第144話 自分が怒っている以上に激怒している人が近くにいると、不思議と怒りが収まる
険悪。
この部屋の雰囲気を表すのに、これ以上ふさわしい言葉はないだろ。
『サバンナ』の前で獣人族達と一悶着起こそうとしていた俺達の前に現れたゴアサバンナの長、ライガ。
部下から一通り話を聞いた後、「ついてこい」の一言だけで、それ以上は何もなし。そのまま石造りの四角い要塞みたいな屋敷に連れてこられたんだけど、まじで空気がやばい。
今この部屋にいるのは五人。俺とセリス、ライガはいいとして、後二人獣人族のやつがライガの後ろに控えている。
一人は闘技大会で俺と戦った露出度高すぎる
もう一人は初見の男。ライガに体格は劣るものの、服の上からでもしっかりと鍛え上げられているのが見て取れる。
三人とも不機嫌そうな表情を浮かべたまま、口を開こうとしなかった。
「……こちらを招いておきながら自己紹介もなしですか?」
そんな中、この部屋にいる誰よりも機嫌が悪いセリスの冷たい声が口から飛び出す。こいつが話すたびに部屋の温度が2、3度下がりそうだ。
表情はいつも通りなんだが、身体から発している怒気が半端ない。やはり下っ端がアルカの事を悪く言ったことに相当お冠なんだな。
ちなみに俺はというと、ぼーっとライガとそれ以外の二人を見比べていた。
いや、だって隣にいるセリスがこんな怒ってると、なんとなく怒る気になれねぇ。むしろ、一緒に怒られてんじゃないかって思えて、背筋がピンってなるわ。
それにライガと他の二人の違いが気になるのも事実。シェスカともう一人の獣人は猫耳やら犬耳が頭からぴょんって立ってるのに、ライガは毛深い所以外人間と遜色ない。
動物の種類によって差があんのかな?それとも動物の耳だけ出して、萌え路線を狙ってるとか?
いや美人なシェスカはいいにしろ、ガチムチ野郎に萌えなんて……。
「くだらない事を考えていないでください」
……静かな声でセリスに怒られました。それもこれもこいつらのせいだ。
俺は八つ当たり気味に前にいる三人を睨みつける。俺の視線に訝しげな表情を浮かべたライガは、すぐにセリスの方に目を向けた。
「……自己紹介って言っても、セリスは二人のこと知ってるだろうが」
「私にではありません。クロ様にです」
そんな当然のこともわからないのか、と言わんばかりに、セリスはライガを見ながら冷たく鼻を鳴らす。ライガは悔しそうに奥歯を噛むと、憎々しげに俺を睨みつけた。八つ当たりしてんじゃねぇよ。パクりか。
「……右がシェスカで左がザンザだ」
ぼそぼそと虫が囁くような声でライガが二人を紹介する。いや、紹介って言わねぇだろこれ。殆ど独り言だったぞ。
でも、まぁ、一応名前を教えてもらったんだからこっちも返すのが筋だよな。
「知ってると思うが、俺は魔王軍指揮官のクロだ。よろしくな」
……えっ?なにこいつら。会釈どころか頭すら下げてこないんだけど。
しかもザンザとかいうやつの恨みのこもった視線がやばい。焼肉屋で大事に育て上げていたカルビを横から掻っ攫われた時の目をしてやがる。ライガよりも憎しみが込められてんじゃねぇか?俺なんかしたっけ?
いや、そんなことよりもだ。甚だ不本意ではあるが、人間である俺がそんな視線を向けられることは以前にもあった。だから、いい気分はしねぇが納得はできる。
問題はシェスカの方だ。
確かに俺に対して、別にいい顔をしているわけではないが、こいつが睨んでいるのは、あろうことかセリスの方なんだよ。ザンザと負けないぐらい鋭い視線をセリスにぶつけてやがる。そして、向けられているセリスは、そんな視線など御構いなしといった様子。
これは今までにないパターンだな。どこへ行っても、幹部であるセリスは一目置かれていたし、サバンナの門番達だってセリスに喧嘩を売るような真似はしなかった。セリスのやつ、シェスカになにやらかしたんだ?
