第100話『春に来たる』5


 要するにルシールと……それからルシールと仲のいい友人である黛ちゃんとが瀬野二に入学するにあたって一人暮らしを強いられた。


 ならばルームシェアにして僕と華黒の部屋の隣に引っ越そうと思い立ったらしい。


 元々二人暮らしを前提としたアパートだ。


 一人じゃ広すぎる。


 ルシールが黛ちゃんとここに引っ越してきたのも別に不思議なことじゃなかった。


 ルシールは……僕に言われたくはないだろうけど……ぶきっちょだ。


 黛ちゃんがフォローしてくれるならそれもいいだろう。


「黛ちゃんはそれでいいの?」


 これは僕の問い。


「どうぞ黛と呼び捨ててください」


 これは黛ちゃんの答え。


「ま、黛は……」


 ちょっと呼び捨てることに緊張。


「黛はそれでいいの?」


「はいな。ルシールとは中学から親しくさせてもらっていますし一緒に暮らすならこれ以上の人選はありません。それにルシールが二言目には口を出すお姉さんとお姉様に出会えたことも僥倖です」


 蕎麦を湯がきながら黛。


「なんでお姉さん? 僕、男なんだけどね……」


「知ってますが事後承諾的に納得してもらうってことで一つ。黛さんがお姉さんを何と呼ぶかは黛さんが主導権を持っているわけですし」


「何故私がお姉様でしょう?」


「敬意の表れだと思ってください。それにお姉さんだと真白お姉さんと被ってしまいますし……ね」


 あまりに自分勝手なことをほざきながらも黛はざる蕎麦を四人分用意して僕たちにふるまった。


 僕と華黒とルシールと黛がダイニングテーブルを囲む。


「では」


 と黛が先導し、


「いただきます」


 パンと一拍。


「いただきます」


 僕たちも後に続いた。


 感想を先に言ってしまえば黛の御手製蕎麦は香り高く美味しかった。


 とても素人技とは思えない。


 黛と一緒に暮らす限りにおいてルシールの心配はいらないだろうという結論に達するほどだ。


「ところで聞き逃せないことが一つ。僕をお兄さんと呼べば華黒をお姉さんと呼べるんじゃない?」


「華黒お姉様はお姉様です。それは譲れません。それに真白お姉さんもお姉さんです。それも譲れません」


 なんだかなぁ。


「黛さんとしては敬意を表しているつもりなんですが迷惑ですか?」


「まぁ僕をお姉さんと呼ぶのはいいよ」


 僕は僕を認識できないしね。


「でも華黒をお姉様と呼ぶのはちょっと背徳的じゃない?」


「百合百合ですね」


 カラカラと黛は笑う。


「別にお姉様に性的魅力を感じているわけではありません。黛さんとしては男の子より女の子の方が好きなのは否定しませんが……それはあくまで友情の範囲内です。お姉様と呼ぶのはお姉さんとの区別と……それから敬意の現れですよ」


 ですか。


「お姉さんもお姉様も綺麗ですよね。何を食べたらそんなになるんです?」


「特に意識してるわけじゃありませんよ」


「………………でも……お兄ちゃんもお姉ちゃんも……綺麗……」


「ルシールだって美少女じゃないか」


「………………ふえ……そんなこと……ない……」


「いやいや。それは謙遜を通り越して皮肉になってるよルシール。黛さんにしてみればルシールは不世出の美少女だ」


 ルシールを褒めたたえる黛に、


「賛成」


「賛成」


 僕と華黒も同意した。


 ズビビと蕎麦をすする。


「………………あう」


 照れて赤面するルシールは可愛かった。


「にしても」


 華黒が話題を変える。


「この蕎麦……美味しいですね。本当に手打ちなんですか?」


「黛さんの誠心誠意を込めました」


 黛はあっさりと頷く。


 どうやら黛の一人称は「黛さん」らしい。


 変わった子だ。


 僕や華黒に言われたくは無かろうけど。


「まぁそんなわけで隣人となったわけですし……後輩としてお姉さんやお姉様にはよろしくご教授願いたいんですけど……」


「構わないよ」


「ええ」


 僕と華黒は即座に首肯する。


「………………お兄ちゃんと……お姉ちゃんは……よろしくして……くれるの?」


「当然」


 これは僕と華黒の異口同音。


「………………あう」


 ルシールは照れることしきり。


 可愛い可愛い。


「お姉さんにお姉様」


 もう好きに呼んでくれ。


「黛さんとルシールと一緒にこれから登校してくれませんか?」


「こっちの時間に合わせてくれるなら僕は構わないけどね」


「むぅ」


 華黒にしてみれば僕との時間に割り込まれる印象があるのだ。


 しかして後輩の頼みを無下にするのも躊躇われる。


 そんなところだろう。


 僕は隣に座る華黒の頭を撫でる。


「大丈夫だよ」


 以心伝心。


 少なくとも華黒には誠意が伝わったようだ。


 ズビビと蕎麦をすする。

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