第40話『空白の日々』3


「む……」


 意識がゆっくりと覚醒していくのを感じる。


 カーテン越しでも感じる強い日差しに目をシパシパさせながら、のそのそと起き上がる。


 ベッドを出て、時計で時間を確認する。


 現在十時ちょうど。


「寝過ごしたなぁ」


 そんなことを呟きながら頭を掻く。


 まぁ今日は日曜なので別にいくら寝過ごしても問題はないわけだけどね。


 部屋から出てダイニングに入る。


「華黒~……華黒~?」


 いない。


 華黒に限って寝過ごしたなんてことはない。


 ためしに華黒の部屋を開けてみるもののやはりおらず。


 ダイニングに戻ると、テーブルにサンドイッチと置手紙があるのを見つける。


 手にとって読む。


『文化祭実行委員の仕事があるので学校に行ってきます。朝ごはんにサンドイッチを置いておきますね』


 …………。


「なるほどね」


 休日も文化祭実行委員は働きづめか。


「結構なことだね」


 サンドイッチを食べながら、そんなことをひとりごちる。


 早々にサンドイッチを食べ終わると、僕は部屋に戻った。


 服を着替えるためにだ。


 ジーンズにティーシャツ、あとはジャケットを羽織る。


 携帯電話はわざと部屋に残し、玄関へ。


「いってきまーす」


 誰もいない空間にそう言って、僕は部屋を施錠した。



 

    *



 

 アパートを出てすぐ。


 道端で、なにもないところを凝視する猫に会う。


 噂に聞くフェレンゲルシュターデン現象だろう。


 見つからないように一度離れてから、猫の背後に迂回する。


 そーっと、そーっと。


 なにもないところをじっと見つめる猫と、その後ろで忍び足する僕。


 傍から見ると異様な光景だろうか。


 しかしこちらは超真剣なのだ。


 そろりそろりと近づく。


 猫はまだ気づかない。


 捕まえようと手を伸ばしたところで、


「何してるの、百墨くん……」


「へ?」


 うっかり声を出してしまった。


 猫は驚いたように振り返ってこっちを見ると、そのまま全力で逃げていってしまった。


「あ」


 と呟くももう遅い。


 猫の姿が見えなくなる。


「あああああ……」


「そんな恨みがましい目で睨まれても……」


 碓氷さんが困ったようにそう言った。


「僕のもふもふが……」


「もふもふ……したかったんですか……?」


「したかったんです」


 しっかと頷く。


「じゃあ……」


 と言って碓氷さんは手に提げた買い物袋から猫耳カチューシャを取り出して、それを頭部にセットした。


「私でもふもふしますか……?」


「魅力的な提案ですが謹んでお断りします。まだ僕は死にたくありません」


「死ぬんですか……?」


「死ぬんです」


 死なずとも酒奉寺昴を敵にすることになるんです。


「ていうかなんで碓氷さん、猫耳カチューシャなんて?」


「クラス有志のウェイトレス衣装に似合うかと思って……」


 だからそれじゃあコスプレ喫茶じゃん、ていうつっこみは入れたほうがいいのだろうか?


「似合うと思います……?」


「さっぱり思いません」


 とりあえず忌憚のない感想を口にする。


 すると碓氷さんは猫耳カチューシャをはずして、俺の頭へと猫耳カチューシャを。


 …………。


「似合いますよ……」


「嬉しくありません」


「その格好だったら……」


「だったら?」


「男子がほっとかない……」


「……やめてください」


 げんなりとして猫耳カチューシャをとる。


 脱、猫耳。


 碓氷さんはもったいないとばかりに言う。


「可愛いのに……」


「嬉しくありません」


「可愛いのに……」


 だから嬉しくないってば。


 カエサルのものはカエサルに


 猫耳カチューシャは碓氷さんに。


「ところで」


「はい……」


「碓氷さんは何をしておいでなのでしょう」


「文化祭実行委員の方のお手伝いをしに学校へ……」


「それはまた」


「いちおうハーレムの一員なので義理は果たさねばならないかと……。できうるならば猫をもふもふる休日にしたくはあるのですが……」


 もふもふるて……。


「そういうわけにもいかないので……。実行委員の方へさしいれなどを持っていってるところです……」


 そう言って両手に提げている買い物袋を持ち上げてみせる碓氷さん。


 中身はペットボトルのジュースも多々見受けられ、どう考えても重そうだった。


「なんなら半分持ちましょうか?」


「え……」


 ちょっと驚いた様子の碓氷さん。


「だから、荷物を半分持ちましょうか?」


「え……はい……では……」


 碓氷さんは、ちょっと遠慮するように小さな声で、


「お願いします……」


 と言った。



 