「で?てめぇは何しに来やがった?お呼びじゃねぇのにこんなとこまで来て、うちの部下と揉め事とか舐めてんのか?」
ライガがこちらを威圧してくる。完全に「や」のつく人じゃねぇか。エンコ詰めろ、とか言ってきてもおかしくねぇぞ。
だが、俺は脅しには屈しない。つーか、ネコ科の分際で脅してきてんじゃねぇよ。去勢すっぞ。
「ふざけん」
「ふざけた事を言わないください。揉め事が起きたのはそちら側の責任です。こちらは魔王軍の指揮官ですよ?いわばルシフェル様の次に敬意を表すべき存在です」
「はぁ!?前にも言ったろうが!!俺はこいつを指揮官なんて認めてねぇって!!」
「あなたが認めようが認めまいが、そんな事はどうでもいい事です。事実としてそうなのですから」
セリスが有無を言わさぬ口調で言い放つ。俺もライガも思わず口籠った。
「私達の要求はたった一つです。大人しく視察に協力してください。あなた方の感情でこちらの仕事が差し支えるわけにはいかないので」
それだけ言うと、これ以上何も言う事はない、と言わんばかりにセリスは口を閉ざす。
あー……うん。優秀な秘書が俺の言いたいことを全て言ってくれました。正直、俺必要なくね。
セリスの言葉に反論の余地が見つからないライガが悔しそうに俺を睨みつけた。いや、だから睨む相手が違うだろうが。今回俺は何にも言ってねぇだろ、っつーか何にも言えなかったわ。くそが。
「……親父」
しばらく無言の睨み合いが続いていたが、その沈黙を破ったのはライガの後ろに立っているザンザだった。ライガが俺から視線をきり、そちらに目を向ける。
「なんだ?」
「指揮官の野郎はともかくセリスさま……ゲフンゲフン……チャーミルの長に迷惑をかけるわけにはいかないだろ。視察なら俺の仕事を見せるよ」
えっ?今こいつセリス様って言わなかった?気のせい?
ザンザはライガに話しかけながら、ちらちらとセリスの方を見ていた。こいつもしかしてセリスに気があんのか?
そんなザンザを見ながら、ライガは呆れたようにため息をつく。
「ザンザ……お前がセリスのファンなのは勝手だが、この場に私情を持ち込むな」
「な、な、何を言ってんだよ、親父!た、確かに俺はセリス様ファンクラブ名誉会員だが、それとこれとは話しが別だ!ほ、他の幹部に悪印象を持たれたら、結果的に親父の不利益に働くからだよ!」
ジト目を向けているライガにザンザが必死に弁解する。だが、その必死さが逆に怪しい。いや、怪しいっつーか確定だろ。こいつは視察と銘打って、セリスと一緒にいたいだけだ。なんだよ、セリス様ファンクラブ名誉会員って。
「ザンザの事は信頼している。だが、セリスに関しては別だ。お前はセリス関係になるとポンコツになるのが目に見えている」
「そ、そんなわけないだろ!べ、別にご尊顔を拝見していたいために、こんな事言ってるわけじゃないよ!」
おいおい、本音が出てるぞ。ご尊顔を拝見って。
「認めるわけにはいかねぇ。なんとなく嫌な予感がするんだよ」
「そ、そんなぁ……」
ザンザが絶望にも似た表情を浮かべる。だが、すぐに必死な形相でライガに詰め寄った。
「だ、だったら親父の仕事を視察させんのかよ!」
「なっ……!?」
「だってそうだろ!?親父がいくら突っぱねたところでこいつらの仕事はそれなんだ!何度だって来るだろうよっ!」
ザンザの言葉を聞いたライガは難しい顔をしながら腕を組む。ザンザの言う事は一理あるな。本音を言えばこんな種族、視察なんか真っ平御免被るが、それが俺の仕事なんだ。拒否されても無理やりやるしかねぇよ。
ただ一つ言える事は、俺はザンザの視察なんてしたくない。というか、セリスをザンザに近づけたくない。
ライガは渋い顔をしながら首を横に振った。
「やっぱりダメだ。この野郎に俺たちの仕事ぶりを見せるいわれはねぇ!」
「何言ってんだよっ!魔王様から直々にお達しがあったじゃねぇか!」
「くっ……そ、そうだとしてもだ!余所者に口出しなんてさせねぇ!」
「なら、口出せねぇように完璧な仕事を見せつけてやればいいじゃねぇか!」
「なんだとっ!?てめぇ!!調子にのるのも───」
「いい加減にしないかっ!」
