第4話 君の名前はキュル

悪魔ダリルに約束通りフランス語のテストの改ざんをしてもらったミリアは、安心して着席していると教室に入って来たエルザ先生が私を見てニッコリと笑う。


不気味だ。 いつも苦虫を噛み潰したような顔をして私たちを監視しているのに、何か変な物でも食べたのかしら?


「 皆さんのフランス語の担任になって5年。とうとう、補習の人が0になりました。こんなに嬉しい日を迎えることができて幸せです」

ミリアは先生の言葉に本当にダリルが約束を守ってくれたと実感して胸押さえる。


ざわめきだしたクラスメイト達がエリザベスと私を交互に見てはコソコソと話している。

ジェニファーが、目を丸くして私を見る。


信じられないだろう。でも現実なのだ。

屈折五年。補習の無い日々を過ごすのは、初めて。幸せこの上ない。


「しかも、このクラスで最高点を取ったのはエリザベスです。 あんなに苦手だったフランス語を見事克服しただけでなく。得意にまで、してしまったんです。皆さん!エリザベスに拍手しましょう。さあ、エリザベス立って」


名前呼ばれたエリザベスが得意気に起立すると鷹揚に挨拶する。

ジェニファーの言うとおり本当に満点だったんだ。みんなが賞賛の拍手を贈る中、感極まったエルザ先生がエリザベスを抱擁する。

芝居がかっていると内心、呆れながら機械的に握手する。


エリザベスが座ろうと前かがみになった時、胸元でキラリと何かが光った。するとエリザベスが慌てて胸元を隠す。

たかが ネックレスを見られたぐらいで、何を慌ててるのかと不審 に思っているとエリザベスと目が合う。


その氷のような冷たい視線にミリアはゾッとして反射的に目を伏せる。


元々嫌われていたがエリザベスの視線には殺意が込められていた。


**


ミリアは帰りの馬車を待ちながら、フランス語の答案用紙を両親や弟に見せた時の事を想像して笑いが止まらない。


きっとお父様は泣くわ。お母様は踊り出して、弟が悔しがって地団駄を踏むはす。

すごく楽しみだわ。


ウキウキした気分で乗り込む落としたミリアは馬車のドアを開けたが、すぐ閉める。

(・・・)

気を取り直してドアを開ける。 中では私の態度に怒ったダリルがドアを蹴破る落としているところだったが、勢いよく乗り込んできた私に驚いて場所を譲る。


契約は完了したはずなのに。まさか!追加料金を払えとか?

「居るなら居ると言ってくださらないと、心臓が止まりそうになりましたわ」

と、言って自分の胸に手を当てるとダリルが鼻で笑う。


「ふん。そんなタイプじゃないだろ」

ミリアはわざと心外だと傷ついたふりをしたが、取り合ってくれない。

「はい。はい」

「どうして、ココに居るんですか?」

「実は、お前に仕事を頼みたい」


興味はあるが危険な香りがする。平凡な日常には飽き飽きしているが、悪魔の仕事を手伝うのは私の手に余る。

それに、 これ以上悪魔と親しくなるのは危険だ 。


「無理です。いくら何でも無理です。 私、働いたこともないんですよ。 まして、戦うようなスキルも武器も持っていません」

ミリアは激しく首を振って断る。 するとダリルが手をひらひらさせて違うと言う。


「非力で愚鈍な人間に望むことなど無い。 もしそうだとしても、お前には頼ま無い。私は、そこまで愚かではない」

仕事を頼みたいくせに、その言いようは無い。ミリアは不満げに 頬を膨らませる。


「勿論、タダ とは言わない」

「私、取り立てて欲しいものなどありませんから 他を当たってください」

甘い言葉で釣ろうとする気だろうが、 そう簡単に首を縦に振る気はないと すげなく断る。


「まぁ、 見てから考えろ」

ダリルが私の目の前で 手を開く。

見る? 宝石? 世界の一つしかないとか言われても 迂闊には受け取れない。 でも、見るくらいならと 片目だけで見る。


小さなリスのような小動物が私を見て小首をかしげる。 耳と目が大きくて可愛い。

愛らしい姿に自然と頬が緩む。 指で頭を撫でると猫のように喉を鳴らす。


「 この子は何ですか?」

「 私の使い魔だ」

意外だわ。見た目と違って可愛らしいものが好きだなんて。

「私も こんなペットが飼いたいです。でも、お父様がアレルギーで・・」

他の友達が、どんなに羨ましかったか。


「そいつは動物じゃない。 雑魚だが魔獣だ。だから アレルギーも無いし、お前の体に触れていると 透明になって 他のものに見えないから バレることも無い。お前の思考も読み取ってくれる。どうだ。便利だろう」


