epilogue 僕の愛するストーカー
その後は呆気ないものだった。
僕はまたまた救急車で例の病院に搬送され、手術の上で入院することになった。医者には『またか』と言われたが、それはこっちの台詞でもある。
夢廻は付きっ切りで僕の看病に当たってくれた。
怪我はもう少しで神経がどうこう、などと言われたがよくわからなかった。取りあえずリハビリをすれば特に問題なく動くようになるそうだ。
麻倉は勿論逮捕された。二人を殺し、僕含め三人を切りつけた合計六人の被害者を出した連続通り魔は、犯人が警察のお偉いさんの娘であったことも関係して、大きな波乱を呼んだ。僕の周りには、マスコミが大勢押しかけ、世間は様々な推論を呼んでいる。
そして、リハビリも無事済ませ、僕はついに退院の日を迎えていた。
僕の要望で、僕たちはあの展望台に来ていた。午前中であるので、周りには人が居なかった。
「懐かしいですね」
「ああ…そうだな。というかやっと退院かよ。長すぎるぜ」
「お勤めご苦労様でした」
夢廻が畏まった態度で言う。
「シャバの空気は美味いぜ」
「まるで犯罪者ですね」
更に無表情で、しかも眠そうな顔で言う。全く変わらない。
服装は初めて会った時の、あのゴシックロリータだった。真っ白な肌と赤い唇、それに真っ黒な服だ。初めて感じた彼岸花スタイルだ。
「オイ」
僕は夢廻にあれから一つだけ約束をさせた。二度とあの日の事で謝らない事だ。
「いい天気ですね……」
「聞けよ」
「聞いてますよ。私の事が好きなんですよね?」
「あ?」
「僕はー夢廻を愛してるー!死にましぇーん!」
全く似ていない僕のモノマネをし出す。
「言ってない言ってない」
「そんな…私は鈴くんのこと、こんなに愛しているのに。好きですよ鈴くん。キスしていいですか?いいですよね?退院祝いキッスなんてどうですか?いやもう合体しましょう!抑えきれないです!」
無表情で接近してくる。
「退院祝いキッスってなんだよ!離れろ!」
「照れ屋さんですね。そんな鈴くんも好きです」
「いっつもそんな事言ってて飽きないのかよ」
「全く飽きませんね」
自信満々に言う。巨乳が強調されて、非常に目に毒だ。
「僕さ」
「はい?」
「初めて君に会った時、凄く懐かしいって感じたんだ」
「……そう、ですか」
夢廻はそれを聞いて、どんな表情をすればいいのか分からない、そんなような顔をしていた。困った顔も可愛い。
「第一印象は、彼岸花みたい、だったな」
「彼岸花……」
「怒ったか?」
女の子を彼岸花に例えるのはあまり良いことではなかったかもしれない。
「鈴くん、彼岸花の花言葉、知ってますか?」
「いや……」
「再会、あきらめ、悲しい思い出、想うはあなた一人だけ」
「なんてこった」
「他にもありますけどね。私たちは、再会した。私は、貴方に愛されることを諦めていた。私たちは、悲しい思い出に苛まれていた。私は、ずっと貴方一人だけを愛していた」
「偶然だな」
「いえ、これは運命です」
「……そう、だな。僕たちは出会うべくして出会った、そう言うことだな」
「はいっ」
笑顔で夢廻が僕の目を真っ直ぐに見ていた。それもいつもと変わらない。
「因みに、ですが」
「ん?」
「橘の花言葉は、『追憶』です」
「それまたピッタリだな」
「そうです、ね……」
少し申し訳なさそうな顔になる。なら言い出さなければいいのにとは言わない。
僕は話を変えることにした。
「夢廻って、どうして僕と話す時、ジッと目を見て話すんだ?」
ずっとずっと気になっていたことを、この際だから聞いてみることにした。
「子供の頃……私は鈴くんの目を見て話す事が出来ませんでした。あの日も、私は最後まで貴方の目を見ることが出来なかった」
「…………」
「だから、ですかね?」
泣き出しそうに微笑む彼女を、僕は愛しく思った。
