第219話 女性を口説くには策略よりも甘い言葉

 何の前触れもなく現れた女のあまりの美しさに、研究者達はハッと息をのむ。女好きなアイソンもごくりと生唾を飲み込んだ。


「これは……想像以上の大魚が釣れたようだな。これだから釣りはやめられない」


 謎の美女はアイソンを一瞥すると、ゆっくりとアルカ達の方へと足を進める。そして、その場にかがむと、二人に回復魔法を唱えた。意識を取り戻したロニは助けてくれた相手を見てぎょっと目を見開き、おずおずと後ろに下がる。金髪の女性は特に気にした様子もなく、ロニから視線を外すと、愛でるようにアルカを抱き上げた。アルカはうっすらと目を開け、自分を抱き上げた女性に目をやる。


「……ママ……?」


「もう大丈夫ですよ、アルカ」


「うん……黙ってこんなことしてごめんなさい……」


「まったくです。帰ったらお説教ですからね?」


 セリスが優しく笑いかけると、アルカは安心したようにセリスの腕の中で目を閉じた。


「ママ?……つまり、あの子供の母親という事か?」


 片方はダークブルー、もう片方は黒というオッドアイの女性に、アイソンは親愛を込めて笑みを向けた。


「初めまして、見目麗しいマダム。私はこの研究施設を執り仕切っているアイソン・ミルレインと申します」


「……私は悪魔族の長、セリスと申します」


 丁寧な口調ではあるが、その声に一切の抑揚はない。セリスの素性を聞いたアイソンは内心ほくそ笑んだ。まさか悪魔族の長が出張ってくるとは、予想以上の成果と言わざるを得ない。


「こんなにもお美しい方が悪魔族の長ですか。それは羨ましい限りで」


「お世辞でも嬉しいですね」


「ご謙遜を!あなたのような女性は見たことがない!!花も恥じらうとはまさにこのことですな!!」


 ニコニコと嘘くさい笑みを浮かべるアイソンに対して、セリスは表情に一切の変化はなし。アイソンはセリスの肢体をじっくりと観察しながら、頭の中でプランを練り上げる。


「さて、長話もなんですし、早速本題にまいりましょうか」


 そう言ってアイソンは網にとらわれているメフィスト達に目を向け、わざとらしく肩を落とした。


「まことに残念な話なのですが、あなたの部下は我々に危害を加えようとしました。特に何かをしたわけでもないのに、一方的にですね」


「なっ……!!お、お前らは俺達の住処に攻め込もうとしていたじゃないか!!」


 セリスのおかげで喋れるほどに回復したロニが地面に倒れながら喚き声をあげると、アイソンはギロリとロニを睨みつける。


「我々はそんな野蛮なことはしない。一緒にしないでいただきたい」


「はぁ!?嘘つくんじゃ……!!」


「それとも、証拠でもあるというのか?」


「ぐっ……!!」


 アイソンがゴミでも見るような目を向けると、ロニは悔しそうに俯き、それ以上何も言えずに口籠る。


「失礼しました。くだらない横やりが入ってきたもので」


「お気になさらず。続けてください」


 アイソンが困り顔で笑うと、セリスはどうでもよさそうに話を促した。


「お心遣いに感謝いたします。……結論から申しますとですね、これは非常に由々しき事態なのです。戦争になってもおかしくはない」


「戦争ですか?」


「その通りです。魔族と人間は極度の緊張状態にあるため、こういったことでも引き金になりかねないのです」


 アイソンの言っていることは正しい。確かに、些細なきっかけで魔族と人間の戦争が始まってもおかしくはない状況ではあるのだ。


「だが、私はそんな事を望んではいない。戦争など悲しみを生むだけだ」


 アイソンが演技じみた様子で大きくため息を吐く。


「ですが、私も人間である以上、今日この場で起こったことは上に報告せねばなりません。そうしなければ国家反逆罪の罪に問われてしまう」


「なるほど、それは困りましたね」


 口ではそういっているものの、セリスの声に変わりはなかった。その事に僅かな疑問を感じながらも、アイソンは計画通りに話を続ける。


「……一つだけ、魔族の皆さんを救える道があります」


「そうなのですか?」


「はい。セリスさん、あなたが私のパートナーになる事です」


「パートナー?」


 セリスが小首を傾げた。アイソンの言っている事がまったくもって理解できない。そんなセリスに、アイソンが朗らかに笑いかける。


「身内になるという事です。種族の壁を超え、我々が人間と魔族の架け橋となり、長きに渡る因縁にも決着がつく、というものです」


「身内になる……つまり、あなたの妻になれ、と?」


「そういう事ですね。そうすれば、今日起きた事も水に流しますので、戦争にもなりません」


 もちろん、アイソンにその気はまるでない。適当にその魅惑的な身体を楽しんだ後は、セリスを始末して王国に報告するつもりだ。だが、そんな思惑はおくびにも出さない。


 セリスは静かに考えていたようだったが、この日初めて表情を変化させた。


「それはとても魅力的なお話ですね」


 男を魅了する微笑み。色んな女を抱いてきたアイソンですら心臓が高鳴るほどであった。


「で、では!!」


「どう思いますか?」


「へっ?」


 突然投げかけられた意味不明な質問に、アイソンが間の抜けた声を出す。だが、セリスが尋ねた相手はアイソンではなかった。まるで、見えない誰かと話をしているように、セリスは虚空を見つめている。


「……わかりました。そう命じられてしまえば、従わざるを得ませんね」


 セリスは少し頬を染めながら嬉しそうにはにかむと、すぐに表情を無くし、アイソンへと目を向けた。


「これ以上あなた達と話していてもあまり意味がありません。……なので最後に一言だけ」


 口調も平坦なものに戻る。そのまま後ろに控える研究者達にも、冷たい視線を走らせた。


「あなた達はこの世界で最も怒らせてはいけない人を怒らせました」


 研究者達が困惑を露わにする。セリスが言う、最も怒らせてはいけない人物に心当たりがない上に、なぜその話を急にしたのかもよくわからない。アイソンも怪訝な表情をセリスに向けた。


 そんな彼等を呆れた顔で見渡し、大きく息をつく。


「本当……愚かな人達ですね」


 その言葉に呼応するように、夕日に照らされていたこの場が、突然巨大な黒い影に覆われた。

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