使い魔とは悪魔が飼っているペットのようなもので、おつかいも出来るらしい。

昔 新聞を運んでくる犬を見たことがあるが、 それより役に立つみたい。

聞けば、聞くほど飼いたくなる。


「 餌は何を食べるんですか?」

「そいつは雑食だから、 何でも食べる」

「 そうなの。食いしん坊さんなのねぇ〜」

使い魔の頬を指でつつくと 私の指にしがみつく。 そのまま持ち上げると プランプラントとぶら下がっているが、 まるで重さを感じない。


『全く 見た目に騙されて 愚かにも程がある。 これだから人間は』

「何か言いました?」

「いや 、それでどうする?」

危険だと承知しているが この愛らしさには敵わない。 しかし、 仕事内容を確かめておかないと。

犯罪者になりたくない。


「 どんな仕事ですか? 人殺しとか 盗みとかは嫌です」

「 そんなもの お前には頼まない。 私が頼みたいのは クラスメイトの噂話を集めて欲しいだけだ 」

「噂話ですか?」


悪魔の依頼だから もっと危険なことをさせられるのかと 内心覚悟していたが 、これなら大丈夫そうだ。 女学院では 噂話に事欠くことは無い。

でも 一番の話題は恋バナだ。 そんなものに興味があるのかしら?


「 ところで、 どんな噂を集めればいいんですか?」

「 そうだな ・・急に大金持ちになったとか、 玉の輿に乗ったとか、 死人が生き返ったとか ・・。兎に角 あり得ない事が起こった話だ」

「あり得ないこと?」


漠然としすぎている。 話の内容からすると奇跡みたいなものかしら?

「 そうだ。 本人と知り合いでなくても構わない。上手くやれば、そいつはお前にくれてやる」

「分かりました。やります」

ミリアは しっかりと頷く。


指に戯れている使い魔 を名残惜しく思いながら、 ダリルに返そうとすると 押しと止められた。

「 連絡係として 、そいつは預けておくから 何かあったら使え」

ミリアは目を瞬かせる。 親切すぎる。

絶対 上手くいくまで渡さないと思っていたのに・・。何か裏があるのでとは 勘ぐってしまう。


「・・・」

「何だ?」

「 何でもありません。 明日から早速 噂を集めます」

本心を気取られ無いように、 にっこりと笑いかけると ダリルが眉をひそめる。

ちょっと、ワザとらしかったかしら。


***


交渉が上手くいったダリルは 、上機嫌でミリアの馬車から降りると 近くの建物の屋根に飛び移る。


ミリアから情報が入りまでは自由時間だ 。

街を見て回ろうと手をかざして、 王宮の位置を確認する。 建物が変わっても道は変わらない。


すると 背後から慣れ親しんだ声が聞こえた。

「 ダリル様 。新居のご用意が整いました」

「 ロール。 やっと来たか」

振り返るとロールが 片腕を折って跪いている。 ロールは中肉中背の 中年のどこにでもいそうな感じの男だが、 その灰色の瞳だけは 非凡な鋭さがある。 長年私の家令として仕えてくれている。 ロールがいると助かる。 雑事は苦手だ。


「 どうだ !早速 流行の服を・・ 手に・」

ダリルは、 満面の笑みで ターン決めてポーズを取ったが 、立ち上がったロールの姿を見て よろにく。

どうやら 人間界に行くことに、 はしゃいでいたようだ。 ロールの服のことを 完全に失念していた 。


「私としたことが・・。 お前に こんな服を着せていたとは。 私の落ち度だ。 すまない 」

ロールの服は 紺色のジャーキン。 その下に オレンジ色の バ・ド・ショースと パンプキン・ブリーチズに 白いタイツ。 紫色の羽根つき帽。極めつけに 白いラフ。

それは はるか昔に流行ったものだ。


「 私は大変気に入っております 。それに、この服は 扱いが簡単で 動きやすいです」

ロールが自分の服をちらりと見ると 気にしないと言う風に 肩を竦める。


お前が困らなくても 私が困る 。

客人を最初に迎えるのは 家令である ロールだ。

そのロールに この服を着せていたら 私の趣味が疑われる 。

「すぐ新しいのを用意する」

「 そうですか・・。ラフ のアイロンも上手くなったんですが」

「 ならなくていい!」

ロールが残念そうにラフを撫でる。

だがここは、主人である私に従ってもらう。


ダリル は頭の中で ミリアの家の使用人の服装を思い描く。

( シャツ、ジャケット 、タイ・・)


指をパチンと鳴らす。 すると一瞬で ロールの服が変わる。 上出来だ。 ミリアの家の使用人の服と 何ら遜色ない。

さすが俺と 自画自賛する。


***


ミリアは使い魔にキュルと名前をつけると一緒に登校する。 そのキュルは朝から エッグスタンドに頭突っ込んで ゆで卵をペロリと一つ 平らげて、今は 私の肩の上で 満足げに毛づくろいしている。


