中学生のとき恋人未満の女子が突然泣き出して「ごめん」と言われた話
あとーす
中学生のとき恋人未満の女子が突然泣き出して「ごめん」と言われた話
私には高校生になるまでの記憶がまるで無い。思い出す機会が無いので記憶もないと勘違いしているのかもしれない、そう考えて海馬を縦横無尽に駆け巡ってみても、ちっとも記憶にぶち当たりやしない。いや、気体の記憶にぶつかることはある。私の中には、どうやら気体と個体、二つの種類の記憶があるようだ。
例えば昨日風呂に入ったことなどを思い出すとき、私は個体の記憶にぶつかる。昨日持った石鹸の質感や匂いを私は確かに思い出している。しかし質感や匂いを覚えているのは私というよりも私の指や鼻の方であって、強く握れば少しずつ入り込んでいく感触、優しさとそこに眠る石油の毒の香りが、確かに蘇る。
遠い記憶、私の場合は高校時代が限界なのだが、それにも個体のものは存在している。親友との初めての邂逅を私は目と耳ではっきりと記憶しているし、初めて交際した女の子と手をつないだこともこの手がしっかりと覚えている。しかし、どうしてか、中学時代以前となるとさっぱりなのだ。固体の記憶は、片手で指折りできる程度しか存在しない。
気体の記憶というのは言葉で形容しがたいものだ。それゆえに、気体なのである。契機さえなければ私はこの気体の記憶にすら出会うことはほとんどない。ただ、昔のアルバムをめくったり、何か因縁のあるものを目にしたりすれば、私は気体の記憶に包まれる。そう、「包まれる」と形容するのが適切なのだ。私の感覚器官に感覚は蘇らない。ただ、記憶がある、ということだけが確認できる。そこでどういうことが起こったとか、そういうことは説明できる。この日は運動会があって、親友だったケンくんが転びました。そういうことは、記憶として呼び起こされる。しかし、私はケンくんが転んだ場面を視覚的に思い出すことはできないし、そのときに座っていたであろう椅子の感覚や、流れていたであろう応援歌を一切思い出すことができない。ただ、あったという事実だけを思いだし、それに包まれるだけなのだ。
先ほど私は、中学校時代の個体の記憶は片手で指折りできるくらいしかないと言った。しかし、この中でもはっきりと叙述できるような固体の記憶は実のところ一つしかない。いや、記憶群、と言っておこう。そのひとかたまりの記憶群ですらところどころ抜け落ちていたり、記憶違いかもしれないと思う箇所もあるのだが、まあ元来記憶とはそういうものだろう。その、私にとって最も古い個体の記憶群をここに記してみようと思う。
当時中学一年生だった私は、軟式テニス部に所属していた。この記憶は気体であり、私はそこに所属していたことは記憶していても、そこでどのような練習をしていたか、どのような会話をしていたかということを、感覚的に思い出すことができない。また、成績もクラスで一、二番だったはずなのだが、それもなんとなく、常識を思い出すように脳内に蘇ってくる。ただ、事実だけが蘇ってくる。
さて、個体の記憶の話である。その日が何月何日だったかなどと詳しいことはさっぱり覚えていない。その日の朝食に何を食べ、何を見ながら登校したかも覚えていない。個体の記憶の始まるのは、先生が教室に入ってきて数秒後からである。私は手に鉛筆を持っていた。何を書くために持っていたのかは分からない。ただ、私の指がその感覚をしっかりと覚えている。半袖のカッターシャツを着ていたから、夏だったのだろう。私は二年生だった。
その日、ある女の子が私たちの新しい級友となった。いつの時代も、転校生というものには夢がある。彼女の背景には物語があった。その物語にこそ夢がある。彼女の以前住んでいた街、都市。そこに息づく人たちを私は想像した。私の知らない水や空気、食べ物、文化が広がっているのだ。ましてや私は狭い学校社会の中で生きていた。そんな私にとって、違う社会から来た彼女は、私の世界を二倍に広げる可能性を持った少女だったのだ。
先生の後ろから入ってきた少女は、ややうつむいていて、髪が垂れ下がっていた。その漆黒のカーテンで遮られて横顔は全く見えなかった。身長は平均よりやや低いようだった。半袖から伸びる腕は蝋のように白く、あれはきっと絹の肌触りなのだろうと思った。足取りはなんだかぬらりぬらりとしていて、お世辞にも美しい歩き方とは言えなかったが、それに愛嬌があると言えなくもなかった。
