第100話 完璧という言葉を易々と使ってはならない
ポケットに手を突っ込みながらチャーミルの街を歩く。身体を縮こめ、背中を丸めて歩く俺に、住民達は不快感丸出しの視線を向けてきた。
そういえば人間だから恨まれているんだっけか。
いつもはこんな目で見られないから、なんとなく新鮮だ。だが、気分のいいものじゃない。
俺はこの場から消えるみたいに、更に身体を小さくして歩く。……これは居心地が悪い、なんてレベルじゃないな。
目的もなく、しばらく街を彷徨っていると、先程別れた金髪の美女が立っているのが目に入った。
一瞬足を止めた俺だったが、すぐに顔を落とし、その横を通ろうとする。
「……ルシフェル様に手厳しくやられたようですね」
その声には少しだけ優しさが込められていた。だが、今の俺にとっては、なんの慰めにもならない。
俺は何も答えずに、セリスの脇を抜けていった。
「気づいていましたか?私が昨日からあなたの事を一度もクロ様と呼んでいないことに」
ピタッと足が止まる。俺はゆっくり振り返ると、セリスの背中を見た。
「……いつからわかった?」
「あなたに会った時にはもう。アルカも似たような感じだったみたいですね」
セリスはこちらを見ずに答える。……今は、セリスの顔を見たくなかったから丁度いいな。
「他の人達も少し話したらわかったみたいですね」
「……完璧だと思っていたんだけどね」
僕の口調が変わる。もう、あいつの性格に縛られる必要も無くなった。
「……完璧なんてありませんよ。いつだってどこかに綻びは生まれてしまいます」
そうかもしれないね。僕は微かに笑うとセリスを残し、目的の場所へ歩いていく。
そこは古ぼけた小さな建物。誰もが入ろうなんて思わない錆びた入り口を、僕は躊躇もなく進んでいく。
入り口を抜ければ、すぐに地下へと続く階段があった。僕は慣れた足取りで、その薄暗い階段を降りていく。
そして、階段を超えた先の小さな部屋では誰かが僕を待っていた。今まで寝ていたのだろうか、その誰かはゆっくりと身体を起こすと、僕に目を向ける。
「よぉ。意外に早かったな」
そこにいたのは、端正な顔立ちに似合わない気だるそうな顔をした僕だった。
*
俺は目の前に立つ、無愛想な男を眺める。少し癖のある黒髪、可もなく不可もなくといった顔立ち、厨二チックな黒いコート。間違いなく俺の姿だった。だが、中身は俺じゃない、セリスの幼馴染であるキールのものだ。
「鏡を見ているようで気持ち悪いな」
俺が喋ったはずなのに、聞こえてくるのは澄み切ったキールの声。まじでややこしい。
「……自我を保っているなんて驚いたね。術者の僕ですら君の身体に飲み込まれそうだったというのに」
「うーん……なんか頭の中に意識が二つあるみたいでふわふわしているけどな」
「やっぱり"
"
自身と対象の身体と精神を分け、身体を騙し、精神を入れ替えるぶっ飛んでる魔法。しかも、入れ替わった相手の性格や記憶を自分の中に取り込んじまう。尋問官も真っ青な鬼畜魔法だな。
俺もキールの記憶を取り込んで、この魔法についての知識を得たんだけど、正直、原理は全くわからん。セリスも言っていたが、こいつは紛れもなく天才なんだよ。
俺の姿をしたキールが俺の頭に手を乗せる。一瞬の浮遊感のちブラックアウト。目を開けると、ベットに座ったキールの姿があった。
これでこの不思議な体験も終わりか。キールの研究所だっけか、ここ。意外と居心地よかったんだけどな。
「俺の身体はどうだったよ?」
手近な椅子に腰掛けながら尋ねると、キールは自嘲じみた笑みを浮かべる。
「どうだろうね。セリスとアルカにはすぐにバレてしまったようだし、他の人も似たようなものだったよ?」
「そうなのか?まぁ、上品なお前さんには俺の芋臭ささまでは真似できなかったってことか……って誰が田舎もんじゃい!」
キールは肩を落としたまま、俺の冗談には一切反応しない。スベった感が半端ないんですが。泣きそう。
「君は……本当に変わっているね。こんな酷い事をした僕に普通に話しかけてくるんだから」
「そうか?普通だと思うけど」
「普通は激怒すると思うよ?」
身体が入れ替えられただけで怒ってもなぁ。つーか、そんな経験初めてだから、どう反応したらいいかわからんわ。