「 みんな、おはよう」

教室に入ると 何かあったのか、ジェニファーたちが集まっている。

覗いてみると皆が 自分の手のひらと 机にある紙と見比べている。

私も見てみるが 何のことかサッパリ分からない。


「 どうしたの? みんなで手のひらを見てるけど」

「 手相占いよ。 神秘的でしょ」

「何で もミスター ・キロー の 師匠の弟子の、 そのまた弟子が お店を開いたのよ」

「手相?」

「 ミリアは 『手の言葉』って本も知らないの?」


口々に教えてくれるが 初めて聞く言葉に知らないと首を横に振る。

そんな本が あること自体知らない。


「これよ」

友達の一人が私に 自分の手のひらを見せて皺を指差す。 シワにどんな意味が? 戸惑っていると もう一人の友達が私に手のひらを見せる。


「ほら 私のも見て。 違うでしょ」

確かに そんなもの 気にも留めていなかったが

改めて見ると 少しずつ違っている 。

「つまり、 この皺の違いを見るのが 手相占いよ」

「へ〜。みんなその店に行ったんだ」

「 そういう訳では・・」

ジェニファーが そう言って顔を曇らせる。

他の皆も視線を外す。


恋話に目がない皆は ことあるごとに運命の伴侶を見つけようと 恋占いのしては大騒ぎする。

それなのに、躊躇するのは珍しい。


「どうして駄目なの? 良く当たるんでしょ」

「 如何わしい場所に、 お店があるの。 行ったことがバレたら 勘当されちゃうわ」

「 この紙は、どうやって手に入れたの?」

「それは 家の使用人をもらってきたのよ。 ペンダントも勧めたらしいけど、 高額で諦めたんですって」


ミリアは手相の紙を見ながら思案に耽る。

噂としては弱い。 もっと奇跡っぽくないと、そう思っていると 別の友達が声を潜めて 話を切り出した。


「実は、家の使用人が その店からエリザベスが出てくるのを見たのよ。 きっと魔法のペンダントの噂を 聞きつけたのね」

「知ってる。 なんでも そのペンダントを身につけるだけで 、全て望み通りになるらしいわ」


眉唾物の話だ。 ペンダントに願うだけで、全て叶うなんて信じられない。 しかも、それが売っているなんて あり得ない。

待って! 奇跡ってありえない話のことよね。


「 そのペンダントを使って、満点を取ったんじゃないかと 私は睨んでるの」

( もしかして、 あれが魔法のペンダント?)

ミリアは昨日の出来事を思い出した。


ペンダントか どうかは分からないが エリザベスが貴金属を身につけていたのは確かだ。

「 絶対そうよ。 でなかったら万年赤点のエリザベスが 満点なんて おかしすぎるわ」

耳が痛い。 きっと私のことも 同じように思っているわね。


「そうよ。 そのペンダントが 奇跡を起こさせたに決まっているわ 」

みんなが同感だと頷く。

誰もエリザベスが実力で 満点を取ったとは 思ってないらしい。


あのエリザベスに 満点を取らせることができるなら ・・・ペンダントの力は本物?

「興味本位で お店に行っちゃ駄目よ。 分かった」

ジェニファーが 釘を刺してくるが ミリアはエリザベスを探して首を伸ばす 。

「ところで 噂のエリザベスはどこ?」


「 あそこよ 」

ジェニファーが指差す方を見ると エリザベスの周りに 人垣が出来ている。

「 昨日満点を取ったから、 ちやほやしてるよ」

みんなの手のひらを返した態度に、 プリプリと怒りながらジェニファーが言う。

確かに、あからさま過ぎて頂けない。


だが 、さぞかし気分がいいだろうと エリザベスを見たが、 目が笑っていない。

( おかしいわね。クラスの女王になるのが 望みだったはずなのに・・)

イカサマをして 今頃になって罪悪感に駆られたとか?


いや、いや、エリザベスに限ってそれは無い。

プライドが服を着ているような 人間だもの。

**

ミリアはジェニファーの目を盗んで 、友達を教室の隅に連れ出す。

「 早速だけど、そのペンダントを売っている店が どこにあるか知ってる?」

「 あんな得体の知れないものが欲しいの?」

「 いいから 、いいから。 場所だけ教えてくれたら 後は何とかするから (ダリルが )」


これでお役御免 。ダリルと縁が切れて、 晴れてキュルが私のものになる。

知ってか知らずか キュルが胸ポケットから顔を出す。


その頃 ダリルは自分でも 調べるという名目で 外出する ことにした。

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