教卓の横まで来ると、彼女は顔を上げた。長いと思っていた髪は、どうやらうつむいていたからそう見えたらしく、今は肩の上を惰性で以て揺れていた。そこに、私の聴覚で記憶した個体がある。確かにそのとき、私は髪の揺れる音を聴いた。それは何か重たいものが蠕動する音のようでもあり、澄んだ風が通りすぎるときの音のようでもあった。これは確かに私の記憶として持っている感覚であり、残念ながら、これにぴたりとあてはまる日本語は存在しないようだ。彼女の顔はとても小さかった。肩の上に李でも乗っかっているのかと思ったくらいだ。その中によくも入ったものだというような大きな目が黒々と輝いていた。鼻は団子鼻ぎみで、その下に薄くて小さな唇がついていた。何か喋ったら、裂けてしまうんじゃないかと心配になるくらい小さかった。
彼女は名前を斎藤春といった。性が斎藤、名前が春。この名前をどうやって知ったかは定かではない。先生がその場で言ったのかもしれないし、出席簿をのぞき見たのかもしれない。ただ、彼女が自己紹介をしたのではないことは確かだ。彼女の声が固体の記憶として登場するのは、時系列的にもっと後の話だからだ。春というよりは冬が似合う子だな、と思った。
私からかなり離れたところに空席があり、彼女はそこに座った。そこは丁度、人の隙間を縫って彼女の顔を観察できる位置にあったのだが、先ほども言ったように髪が邪魔をして、どんな表情を浮かべているのかさっぱりわからなかった。
次に掴むことのできる記憶は、それより数週間経ってからの出来事だ。彼女は他の転校生の例に漏れず、級友たちにちやほやされていたに違いない。しかしそれは台風のようなもので、しばらく経ってしまえば一過、途端に静かになってしまう。丁度そんな時期だったのだろう、授業間の十分休憩になっても、彼女の周りに集まる人はいなくなっていた。
その日は席替えがあった、恐らく、朝のホームルームの時間ではなかったろうか。どうやって席を決めたのかは全く覚えていない。あみだくじだったかもしれない。重要なのは、私が数多経験したはずの席替えのうち、この席替えの記憶だけは克明に固体化して残っているということだ。しかし、どのような経緯で席が変わったのかなどということは覚えていないし、もっと言うならば、席を動かして座った瞬間などというのも記憶にない。私の固体の記憶は、彫刻刀を握りしめているところから始まる。
私の学校には美術室というものがなかった。なので、美術の先生は五教科の先生と同じように私たちの教室にやってくるのが常であった。その日も二限連続の美術の授業であったのだろう。その日私が彫刻刀を握っていたからには、その日は版画の授業であったに違いない。無論、何を彫ったのかなどということは一切覚えていない。動物を彫ったような気もするし、自画像を彫ったような気もする。私にとっての重要事項は、斎藤さんにあった。席替えで、彼女は私の左隣に来ていた。このとき、隣の席になったからといって、これといって感慨はなかった。ただ、転校生が隣に来たんだなあ、という感じだった。初めの頃だけうきうきして醒めてしまったのは、他の級友たちばかりではなく、私も同じである。この「来たんだなあ」という感じは、気体の記憶である。彫刻刀を握った私は、さてどのように彫ろうかと思案していたのだろう。斎藤さんに声をかけられたときには、下書きをほぼ完成させ、後は彫刻刀をあてがうばかりだった、と思う。
その時であった。彫刻刀、貸して。斎藤さんは私の肩を叩いて、はっきりとそう言った。二回、叩かれた。私はその感触もそのリズムも思い出すことができる。初めて聞いた、斎藤さんの声も。そう、私は斎藤さんの声をこのとき初めて聞いたのだった。声はその小さな唇から溢れるようだった。ヴォリウムがそれほどあったわけではない。しかし、その声は地を這うようにどっしりとしていた。と言って、低い声なのではなかった。少女特有の中性的な声に、粗野な響きが混じっていた。そのまま零せばぶっきらぼうになりそうな声を、懸命に愛想よく響かせようとする態度が伺えた。私はその声にドキリとしてしまったのだった。右脳の辺りが開けて、光に当てられたような気がした。そこだけ切り開かれて、風通りを良くされたような、そんな心持ちもした。
私はただ、「ああ」とだけ頷いて、彫刻刀を貸してやった。荒削りする用の、一番溝が深く彫れるやつを貸してやった。自分は浅くしか彫れないやつを使うのが、私を紳士にするのだと信じていた。浅くしか彫れない分、それは使いづらかった。実際、私はそういう点においては紳士だったように思う。彼女は、ありがとう、とだけ言って、自分の版画に対峙した。他のやつも使うかもしれないと思って、右端に寄せていたのを左の方に持ってきた。すると、彼女はまたこくりと私に向かって一礼した。
そこで、私の固体の記憶は途切れる。その時間中、斎藤さんは幾度か私と彫刻刀の交換をしたはずだが、その詳細は記憶していない。ただ、その交換の度に、良い?ありがとう、と言っていたのは覚えている。これは固体の記憶といえるか微妙なところである。私の耳はその、良い?ありがとう、を再生することができるが、それは幾度か言われたものを平均値化して結晶化したものであり、気体を結晶化した固体と言えるかもしれない。
