魔術士探偵物語〜アルムウォーレン事件簿〜

ボンゴレ☆ビガンゴ

長編 『魔術士探偵物語〜アルムウォーレン事件簿〜

第1話 《夢と識り観る夢の中で……》

《夢と識り観る夢の中で……》


 夢だとわかっているのに……。

 夢ならばこそ選べる『もしも』があるとわかっているのに……。

 それなのに、現実と同じ事を繰り返して、覚めて哀しくなる。

 そんなことがたまにある。



 ぼんやりとした焚き火の灯りに照らされて、少年は本を読んでいた。短く揃えられた黒髪に翠玉色の瞳。きっと髪を長く伸ばせば少女と間違われるほどの整った造形。年の頃は十五、六。

「トオルぃ。また読書ぉ?」

 木々の間から出てきたのは彼よりも少し幼い少女。肩で跳ねる癖のある青髪に、いたずらっぽい、つり目がちな蒼玉色の瞳。少女はその瞳で少年の姿を捉えると、甘えた声を出した。

「なんの本を読んでるの?」

 目線は本に向けたまま少年は答える。

「最近、流行ってるファンタジーさ。異世界に召喚された現代の少年が、元の世界に帰るために頑張る話だよ」

「なーんだ娯楽小説か。トオル兄ぃも結構子供っぽいのね」

 少女は少年のとなりにぺたんと座る。ミニスカートから伸びる白い太ももが眩しい。懐かしい甘い髪の匂いが少年の鼻孔をくすぐる。

「辛い現実を忘れるために必要なのは、ささやかなフィクションさ」

「もう、トオル兄ぃったらカッコつけちゃって。物語に逃げるより現実を見ないとダメだぞぉ。いつまでも子供のままじゃいられないんだぞー」

「アリサは嫌なことを言うなぁ。僕よりアリサの将来の方が心配だよ。いっつも問題ばっかり起こしては僕たちに尻拭いさせるんだから」

「大丈夫ですー。わたしはちゃんと勉強もしてますー。トオル兄ぃみたいにフィクションに逃げてませんー。現実世界で生きてますー。異世界なんてありませんー。自由に学校の寮からも出られないクソつまらない現実でちゃんと生きていきますー」

「なんだよもう。今日はやけに御機嫌斜めだな。別に僕だって現実のことくらいちゃんとわかってるよ」

 少年は苦笑する。

「だって、トオル兄ぃが構ってくれないんだもん」

 ツンっとそっぽを向く少女。チラリと少年は横目に見るが、いつものわがまま顔を確認すると、すぐに本に目を戻した。

「構うも何も、もう遅いんだから寝ろよ。明日も早くから移動しないとチェックポイントにつけないぞ。指定時間を過ぎて到着なんてことになったら、また先生に叱られる」

「えー。なら、一緒に寝ようよぉ」

 少女は甘えた声で擦り寄ってくる。

「ばか。もう子供じゃないだろ。一人で寝ろ」

 寄られた分だけ距離を取る少年。少女がいつまでも自分のことを兄の様に慕ってくれるのは嬉しいが、最近の彼女の仕草や体つきが、やけに女っぽくなってきて、少年は参ってしまっている。少女は不満げに頬を膨らませ口を尖らせる。

「えー。ちぇ。つまんないのー。トオル兄ぃは可愛い義妹いもうとより物語に夢中ですかー。いいもんいいもん。明日、トオル兄ぃが寝坊しても起こしてあげないもーん。ばーかばーか」

 身体は成長しても心は子供のまま。駄々をこねる妹分に少年は根をあげた。

「……ったく、わかったよ。続きはまた明日にするよ。現実世界に戻るとするよ」

 パタン、と文庫本を閉じた少年。青髪の少女は「わーい」と再び少年にすり寄ってくる。

「火を消すから、下がってなよ。危ないよ」

 少年は少女を制してから、立ち上がった。

「……はぁ。寝ても覚めても魔術漬けの現実なんだもんなぁ。たまには魔術のないファンタジーな世界に抜け出したくもなるよ」

 ひとりゴチた少年は、手のひらをたき火に向けた。

「消えろ」

 少年が短く呟くと、燃え盛っていた焚き火が一瞬で消えた。

「さあ、アリサ。寝よう。ちゃんと明日の魔力は補充したか? 魔力の精製には夜が一番効率がいいんだぞ。ちゃんと準備しておかないといざって時に魔術が使えなくなって、あの時みたいに泣くことになるぞ」

