第269話 叱咤
少し薄暗い城の中をマリアと二人で歩く。周りには誰もいない。俺達の足音だけが寂しく反響していた。
「……なんだか久しぶりだね」
「……そうだな」
短い言葉に短い返事。上手く会話を続けることができない。前はもっと……こう……自然に会話できた気がするんだけど。
それから無言のまま十分程城内を歩き回った。その間、俺はマリアの顔を一度も見ていない。だから、マリアが今どんな顔をしているのか全然わからない。
「……なぁ、マリア」
このままだと、したくもないのに城を隈なく散策することになっちまう。俺は意を決したように口を開いた。だけど、それ以上言葉が続かない。名前を呼んだはいいものの、俺は何も言えずに視線を下に向ける。そんな俺を見て、マリアが小さく笑った。
「アルベール君、少し痩せた?」
「へっ?」
予想外の言葉に思わず声が裏返る。
「なんか顔のあたりがね。シュッとしたというか、げっそりしたというか」
「そ、そうか?自分じゃわからないけど……」
「男の子は体重なんて気にしないもんね。女の子だったら一喜一憂して大騒ぎだよ」
なんかこの感じ懐かしいな。マリアが学園にいた時はこんな風に会話してたっけ。でも、前とは少し雰囲気が違う。いつもおどおどしていたマリアが堂々としている気がする。これだと、立場が逆転しちまってるな。
「王都に戻ってきて、親父さんの仕事を手伝っているらしいな」
「私には魔法や剣よりもこっちの方が性に合ってるみたいなんだ。なんだかんだ言っても私には商人の血が流れていたみたい」
太陽のように笑うマリア。目を背けそうになるのを必死に堪えながら、俺はずっと心の中で引っかかっていたことを思い切って聞いてみることにした。
「……マリアが王都に戻ってきたのは、あいつの正体を知ったからなのか?」
「うん、そうだよ」
やっとの思いで聞いたっていうのに、やけにあっさり答えられちまったよ。
「私は学園を抜けて魔族領に向かったの。理由は……アルベール君ならわかるよね?」
「……あぁ」
マリアが魔族領に行ったわけ、あいつの復讐を果たすこと。そうか……俺が以前やる気になったのもそれが理由だったか。
エルザ先輩とマリアの激闘を目にして、このままじゃダメだって思ったんだ。だから、マリアとどっちが先に
結局、行動を起こしたのはマリアの方だけだったけどな。俺は何かをやっている気になっていただけで、その実何も成し遂げてはいない。
「……本当に様子がおかしいんだね。フローラからは聞いていたけど」
「フローラから?」
「うん。私がいない間のことは大体。……勇者の試練のことも」
あぁ、聞いちまったのか。なんとなくマリアには聞いて欲しくなかったんだけどな。
「ただでさえあの戦争から帰ってきてからフローラの様子が変なのに、アルベール君までこんな感じだとエルザ先輩もシンシアも困っちゃうでしょ」
「そう……だな」
俺は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。二人ともそれぞれ自分の事で精一杯なはずなのに、時間があれば俺の事を気にしてくれている。
今日だってそうだ。寮に閉じこもってたらエルザ先輩が無理矢理俺を外へと引きずり出した……いや、引きずり出してくれたんだ。感謝はしてる。してるけど、それに応えられない俺がいる。
「勇者の試練って大変だったんだってね。右も左もわからない迷宮に迷い込んで、ゴールにたどり着いたら自分の中にいる最も強い相手と戦わないといけないんでしょ?」
「あぁ、そうだ」
「フローラはアベルさんと戦ったらしいけど……アルベール君の相手は誰だったのかな?」
マリアが俺の顔を覗き込んでくる。その目にははっきりと解答が映っていた。俺はマリアから視線を逸らしながら、この出来レースのクイズに答える。
「俺が戦ったのはクロムウェル・シューマンだ」
無色透明な声。自分でも驚くほどに。
「そうなんだ」
マリアの返事もひどく淡白なものだった。再び俺達の間に静寂が訪れる。
