魔王の間を埋め尽くす程に漂っている魔力球を見ながら半笑いで告げる。多少力を持った人間や魔族じゃ到底敵わない絶望が目の前には広がっていた。
「……別れの言葉は済みましたか?では、いきますよ」
セリスが軽く手を振る。それを合図に浮遊していた魔力球が二人目掛けてつっこんできた。左右に飛びのくレックスとルシフェル。そんな二人を魔力球は容赦なく追尾していく。
「はぁぁぁぁ!!」
レックスは襲い来る魔力球をエクスカリバーで弾きながら、セリスを目指した。だが、あまりの魔力球の多さに地上から攻めることが不可能だと判断する。
「“
背中から光の翼を生やし、レックスはその場で大きく飛翔した。それを見たセリスは顔を顰める。
「人間が鳥の真似事ですか……嘆かわしい」
自分に降り注ぐ魔力球を必死に斬りつけながらこちらへと向かってくるレックスに、セリスは手のひらの照準を合わせた。
「人間は空を飛べません」
突如として、レックスの動きが止まる。翼を失ったレックスは矢で射抜かれた鳥の如く真っ逆さまに落ちていった。
「僕の相手もして欲しいな」
レックスに気を取られているうちに懐まで入り込んだルシフェルがセリスに拳を繰り出す。が、目前で魔力球がそれを防ぎ、その拳がセリスに届くことはなかった。軽々と止められた自分の拳を見て、ルシフェルの額から冷や汗が垂れる。一方セリスは無表情で彼のことを横目で見ただけだった。
「
「そういうことです。私の身体にあなたの攻撃は届きません」
ルシフェルは息を止めると、全力の連打を叩き込む。大抵の相手であれば肉片すら残らないような猛攻を、セリスは涼しい表情で受け切っていた。いや、受け切るという表現は正しくない。彼女自身は何もしていないのだ。勝手に魔力球が反応してルシフェルの攻撃を止めていた。しかも、殴った本人の拳を破壊するほどに硬質化して。
「でたらめ過ぎるだろ!その力っ!」
先ほど地面に落とされたレックスがルシフェルとは反対側から剣を振るう。だが、同じこと。その刃が彼女の肌を傷つけることはない。
「……鬱陶しいですね」
少し苛立ちの混じった声で言うと、セリスは手を上にかざした。すると、レックスとルシフェルの相手をしている以外の魔力球がその形を変えていく。
「私から離れてください」
そのまま軽く手首を返すと、剣や斧、槍などに変貌した魔力球が一斉に放たれた。
「ぐっ!!」
「がはっ!!」
魔力で強化している二人の肉体を容易に切り刻み、その四肢に突き刺さる。そのまま凶器の雨あられを受けた二人はその勢いに押され、地面を滑っていった。セリスが指揮者の様に手を振ると、レックスとルシフェルの身体を貫いていた魔力球は元の球の形状に戻り、再びセリスの周りを浮遊し始める。
「おい……魔王さんよぉ……」
「……どうしたの?」
「……これって勝ち目あんのかよ……?」
身体中から血を流し、息も絶え絶えで地面に這いつくばりながら、レックスが力のない笑みを浮かべた。ここまで実力が違いすぎると、もはや笑うことしかできない。ルシフェルも口端から血を垂らしながら同じように笑うと、なんとか立ち上がろうする。そして、一歩ずつこちらに近づいてくる悪魔を見ながら、魔法陣を構築し始めた。
巨大な魔法陣が四つ。属性は火、水、風、地の基本四属性。四種類の
目の前で目を見張るような魔法陣が出来上がっていく様を見ても、セリスの表情は一切変わらない。絶望的な死の雰囲気を纏いながら、慌てずゆっくりとこちらに詰め寄ってくる。
「……これが僕の全力だよ、セリス!”
「魔法陣など使えません」
その一言で、ルシフェルが渾身の力で作り上げた魔法陣があっけなく霧散した。魔王は僅かに目を見開くと、諦めたような笑みを浮かべる。
「……どうやら、勝ち目はないみたいだね」
「……そうみたいだな」
レックスも残りの力を振り絞って立ち上がり、エクスカリバーを構えた。それが無意味である事はよくわかっているが、それ以外どうすることもできない。ルシフェルも両腕を上げ、セリスと戦う構えだけは取る。
「平伏しなさい」
そんな二人に宣告される無慈悲な言葉。再び二人の身体は地面に張り付くことになった。
「あなた達二人の相手をするのも飽きてしまいました」
地面に俯せになったまま動くことができない二人にセリスは冷たい視線を向ける。
「そろそろお別れと参りましょうか……何か言い残したことはありますか?」
セリスの言葉を聞いたレックスは、不可視の力に押しつぶされながら彼女へと軽い笑みを向けた。
「……そうだな……肉厚なステーキが食べたい……」
「……僕はショートケーキがいいかな……クリームたっぷりの……」
「……そうですか。今すぐに死にたいようですね」
セリスは僅かに顔を歪めると魔力球を操り、二人の上に結集させる。複数の魔力球が結合し、出来上がった巨大なギロチンが二つ、静かに罪人達を見下ろしていた。
「それではお二人とも、さようなら」
躊躇や迷いなど一切ない声でセリスが告げる。そして、審判を下すが如く、二人の上に掲げた手を素早く振り下ろそうとした。
「───おいおい、随分と俺の嫁さんがハッスルしちまっているようだな」
セリスの手がピタリと止まる。恐る恐る声のした方へ顔を向け、そこに立つ男を見て大きく目を見開いた。黒いコートに気怠そうな目、特徴のない体型に可もなく不可もなくといった顔立ち。
「よっ、セリス。虫の居所が悪い感じか?」
そこには笑顔で手を振っている魔王軍指揮官の姿があった。
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