「そんなことより、セリスと仲良くなれたのかよ?」
キールが目を見開いて俺の事を見てくる。何驚いてんだよ。さっきまでずっとお前の思考回路だったんだから、狙いはわかってるっつーの。
「そうか……そうだよね。君は僕だったんだもんね」
「そう言われると違和感半端ねぇな」
君は僕だった。なにやら電波系の臭いしかしないんだが、事実だから仕方がない。
キールは天井を仰ぎながら、寂しそうに笑った。
「もう諦めたんだ。結局、君になったところでなにも変わらなかった。セリスの目には僕のことなんて写っていない」
こいつが俺と入れ替わった理由。それは偏に、セリスに自分の事を見て欲しかったから。そのために、いつも近くにいる俺の身体を欲した。
セリスが自分を見てくれない、か。
「本当にそうなのか?」
「えっ?」
「今まで、セリスはお前の事見てこなかったのか?」
「…………」
キールが顔を俯かせる。だが、俺は気にせず言葉を続ける。
「本当はお前が目を背けていただけなんじゃねぇのか?気持ちを伝えて今の関係が壊れるのが嫌で、逃げてただけなんじゃねぇのか?」
「……知ったような口きくね」
「知っちまったからな」
お前が言ったんだろ?俺はお前だったって。お前の隠していた気持ちなんてお見通しなんだよ。
「仮にそうだとしても、もういいんだ。彼女に僕は相応しくないって思ってしまったんだから。こんな卑怯な真似をする僕は、彼女の隣に立つ資格はない」
はぁ……もう、こいつは……。
「僕はこの想いに蓋をする。この気持ちをセリスが知ることもない。それでいいんだ、誰にも迷惑はかから」
「行けよ」
もう我慢の限界だった。このバカ野郎はどこまでうじうじグダグタ悩んでいやがんだ。
「今すぐ行って、セリスに好きだって言ってこい」
「はっ?君は何を……」
「さっさと想いを伝えてこいって言ってんだよ!!」
俺が声を荒げると、キールはビクッと肩を震わせた。だが、俺は止まらない。なぜなら、こいつがどれだけセリスの事を大事に思っているか、知っているから。
「お前の気持ちがそんな生半可なもんじゃないって事は、俺が一番よくわかってんだよ!!そんな押し殺して自然と消えるようなもんじゃねぇだろ!!」
子供の頃から一途にずっと思い続けてきたんだ。それを無かったことにするなんてできるわけがねぇ。
「この想いをいまさら伝えても、セリスに迷惑をかけるだけだし……それに君だって……!!」
「俺とかセリスの事なんかどうだっていいんだよっ!!」
またそうやって逃げ出すのか?人を気遣っているふりをして、そうやって自分の気持ちに背を向けるのか、お前は?
「大事なのはてめぇがどうしたいかだろうが!!このままその大事なもんを捨てちまったら、お前は一生悔やむ事になんぞ!?」
「僕は……!!」
キールが唇を噛みしめる。あともう少しだ。俺は最後の一押をしてやる。
「お前のセリスに対する想いは、そんなもんだったのかよっ!?」
その言葉がトリガーだった。
キールは目に力を宿し、勢いよくベッドから立ち上がると、そのまま階段の方へと進んでいく。
やっと覚悟が決まったか、このバカ野郎。俺は苦笑いを浮かべながら、身体の力を抜き、腰をおろした。
そんな俺に、キールは静かに声をかける。
「……やっぱり、僕は君が嫌いだな」
「俺はお前の事、わりかし気に入っているけどな」
一時はこいつだったんだ。キールの人柄はわかっている。
根は善人でお人好し。ただ、セリスの事となるとたがが外れちまう。本気でセリスを思っているし、誰よりもセリスを心配してる。
いい奴なんだ、本当に。
おまけに俺を毛嫌いしている理由も、個人的な感情ではなく、ちゃんとセリスに繋がっていた。……それを知る過程でセリスの過去を少し知っちまったんだけどな。
だから、気に入ってるっていうのは本音なんだけど、こいつに伝わるかな?
「……それを本気で言っているところが、また嫌いだね」
流石は短い間とはいえ、俺になっていただけのことはある。ちゃんと俺のことはわかっているようで。
キールはそのまま振り返らずに、しっかりとした足取りで階段をかけていった。
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