美術の授業が終わると、彼女は私にまた、ありがとう、と言った。そのありがとうは、平均値化されたありがとうよりも、やや明るめの声であった。これは、疑うことなく固体の記憶である。
あのとき彼女がどうして私に彫刻刀を借りようと思ったのか定かではない。勿論、彫刻刀を持っていなくて困っていたからに決まっているのが、そういうことではなくて、声をかける相手がどうして私だったのかということが関心事なのだ。もしかしたら、四方を男子に囲まれていて、何か借りるのに適当そうだと思ったのがたまたま私だったのかもしれない。もしそうだとして、貸してと言葉をかけるに足る理由はわずかながら存在したに違いない。それは一体なんだったのだろう。今となっては、もう何も分からない。
それから、私と彼女はちょっと懇意になった。隣の席についたらおはようと言うような、時間が空いたらふと話すような、そんな仲になった。また席替えが行われて座る位置が離れてしまっても、時たま話すことはあった。彼女には学級に新しい友だちができていたし、私にも数人の友人がいた。ゆえに、お互い孤独を免れるために話していたというのではない。
こう考えてみると、私は彼女のことについては多くのことを覚えている。固体ほど形を持ったものではないが、気体ほどもやもやしているわけではない。気体の記憶よりも実体が掴みやすく、かすかに感覚器官もそれを思い出しそうな傾向にある。彼女の記憶については、このような特殊な性質を持つ記憶が多い。私はこの種類の記憶を液体の記憶としたい。気体よりもはるかに高い粘度を以て私を包む記憶だ。結晶化の記憶も、この液体の記憶に近いと思う。
彼女は芥川が好きだと言った。これは液体の記憶である。確かに彼女はそう言ったのだが、私はその「芥川が好き」をはっきりと耳で再生することができない。しかし、幾度となく放たれたその言葉は、私の脳内にある感覚を残している。芥川が好き。それは事実を記憶する気体の記憶とは性格を異にし、確かに蘇る感覚としてあるのだ。
私は当時本をほとんど読まなかったため、芥川の話を了解しえなかった。後になって芥川を読むとき、私はいつでも彼女を思い出した。彼女は芥川語りをするとき、いつも嬉々としていた。その表情を思い出す。私は彼女の顔に向日葵を重ね合わせていた。しかし、その向日葵はあのカンカンと照るような原色の黄ではない。言うならば、薄紅色だった。私はまだ見ぬ薄紅の向日葵を確かに彼女の表情に見ていた。
彼女はまた、太宰が嫌いだと言った。こちらの話もまた、よくわからなかった。ただし、太宰の話でも「竹青」と「清貧譚」は好きなのだと言った。私は未だに、太宰の作品は「竹青」「清貧譚」以外に手をつけられないでいる。
例えば彼女は、鳩が嫌いであった。例えば彼女は、級友の半分以上をあまり快く思っていなかった。例えば彼女は、興奮すると跳ねるようなリズムで話す癖を有していた。例えば彼女は、眼鏡をしているときとしていないときが半々であった。例えば彼女は、チーズを食べることを至福としていた。
そういう記憶の全てが、私にとって液体の記憶なのである。他の級友たちはぼおっと幽霊のようにしか思い出せないのに、彼女に関する事項は殊更はっきりと思い出すことができる。ただし、何度も断るように、それは決して固体の記憶ではない。気体の記憶の集積、あるいは強化であると思う。
私は薄紅の向日葵のような彼女の笑顔が大好きだったのだが、一度だけ、その花が雨に濡れるのを見たことがある。
ある寒い冬の日のことであった。周囲の暗さから考えて、五時くらいだったろう。私は教室から一階の玄関まで下りてきたのだが、どうして部活動に行かずに五時頃教室から玄関まで行ったのかわからない。もしかしたら、試験期間中で部活動がなかったのかもしれない。ともかく、私は玄関にいた。何かを待っていたのか、そこに立っていた。すると、階段の方から何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。それは間違いなく彼女の声であったのだが、何やら呻くような声であった。いつものような朗らかさは感じられず、洟をすする音が聞こえたとき、なるほど泣いているのだなと悟った。じきに彼女は姿を表した。予想は違うことなく、そのまま眼前に現れた。
私は一人でいる彼女に、どうしたのかと尋ねた。彼女は私を認めたらしく、通り過ぎずにその場で泣いていたが、私の質問に答えようとはしなかった。首を縦に振るわけでなければ横に振るでもなく、何かを話そうともしない。ただ、私の前で泣いているのだった。