死ぬことなんて、この笑顔を見られることに比べたら、なんて陳腐な快楽だろう。
「そうか……僕の名前を沢山呼ぶことも、お互いの名前を知らなかった影響か?」
「そうです。鈴くん」
そう言って僕の名前を呼ぶ。
「何で自己紹介しなかったんだろうな」
「忘れたのですか?私はしましたよ」
「え」
全く覚えていない。あの時期の僕は無感情に生きていたから記憶が薄いのもあるが、失礼にもほどがある。
「名前を聞いても鈴くんは教えてくれなかったんです」
「無視した上に名乗らないとか最低か」
「昔のことですからね。構いませんよ」
「悪い」
「やめてください。今は私が迷惑かけてばかりですから」
「自覚はあったのか」
「勿論ありますよ。鈴くんが優しいからついつい調子に乗ってしまうんですよね…いつも一人になったら反省しかしていません…」
そう言って夢廻は目に見える位に落ち込み始める。
「夢廻、ちょっと屈んでくれ」
「何ですか?」
ヒールを履いた彼女は、相変わらず僕よりかなり身長が高い。僕の胸辺りに顔が来るように、彼女を屈ませた。
「小さくて悪いな」
「それが、いいんですよ」
僕は彼女を正面から思い切り抱きしめた。
あの懐かしい香りが鼻を突く。彼女を離さない。そう強く決意する。
「鈴くん、愛してます。世界で一番愛してます。愛してます。もう離しません。愛してます」
「僕も、愛してる」
これから先、どんな苦難が待ち受けているかはわからない。僕たちは引き裂かれ、再び絶望を味わい、挫ける時が来るかもしれない。
それでも、僕はもう二度と、死にたいとは思わないだろう。自分を傷つけることは、夢廻を傷付けることにもなると気付いたからだ。僕は夢廻の為に死ぬのではなく、生きることを選んだ。
もし始業式の前日に、夢廻に出逢えて居なかったら。それを考えてみる。
僕は一生、『あの日』を呪って、死に場所を探し続ける人生を歩んだだろう。今でも美しく死ねる場所を探し続けただろう。
「そう言えばこの香りなんなんだ?香水?」
聞いてみることにした。
「多分体臭ですね」
「えっ」
「鈴くんの汗の匂いスーハースーハー!いい匂いですよ。首筋舐めていいですか?いいですよね?」
いつもの調子で夢廻が僕に無表情で接近してくる。
「一回だけだぞ……ってなる訳ないだろ」
「そうですか……」
夢廻は残念そうに肩を竦めた。
そして僕たちはどちらからでもなく離れた。
「僕はこの後先輩の所に行くから先に帰っていてくれ」
「わかりました」
珍しいこともあったものだ。以前は何をするにしても必ずと言っていいほど僕について来たがったのだが、随分と素直だ。
「…」
「どうしたのですか?」
「いや、いつになく素直だなーって」
「鈴くんはもう、大丈夫ですから」
どうやら信用を勝ち得ていたみたいだ。もう僕が自分で自分を故意に殺そうとすることがない、という事を見抜いて居たようだ。
「夢廻のおかげだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいです。でも、鈴くんは自分の力で抜け出したんですよ」
「いや、それだけは違うと断言する。僕は君に救われた。君じゃなきゃ駄目だった。君以外はありえない」
「鈴くん……ずっと、愛してますよ」
そう言って心から嬉しそうに夢廻は笑ったのだった。
♦︎
その後僕は事務所に訪れ、事の真相を先輩に伝えていた。
「そっかー、大変だったねー」
「ご迷惑をおかけてしてすみませんでした」
今回、先輩にはバイトは辞めるわ、顧客は死ぬわ、警察に出頭するわ、心配をかけるわで散々迷惑をかけてしまった。
「いいよいいよー鈴音ちゃんが無事で良かったよ」
「ありがとうございます」
「怪我は平気?」
迷惑をかけたのは僕なのに、責める事もなく、怪我の心配をしてくる辺り、本当に出来た人だと思う。