ヒートアップし始めた二人に待ったをかけたのは、それまで一言も発していなかったシェスカであった。二人とも言葉に詰まり、同時にシェスカへと顔を向ける。
「この街の長と、一団をまとめる頭が言い争っていてどうする!?」
シェスカが怖い顔でギロリと睨み付けると、二人はバツが悪そうな表情で顔を背けた。……どこの世界でも女性は強し。
「親父。ザンザの言う通り、魔王様の命令である以上、こちらもある程度妥協しなければいけない事はわかるだろう?」
「そ、それは……」
「そしてザンザ。言っていることは正しいが、私情を挟んでいるのは見え見えだ。お前が誰を好きになろうと勝手だが、この場にそれを持ち込むな」
「あ、姐さん……」
えっと……もしかしてシェスカさんがゴアサバンナの長なのでしょうか?さっきまで盛りの犬のように吠えていた二人が、借りてきた猫のように大人しくなったんですが。
「視察がしたいというのなら見せてやればいい。まずは私がこの二人の相手をしよう。親父もそれならいいか?」
「……まぁ、気に入らねぇことには変わりないが、ザンザに任せるよりずっといい。だが、シェスカは本当にいいのか?」
「私のことは気にしないで欲しい……丁度、問いかけたい事もあったしな」
そう言いながら、シェスカはセリスに鋭い視線を向けた。
やっぱりセリスがシェスカに何かしらしたのは間違いないな。生半可の事ではあんな目を向けないぞ。今は聞けないが、後でしっかり確認しておかないとな。
「話は聞いていただろう。こちらも譲歩するのだ、まずは私の仕事を視察してもらう」
「……えぇ、構いません。結局は全員の仕事を視察することになりますから」
射殺すような視線を真正面から受けながら、顔色一つ変えずにセリスは頷く。正直半端ねぇ。俺だったら2秒で目を逸らす自信があるわ。セリスもシェスカもおっかないことこの上ねぇな。
つーか、大分前から俺だけ蚊帳の外にされていませんかね?
「我々について来ると言う以上、こちらの流儀に従ってもらうぞ。仕事内容は知っているな?」
「……資材の調達だろ?」
久しぶりに口を開いた俺。まじでいる意味皆無。
「そうだ。口でいうのは容易いが、実際は過酷な仕事になる。基本的には数日単位で街を離れ、目的の資材を回収するからな。半月以上戻らないことだってざらにある」
なるほど。門番の奴らが言っていたことも、あながち間違いじゃなかったわけだ。ってことは、今日は本当にナイスタイミングで帰ってきたことになるな。後一日遅ければ、ここは焼け野原になっていただろうし。
「私達の仕事は決まった場所で行われるものではない。当然、視察をするというのなら我々に同行してもらうぞ」
「同行……」
小さな声で呟いたセリスに、シェスカは不敵な笑みを向けた。
「資材調達に赴く我々に宿などない。明日の朝までに野宿できる準備をしっかり整えてくるのだな」
うわぁ……まじか。
野宿はさして問題ではない。ぶっちゃけ俺が暮らしていたハックルベルの家はほとんどテントみたいなもんだったからな。今の生活に慣れたとはいえ、数日のキャンプ生活なんてわけない。
問題は家にいる愛娘の事だけだ。
身の危険はない。ルシフェルとかいう最強の番人がいるし、アルカ自身強さがインフレじみているからな。
だけど、寂しさだけはどうしようもない。
いくら強くなったからとはいえ、アルカはまだ子供なのだ。つい先日、母親と慕っていた者を失い、やっとの思いで帰ってきてからはセリスにべったりなのだ。今の状態で何日も一人で家にいさせるとなると……。
思い悩む俺に、シェスカは小馬鹿にしたように笑いかけてくる。
「なんだ?やはり家に残した子供が気になるのか?一緒にいてやらないと不安でしょうがないのか……或いは、指揮官自身が寂しくて泣いてしまうのか?」
ムカッ。
安い挑発だが、俺には効果覿面だ。寂しくて泣いてしまう?今まで散々ボッチだったんだぞ?そんなわけねぇだろうが。
「いいだろう。俺もうちの可愛い娘も一切問題なんてない。明朝、ここにきてやるから首を洗って待っていろ」
そう吐き捨てると、俺はセリスを連れて、ライガの屋敷を後にした。
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