第192話 無力

「遅いですねぇ……」


 大聖堂の長椅子に座りながら、シンシアが大きくため息を吐いた。


 レックスとフローラが勇者の試練を挑み始めてから、早三日。残されたシンシアとエルザは、大聖堂でひたすら二人の帰りを待つことにしかできなかった。


「勇者になるための試練だ。そんな簡単なものじゃないだろう」


 エルザが聖堂の壁に寄りかかりながら軽い口調で答えた。その目はしっかりと試練への扉に向けられている。


「エルザ先輩は心配じゃないんですか?」


 その口ぶりにシンシアが少しだけむっとした表情を見せる。エルザは扉から目を離すと、シンシアに優しい眼差しを向けた。


「そうだな、心配はしていない」


「そんな……!!なぜですかっ!?」


「私はあの二人を信じている。シンシア、お前もそうだろう?」


「っ!?……そうですね」


 シンシアが口を結びながら顔を下に向ける。


「……ごめんなさい。待っていることしかできない自分にイライラしてしまったみたいです」


「それは私も同じことだ。手が届くところで仲間が頑張っているというのに……何もできない自分が情けない」


 エルザは下唇を噛みしめた。フローラとレックスの旅に同行した時からこうなることはわかっていたのだ。自分にできることは二人を無事にエルサレンへと連れていくことだけ。その後は座して待つしかできないただの置物に成り下がる。


 悔しそうな表情を浮かべるエルザをシンシアが何も言わずに見つめていた。その気持ちは痛いほどわかる。ここまでくる道中、三人のサポートしかできなかったシンシアは特にその気持ちが強かった。


 隣ではいつものように信者の女性が勇者の像に向かって祈りをささげている。シンシアはゆっくりと像に視線を動かすと、しっかりと指を組み、ギュッと強く目を瞑った。


「ほっほっほ……こんな所におったかの」


 そんな二人に声をかける者が一人。三日間、大聖堂にい続けたというのに誰からも話しかけられなかった二人は、驚きながら同時に声のした方に目を向ける。そして、目線の先に立っている人物を見て更に目を見開いた。


「こ、校長先生!?」


「が、学園長!?」


「久しぶりじゃな。シンシア、エルザ」


 目をぱちくりさせている二人にお構いなしで、マーリンはニコニコ笑いながらのほほんと手を挙げる。


「なぜ、学園長がここに!?」


「ふーむ……説明したいのは山々なんじゃが、レックスとフローラの姿が見えんのぉ……」


 エルザが慌てふためきながら尋ねると、マーリンは遠くを見るように手を翳しながら、キョロキョロと聖堂内を見回す。


「マーリン様!二人は」


「勇者の試練の真っ最中、という事かの?」


「そ、そうです!」


「それは困ったのぉ」


 言葉の割にはなぜか楽しげなマーリン。まったく事情が分からない二人は眉を顰めながら首を傾げるばかり。


「学園長。お話を伺ってもよろしいですか?」


 落ち着きを取り戻したエルザが冷静な声でマーリンに話しかける。マーリンはエルザに目を向けながら、自慢の髭を撫でつけた。


「ううむ……お主たちとは関係のない話なんじゃがのぉ」


「なら話を聞かせていただいてもよろしいかと」


 エルザは一切退く様子はない。マーリンがこんな所まで来ている以上、何もないというのは通らない。


 マーリンはしばし逡巡したようだったが、諦めたように息を吐いた。


「実は王の命令での。今王都は大規模な魔物暴走スタンピードに見舞われておるんじゃ」


「えぇ!?」


 シンシアの声が聖堂内に響き渡る。慌てて自分の手で口を塞ぐと、周りの目線を気にしながらシンシアはマーリンに目を向けた。


「……本当なんですか?」


「嘘をついても仕方ないじゃろう。今やマケドニアの街は暴走した魔物で埋め尽くされておる。少しでも戦力が欲しいということで、フローラとレックスの力が必要だった、というわけじゃ。まぁ、いないのであれば仕方がないがの。ということで、儂は城へと戻るとするかの」


「学園長」


 その場で転移魔法を組成しようとしたマーリンにエルザが声をかける。


「私も連れて行ってください」


「わ、私も!!」


 エルザの言葉に反応したシンシアが手で自分を示しながらマーリンに詰め寄った。マーリンは二人を交互に見つめながら、顔をしかめる。


「二人が来たところでそれほど戦力が変わるとは思えんのぉ」


「それでも、ここでジッとしているよりはましです」


「むぅ……」


 マーリンは困ったようにぽりぽりと頭を掻いた。二人の表情を見る限り、どちらも退きそうにはない。


「……ならどちらか一人じゃ。二人ともいなくなったら、レックスとフローラが帰ってきたときに戸惑ってしまうじゃろうて」


「確かに……シンシア」


 マーリンの言葉に頷いたエルザがシンシアに真剣な表情を向ける。


「ここは私に任せてくれないか?」


「エルザ先輩……」


「魔物の討伐なら私の方が向いていると思う。シンシアは二人の帰りをここで待っていて欲しい」


「わ、私は……!!」


 何か言いたげに口をパクパクさせたシンシアは、結局何も言わずに顔を下に向けた。


「……そうですね。エルザ先輩が向かう方がいいです」


「ありがたい」


 自分ができるのは誰かのサポート。自分一人の手で魔物と戦うのは些か以上に力が足りない。その点、剣も魔法も達者なエルザであれば、城にいる騎士達に引けを取らない活躍ができるだろう。どちらが行くべきかなど、子供でも分かることだ。


 エルザはシンシアに頭を下げると、マーリンに向き直る。


「学園長、お願いします」


「ふむ。それではシンシア、また学園でな」


 マーリンはエルザを連れて、その場で転移魔法を発動した。


 大聖堂に一人残されたシンシアは俯き、奥歯を噛みしめながら、腕を落としたまま両拳を強く握りしめる。


 戦えない自分が憎い。


 何もできない自分が憎い。


 力から逃げる自分が……憎い。


 何も言わずに祈りをささげる信者達が集う大聖堂で、シンシアは肩を震わせ、耳にしたイヤリングを握りしめながら、ただ一人立ち尽くしていた。

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