「はい。問題なく完治するそうですので」
「それは良かった。鈴音ちゃんのは喧嘩と言うより殺し合いだからねー!」
「もうこんな事は出来ないですけどね」
夢廻が悲しむので、以前の様な死ぬ事を前提とした喧嘩は出来なくなった。相手を殺す覚悟も、夢廻の事を思うともう出来そうにない。
「へえー?夢廻ちゃん、だっけ?」
「はい」
「あの鈴音ちゃんがねー?丸くなったもんだ。彼女、相当大物だと思うわ」
先輩が他人を褒めるなんて相当に珍しいことだ。僕を更生させただけでこの評価だと考えると、先輩から見て僕はどれだけ荒くれ者だったのだろう。
「頭が上がりませんよ」
「今日は居ないの?」
「はい。先に帰るって随分と素直に…」
そう自分で言った瞬間、背筋を気持ちの悪い何かが這っていくような感覚がした。
夢廻のあの反応は、普通じゃない。辞めたとは言え、不純なバイト先であることは変わりがない。そこに一人で行くことを夢廻は今迄だったならば絶対に許さなかった。許可するにしても、少し位は行きたがってもいいはずだ。
「どうしたの?鈴音ちゃん」
「いえ……」
嫌な汗が僕を伝う。
「あ、これ?鈴音ちゃんにアドバイスしてもらったやつ」
ぼやけていた視点のピントを先輩の促した方向に合わせてみる。そこには掛け軸が飾られていた。
『社燕秋鴻』
そして一つの言葉が脳裏に蘇る。
『鈴くんはもう、大丈夫ですから』
次の瞬間、僕は事務所を飛び出していた。
エレベーターを待つのも惜しい。階段を飛び越え、僕は全速力で家を目指す。心臓が高鳴り、苦しくて頭がおかしくなりそうだった。
社燕秋鴻。
意味は、出会ったばかりの人とすぐに分かれてしまうこと。
あの日、殺伐とした言葉が欲しいと言われて僕は無意識にその四字熟語を口にしていた。それはつまり、あの時点で既に僕は夢廻との別れに怯えていたということだ。現に僕の体は今、どうしようもなく震えている。
僕が幸せになることを拒んでいたのは、それを無くすのが怖かったからだ。出会いが無ければ別れも無い。幸せにならなければ幸せを失くす事も無い。別れを経て、出会わなければ良かったと後悔し、幸福を経て、幸せにならなければ良かったと後悔してきた。
初めから一人で居ることを望み、初めから不幸で居ることを望む人生。
しかし今の僕に、そんな後悔は一切なかった。会えて良かった。会えなかった人生なんてあり得ない。例え離れても、一緒に過ごした時間を無かった事には絶対にしない。
初めて経験する後悔。その後悔は、危惧していたものとは完全に別物だった。
「夢廻……!夢廻……!」
いつの間に僕の中で夢廻はこんなにも大きい存在になっていたのだろうか。
夢廻に出逢い、一緒に登校して、一緒に下校して、下らない話をして、買い物をして、映画を見て、遊んで、ご飯を食べて、テレビを見て、笑い合って、泣き合って、怒って、叫んで…救われて。
彼女との思い出が頭の中を埋め尽くす。
僕は何てことない毎日を、ちゃんと幸せだと感じていたはずだ。
平凡な毎日を、幸せだと思えていたはずだ。
──夢廻と過ごす毎日を、大切だと思えていたはずだ。
「夢廻……!」
僕は彼女の名前を呼ぶ。
失って初めてその存在の大切さに気付く様な愚かな人間ではない。なのに、僕の心は今、張り裂けそうに後悔をし始めている。
もっと沢山話せば良かった。
もっと沢山笑い合えば良かった。
もっと沢山触れておけば良かった。
僕の胸に会ったのはそんな種類の後悔。
後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔後悔。
もっと甘やかしておけば良かった。首筋くらいなんだと言うんだ。幾らでも舐めさせてやれば良かったんだ。
──もっと沢山、ありがとうって言えば良かった。
夢廻はどんな気持ちで今まで僕と接してきたのだろう?