「もー、わかってるよぉ。とっくに補充済みだから。いつまでも子供扱いしないでよぉ。わたしもう十四歳だよ?」

「はいはい。わかったよ。お前は立派なレディーだし立派な魔術士だよ」

 ポンポンと少女の頭を撫でた少年。少女は嬉しそうに微笑んだ。

「えへへ。あ、そうだ、この先に立ち入り禁止の古代遺跡があるって聞いたんだけど、明日行ってみない?」

「だから、そういうところだぞ、心配なの。寄り道しないでちゃんと演習を終わらせようよ。またガリア先生に怒られるぞ」

「えー、いいじゃん。せっかくこんな森の奥まで来てるんだから。お土産ゲットしてみんなをアッと言わせようよー、ねー、ねー、ねーねー!」

「わかったからひっつくなって。ったく仕方ないなぁ。予定では時間も余りそうだし、ちょっとだけだぞ」

「やったー!トオル兄ぃ大好きー!」

「馬鹿、だから抱きつくなって。ほら、寄り道するんならより一層早く寝なきゃダメだろ」

 少女を引き剥がして、少年はさっさとテントに向かう。

「ああん。もう、待ってよぉ、トオル兄ぃ」

 パタパタと少年を追いかけて少女もテントに入っていった。


 これは夢だ。わかっている。あの頃の夢。

 ……何年たっても、何度も繰り返す夢。


 何故、後悔しているというのに夢の中でも、彼女のわがままを聞いてしまうのか。夢の中でも、同じ間違いを繰り返す。自分が情けない。

 だけど、彼女の無邪気な笑顔を見たくて、たとえ夢と分かっていても、もう現実では見ることのできない彼女の笑顔が見たくて、同じ失敗を繰り返してしまう。


 あれから何年経っても、ずっと。



 ☆



 街外れの小高い丘を、コツコツとハイヒールの音を響かせて歩く銀髪の女がいた。

 二十歳を少し過ぎたあたりだろうか、少女の面影を残すみずみずしい肌に大人の階段を着実に登り始めている凛々しい顔つき。きちっとしたパンツスタイルのスーツがよく似合う、姿勢の良い女だった。

 肩にかからない程度の短めの銀髪を揺らし、地図が描かれたメモを険しい表情で眺めながら蛇行する坂道を登っている。

 女の息が少し上がり、細いふくらはぎに疲労が溜まり、汗の粒が額に浮き出た頃、ようやく拓けた場所に出た。ふう、と薄紅色の唇から湿った息を吐き、ハンカチで首筋の汗を拭う。足は止めずに地図を見る。地図の通りなら目的地はすぐそばだ。

 休憩したい気持ちをこらえ、歩き続けようとした彼女だったが、顔を上げた目の前に美しい景色が広がっていることに気づくと思わず足を止めた。その場所は切り立った崖になっていて広大な海やミニチュアサイズの街並みを一望できたのだ。

 引き寄せられるように崖の縁まで進む。見渡せば慣れ親しんだ美しい街並みと青く澄んだ海。圧倒され、息を呑み、感嘆の声を漏らした。


 すごい、なんて素敵な場所だろう。街外れにこんな場所があるなんて知らなかった。もっと早くに知っていればお気に入りの散歩コースになったかもしれないのに。


 後悔した。彼女はこの街を来週には出て行くのだった。

 思春期を過ごしてきた思い出の街。懐かしい日々への憧憬と、新天地での日々への不安を胸に秘め、しばし街を見下ろす。


 心地よい海風が頬を撫でていく。

 目の前に広がる港町の名は水上都市アルムウォーレン。穏やかなダリル海に面した、このヒイラギリス大陸の中でも一際華やかな街だ。古い街で、はるか昔から現在まで、世界中の様々な文化が街じゅうを流れる運河を通じてもたらされてきた。船乗り達の航海術や、東国の便利な発明品、不思議な模様の織物や北海の珍しい魚に保存食の作りかた、さらには亜人たちの独特なリズムの音楽や宗教観。そして、神の使いがもたらした魔法と、それを模して造られた魔術。


 今日もすでに日用品や食料品、魔力を動力に作動する魔装製品などを売る商人たちのボックスボートが運河に浮かび賑わいを見せている。街の人たちは新しいものに対する好奇心が強く、他国の文化や伝統に敬意を表す人が多い。

 本当に素敵な街だった。望んだ転勤とはいえ、この居心地の良い街を出ていくのかと思うと、やはり心もとないような寂しい気持ちになる。


 この風景を見るのもあと少しか。感傷的な気分になるが、のんびりもしていられない。この問題が片付かない限り安心してこの街を離れることもできないのだ。

 女は手元の地図に視線を戻し表情を引き締めた。

 現在地と目的地を指差して、ぐるりと丘の上を見渡す。すると石造りの四角い建物が見えた。目指した場所はすぐそこだった。


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