まずいことになったと思った。まるで私が泣かしたようであった。五分ほどそうしていたのだが、通り過ぎた何人かのうち一人くらいは、私が泣かしたと思ったに違いない。しかし、私にはどうしたら良いのか分からなかった。
その彼女の泣き顔を、私は固体の記憶として持っている。よく見ていた笑顔は液体としか残っていないのに、泣き顔は固体として残っているというのは、不思議なことである。
状況打開の契機は彼女からであった。まず初めに、ごめん、と言った。私は自分がどのような言葉を返したのか全く覚えていない。彼女は私の言葉に挟み込むようにして、ごめん、ともう二度言った。その全ての「ごめん」を私は確かに記憶している。
そして彼女は歩き出した。私はその後ろについて歩き出していた。大丈夫、と彼女は言った。大丈夫じゃない、と私が言ったような気がする。とにかく、私は彼女と一緒に歩き出した。歩き出すと、彼女は何も言わなくなった。校門をくぐると、彼女は私の家とは反対の方向へと進んでいった。構わずついて行った。しばらく進むと彼女のぽつりぽつりと喋りだし、終いには涙が嘘のように消えて、向日葵を取り戻した。
私たちは色々なことを話した。これから受験勉強をしなければならない、ということ。級友の誰それと誰それが恋仲にあるということ。また芥川の話をしていたが、やっぱり、私にはなんのことかさっぱりわからなかった。もしかすると、私はこの頃から芥川を読み始めたのかもしれない。高校生の国語で『羅生門』を学習したとき、それは既読のものであった。
このような会話がいかなる順番で行われたかは定かではない。ただ、この会話の全てが行われたことは事実だ。また、私が思い出せない会話もあるに違いない。気体・液体の記憶は順番が多分に不確定である。固体は、ちゃんと時系列で並べることができる。これも、記憶の性質の違いとして加えておきたい。
彼女の家の前まで来たとき、彼女はもう一度、ごめん、と言った。そして、ありがとう、とも。その二言を私は強烈に覚えている。この二言こそが、中学校時代のみならず人生において最も鮮明に残っている記憶だと言っても良い。
その後も、私たち二人の交流は続いた。三年生に上がると別のクラスになってしまったものの、廊下ですれ違う度、ちょっと立ち止まって話すことは屡々であった。詳しい内容までは覚えていない。もしかしたら私は三年生になって初めて、彼女の鳩嫌いを知ったのかもしれない。それほど、液体の記憶は不確定だ。
高校は別のところへ行った。私の家から彼女の家までは自転車を使えば十五分程度のところにあって、私が行こうとさえ思えばいつでも行くことのできる距離であった。しかし、私はそれをしなかった。何故かと問われても、容易に答えることはできない。私は彼女ともう一度話がしたかった。高校生になっても交流が続いていたとして、悪い心持ちはしなかったに違いない。理由の一つには、会いにいくのが面倒であったということがある。私は生来面倒くさがりで、言われないと掃除をしない男である。そんな男が、呼ばれてもいないのに他人様の家に赴くというのはなるほど不自然な話である。しかし、それだけではまだ彼女に会いに行かなかった理由に足りないように思う。何故なら、私は彼女に何だか申し訳ないような気持ちがしているのだから。卒業式の日には、彼女に会っていない。その数日前に、廊下で出くわした立ち話をしたような気がする。それ以来、私はずっと彼女に会っていない。彼女との最後の記憶は、全く気体のものなのだ。彼女と疎遠になった理由はなんであろう。クラスが変わってしまったせいかもしれない。受験勉強を挟んで、そちらに気持ちが向いてしまったせいかもしれない。とにかく私は、最後の記憶が気体であることが残念なのだ。一度でも会っていたなら、記憶は気体にならず、液体や気体のままで留まっていたのかもしれない。
もしかしたら、彼女の記憶に続きを作りたくなかったのかもしれない。向日葵はいつか散る。いや、彼女は花ではなく人間だ。彼女のことをいつか向日葵と喩えることができなくなるかもしれない。私はそれが怖かったのかもしれなかった。先日、中学校の同窓会があった。私は遂にそれに出席することができなかった。
これで、私の一番古い固体の記憶群に関する話は終わりである。この記憶群には全て、ある感情がまとわりついている。他人がそれに名前をつけるとき、ある一つの答えに収束するに違いない。私はあえて、このとき初めて感じたあの感情に名前をつけないでおこうと思う。私の感情に名前をつけられるのは私だけだ。ゆえに、この感情は永久に名前をつけられないでいる。それで良い。もしも他人がこの感情に名前をつけるのだとしたら、それはそれで面白いことだと思う。そのときは、私の顔色など窺わずに、勝手にやっていただきたい。
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