    *



 

 ところで、


「ところで、碓氷さんの血液型は?」


「……? AB……だけど……」


「ABね……感受性が強く感激家でありながら、その反面物事に動じないクールなところあるでしょ?」


「わ……すごい……当たってる……」


「マルチプルアウトって手法だけどね」


「マルチプル……?」


「ようするに、占いなんて……ってこと。それよりこのジュース、どこに持っていけばいいのかな」


 学校の敷地内に入った僕は、地味に重い買い物袋を持ったまま、キョロキョロと周りを見渡してみる。


「とりあえず昴様のところへと届けたいのですけど……」


「じゃあ生徒会室だね」


 言って、生徒会室に向かう僕と碓氷さん。


「ところで……ジョージ・ワシントンが斧で桜の樹を切ってしまいましたとさ。しかし父親はこのことを怒りませんでした。何故でしょう?」


「それ知ってる……。ジョージ・ワシントンが正直に告白したからだよね……」


「ブッブー。正解は、ジョージ・ワシントンがまだ斧を持っていたから、でした」


「……なにそれ……」


「ウィットにとんだアメリカンジョーク」


 などとくだらないことを話しながら生徒会室まで歩く僕と碓氷さん。


 何度かハーレムの女子達と――というのも碓氷さんが挨拶をするので――すれ違いつつ、生徒会室へ。


 生徒会室のドアを開けると、


「あ」


「あ」


「あ」


 三つの感動詞が生徒会室に響いた。


 生徒会室には何故か上着を脱いでブラジャー姿を晒している華黒と、その華黒の胸を背後からわしづかみにしている昴先輩がいた。


「間違えました」


 そう言って僕は扉を閉じた。


 中でドタバタと数秒ほどオノマトペが響いた後、僕の閉めた生徒会室のドアがバンと開く。


 開けたのは、


「違うんです兄さん!」


 ブラジャーを晒したままの華黒だった。


「これには深い、いえ……深くはありませんがとにかくわけが!」


「とりあえず華黒、上着の制服を着なさい」


「は、へ? きゃあ!」


 などと可愛い悲鳴を上げた華黒によって生徒会室のドアが閉められる。


 テイク2は生徒会室の室内で行われた。


「違うんです兄さん!」


「それはさっき聞いたよ」


「これにはわけが!」


「いや、まぁだいたい想像つくけど……」


「そこの馬鹿が!」


 と昴先輩を指して華黒。


「そこの馬鹿が場所も選ばずに私のブラのホックを外すものだから、とりあえず生徒会室でホックをかけようとしたんです! そしたら突然そこの馬鹿が胸をわしづかみにしてきて、そのタイミングで兄さんが扉を開けただけなんです!」


 だろうね~。


 ちなみに、そこの馬鹿こと酒奉寺昴は右頬をすりすりとさすっていた。


 どうせ華黒に肘鉄でもされたのだろう。


「それで真白くん」


 と昴先輩が尋ねてくる。


「私服で学校に何の用だね?」


「いえ僕は単なるなりゆきです。碓氷さんの荷物持ちみたいなものでして……」


 と、ズズイと碓氷さんを押し出す。


 碓氷さんは買い物袋を先輩に差し出す。


「あの……昴様……さしいれ……です……」


「これは碓氷くん、君の想いはありがたく受け取るとしよう」


 買い物袋からジュースを一本取った昴先輩は、碓氷さんを懐まで引き寄せ、


「ではこれは私からのさしいれだ」


 そう言ってキスをした。


「っ!」


 驚いて目を見開く碓氷さんに構わず、


「んっ! んんっ! んっ!」


 舌で碓氷さんの口内を凌辱する昴先輩。


「っ……ぷはぁ」


 と息継ぎをした先輩の手元で、碓氷さんが、


「ふやあ……」


 と腰砕けになってしまった。


 僕はといえばとりあえずそれらの寸劇を全て無視して、空いているテーブルにさしいれの荷物を乗せた。


「では荷物はここにおいておきますので」


「ああ、ご苦労様だ。真白くん」


「碓氷さんはここでこれから委員の手伝いをするんだよね?」


「…………」


 返事は無かった。


 無理もあるまい。


「兄さんはどうなされるんですか?」


「僕? 僕は無関係だからもう退散するよ。華黒、委員の仕事、頑張ってね」


「はい!」


 と、僕の励ましに、可愛く笑う華黒。


 文化祭で何を企んでいるか聞きたくもあったけど、どうせ答えなど返ってもくるまい。


 僕はすごすごと学校から退散した。

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