渡り廊下のような所に出た。お城で働く人と何人かすれ違ったが、誰も俺達には目もくれない。みんな、自分の仕事に必死になっていた。
「……じゃあ、諦めちゃうんだ」
不意に紡がれる言葉。俺の足がピタリと止まる。マリアは振り返ると、柔和な笑みを俺に向けていた。
「そう顔に書いてあるよ?レックス・アルベールはクロムウェル・シューマンには敵わないから、追いかけるのをやめるって」
「………………」
答えることはできない。出来るわけがない。なぜならその通りだからだ。
「アルベール君らしくない……ううん、らしいのかな?アルベール君は何でも出来る凄い人だけど、実は心が脆い時があるから」
マリアの表情は相変わらず優しげなままだ。言葉はこんなにも厳しいというのに。
「なら、クロ君の親友であることも諦めちゃうんだね」
「……どういうことだ?」
「だってそうでしょ?」
少し強い口調になってしまった俺のことなど意に介さず、マリアが慈愛に満ちた笑顔を見せる。
「彼は完璧なあなたの隣にいるために、想像絶する努力を重ねてきたというのに、あなたはその親友から逃げようとしているんだもの」
だが、その目は一切笑っていなかった。
「それなら、親友でいる資格はないんじゃないのかな?」
……ここまできつい事を言われたのなんて、母親以来だ。でも、何にも間違っちゃいない。ズキズキと痛む俺の心臓がその通りだと、と声高に騒いでいやがる。
「今のアルベール君を見たら、クロ君はきっとこう言うと思うよ?」
そう言うと、マリアはその可憐な顔であいつの仏頂面を再現する。
「『くだらねぇ事うだうだ考えてないで、さっさと追いついて来い、大バカ野郎』」
―――その言葉を聞いた瞬間、マリアの後ろにあいつが見えた。呆れたように俺を見つめる、あいつの姿が。
俺は目を見開いたまま、金縛りにあったみたいにその場から動けなくなった。心臓が高鳴る、血の流れる音がする、細胞が怒声をあげる。
一体何をしているって言うんだ、俺は。あいつに負けるのなんていつものことだろ。少しばかり自分の強さに自信がついて、それを見事に打ち砕かれたからもう終わりなのか?違うだろ?俺はいつもここから始まるんだろうが。
忘れていた。完全に見失っていた。俺はあいつのなんだ?親友だろ?あいつと同じ場所に立ってやるのが俺の役目なんだよ。
俺の顔を見たマリアがくすりと楽しげに笑った。
「やっぱり二人は特別なんだね。多分二人の間には誰も入ってはいけないんだろうな……少し嫉妬しちゃうかも」
「俺はあいつの真似が上手いことに嫉妬するけどな」
「ふふっ、前にも言ったでしょ?いつもクロ君の事を見てたって」
マリアが少し得意げな表情を浮かべながら嬉しそうに言う。嫉妬の対象を勘違いしてるな。……まぁ、しょうがないか。
俺は苦笑いを浮かべながらマリアの顔を見つめる。
「また、マリアに救われちまったみたいだ」
「ん?私は何もしてないよ?……もし気持ちの変化があったのだとしたら、それはアルベール君自身が何かを克服したってことじゃないかな?」
「そうなのかな……でも、お礼は言わせてくれ。ありがとう」
「くすっ、どういたしまして」
マリアは楽しそうに笑った。その笑顔に惹かれる自分を、俺は責めることができない。
「レックス!!」
突然、大きな声で名前を呼ばれた俺は声のした方へと目を向ける。あの遠くから走ってきているのはフローラか?確か今は城で剣術の指導を受けている時間のはずだが……いやに切羽詰まった顔してるけど、何かあったのか?
マリアも眉をひそめる中、息を切らせながら近づいてきたフローラはいきなり俺の肩を鷲掴みにした。
「フ、フローラ!?」
「レックス、落ち着いて聞いて」
フローラの目は必死だ。フローラがこんなに慌てるなんて、一体何があったって言うんだ。
フローラは大きく息を吐き出すと、真剣な顔で俺の目を真っ直ぐに見据える。
「あなたの村が魔王軍指揮官に襲われたわ」
えっ?
俺は一瞬にして頭の中が真っ白になった。
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