初めて僕に会いに来た日、途轍もない恐怖と戦っていたのかもしれない。
嫌わないでと泣いた時、怖かっただろう。
窯隅と初めて会った時、きっと夢廻は過去の自分を重ねていたのだ。
窯隅の話を聞いている時のあの表情、きっと辛かっただろう。
映画を見終わった後のあの涙。『あの日』を重ねていたのかもしれない。悲しかっただろう。
窯隅の錯乱。きっともう一人の自分をみている様だったのではないだろうか。
窯隅への叱咤。そして涙。きっととても辛かっただろう。
麻倉からの罵倒。『あの日』の罪悪感に押し潰されそうだったに違いない。
僕は夢廻の事を何も分かってあげられていなかった。
遂に僕は事務所から家までの五キロの距離を、一度も休憩することなく短距離走の様に全速力で走り切った。
不安と疲労で手と足が震えている。
その震える手で、僕は部屋の扉を思い切り開いた。
「夢廻ーーーッ!!」
僕は馬鹿だ。夢廻ともっと居たかった。もっともっとわかってあげたかった。
「え、はい」
彼女は普通に台所に立っていた。
「え」
「驚くじゃないですか……何事ですか?宇宙人でも攻めて来ましたか?私のチタンサファイアレーザーが火を吹きますよ」
土足で部屋に上がりそのまま夢廻を抱き締めた。
「夢廻……」
「どうしたんですか鈴くん。汗だくじゃないですか」
「夢廻が居なくなったと思ったんだ」
「私はここに居ます」
「ああ居た」
「甘えん坊さんですね」
夢廻は僕の頭を優しく撫でてくる。
「居てくれて良かった……」
「居なくなったりしませんよ」
『私は貴方の事ならなんでも知っています』『好きです鈴くん』『嫌いにならないで…』『行かせません』『鈴くん』『世の中に一人くらいそんな人がいてもいいじゃないですか』『愛してますよ、鈴くん』
「愛してる」
「はい」
「世界で一番愛してる」
「はい」
こんなやり取りを昔した様な、しなかった様な、そんな既視感を感じた。
「僕は君の事が大好きだ」
「私もですよ」
「僕は……君の悲しみや苦しみを分かってあげられてなかったかもしれない」
「……そんな事はないです」
「全部教えてくれ。夢廻の全部を。そして今度は僕が君の『人間嫌い』を直してみせる」
「鈴くん……」
「僕に、君を救わせて貰えませんか」
出逢ったあの日が蘇る。
「……よろしくお願いします」
そう言って夢廻は笑った。
この笑顔だけは守り抜く。どんな事があっても。そう、誓う。
ふとそこで抱き締めているのが肌であることに疑問を感じてしまい、夢廻の服装に目が行ってしまった。
「夢廻」
「はい?」
「何故スクール水着を着ているんだ」
「あ、これこの間お話しした中学の時のです」
「もしかしてそれを着る為に先に帰ったのか」
「流石私の鈴くんです。天才的推理能力ですね」
「そうだったのか……」
「それで、どうですか?」
僕の心中を知らずに夢廻は問いかけてくる。
「最高に可愛いよ」
「…………」
顔を真っ赤に照れている。相変わらず褒められる事には弱いようだ。
「鈴くん」
「ん?」
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
僕はストーカーに恋をしてしまったのだった。
*
薄暗い個室のパイプ椅子に腰掛けながら殺人犯、麻倉紅葉はいつものように薄ら笑いを浮かべている。
「いい加減認めろ」
デスクを挟んだ反対側に、同じようにパイプ椅子に腰掛けた人物がドスを効かせた声を発する。相当に苛立っているのは誰の目から見ても明らかだ。
「いやいや。だーからー」
「私、本当に一人しか殺してませんよ?」
麻倉紅葉は飄々と返答をする。
「嘘は止めろ!」
苛立ちは最高潮を迎えている様だ。額には青筋を浮かべ、唇には無数の切り傷が見て取れる。
「二人目は模倣犯なんですってー!」
「だとしたらもう一人犯人が居ることになる!それはありえないだろう!全ての現場にはお前の毛髪が落ちていた。これはどう説明する!」
「それは知りませ……」
麻倉紅葉は言葉を一度切って、何かを考え込むような仕草を見せる。そしてすぐに溜息をつき、うんざりした表情で汚らしい天井を仰ぎ見ながら言う。
「やられた」
END
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