第31話『白の歪みⅡ』1


 昔から「美女は命を削る鉋である」なんて言ったりする。


 まぁ戦後の歪な平和主義を謳歌する法治国家日本においても男女のもつれという奴はしばしば血を見ずにはすまない事態になったりして明日の朝刊をにぎやかしたりすることもある。


 で、まぁ……つまり何が言いたいかと申しますと……、


「どういう状況ですか? これ……」


「うむ、まぁ痴情のもつれの弊害という奴だね」


 目の前の危機に対してあっさりとそう言う昴先輩。



 

 ……順序良く行こう。



 

 発端は先輩の一言だった。


「雑貨屋に連れていってあげよう」


 引き続きデート(暫定)の続き。


 怪しげでイリーガルな場所へのエスコートをことごとく断った僕に対して、妥協案として雑貨屋を選んだ昴先輩の決定は、百歩も譲れば良心的な判断だったと言えるだろう。なにやら口に入れるとお花畑が見える観葉植物だとか、ペロリと舐めるとゴーゴーヘブンな切手などが売られている雑貨屋らしい。どこが良心的なのかは後の議題とするとして、まぁ僕の貞操という局地的観点においては「安全だろう」とたかをくくり先輩に連れられて雑貨屋を目指した僕らなのだけど……、


「……まさかこんなことになるなんて」


 暗澹な気持ちで呟く。


 目的の雑貨屋はコンクリートジャングルの奥の奥、ビル群の隙間を縫うように確保された裏路地を抜けたところにあるらしい。で、まぁ薄暗い小路を先輩と二人並んで歩いていると、いかにもチンピラ然としたお兄さんがたが何故か僕らを挟み込むように現れた。細い小路の前後に一人ずつ。現れただけならただの通行人ABで終わるのだが、何故か通行人AおよびBはこちらに刺すような視線を送っていた。つまり目を付けられてしまったわけだ。この細い道の、前後を阻まれた形で。前門の虎に後門の狼と言ったところか。運が無いのか、はたまた僕らの知り合いか。ちなみに僕の記憶にはABお二人と照合できる人物像はインプットされていない。


 とすると彼らが用があるのは昴先輩なのだろうか?


 本人に聞いてみる。


「前方と後方のチンピラ然とした男性は先輩のお知り合いですか?」


「いや、知らない顔だよ」


 平然と言う先輩。


 とすると手荒なナンパか、などと推察する僕をよそに、前方のチンピラA――僕がつけた仮名である――は昴先輩に向かって話しかけた。


「よう、こんなところで会うなんて奇遇だな酒奉寺昴……っ!」


「私は君のことなんか知らないのだがね」


 チンピラのすごみにも、さすがの酒奉寺昴は気後れしない。


 そしてやっぱり先輩の関係者のようだ。とても友好的には見えないけど。


「何やら私に用があるみたいだが、できるだけ手早く済ませてはくれないかい? 今は子猫ちゃんと二人きりの逢瀬中でね。横入りは無粋だよ」


 誰が先輩の子猫ちゃんですか、というつっこみは飲み込んだ。場の空気を読んだというより、ある種の自己防衛だ。


 チンピラAが続ける。


「酒奉寺昴……てめぇ、望月あられを知ってるか!」


 望月あられ?


 聞くからに人名ですが……、


「先輩先輩、望月あられって誰です?」


「私のハーレムの一人だよ」


 これまたあっさりと言う先輩に、


「違うっ! あいつは俺の女だったんだよ!」


 先輩の言葉を否定して激昂するチンピラA。


 困っちゃって頬を掻く僕。


「えーと……これってつまり……」


「前方の彼は私の恋人の元カレみたいだね」


 言いにくいことをズバリと言い切りなさる。


 チンピラAが憎々しげに昴先輩を睨みつける。


「違う! あいつは俺の女だった! てめぇが横からかっさらったんじゃねえか!」


 …………あいやー。


「……そんなことしたんですか先輩?」


「いや、まぁ……美少女を見るとつい口説いてしまうものだから。その子の交友関係までは気を回さないね普通……」


「つまり前方のお兄さんの彼女を横取りしたわけですね?」


「まさか男がいるなんて思ってもみなかったから……」


 弁解がましくそう言う先輩。


「…………」


 困っちゃって頬を掻く僕。


 フォロー不可。


「…………」


「…………」


「…………」


 沈黙が降りる。その妙な間を破ったのは昴先輩だった。前後のチンピラを交互に見据えてから口を開く。


「それで? 結局何用なのかなムサい男諸君?」


 ……僕も男なんですが、という主張は後ほど。


 チンピラAは先輩に挑発に真っ向から答える。


「てめぇがもし自分の恋人を他人にかすめとられたらどうするよ?」


「そいつに制裁をくわえた後でそいつの恋人をかすめとるね」


 ためらいもなく言い切る先輩。ここまで言えるといっそ清々しい。


 チンピラAはニヤリと笑うと、


「じゃあ俺がてめぇの前言を再現しても文句はねえな?」


 そんなことを言い出した。


「…………」


 …………。


 …………んっ!?


 僕の思考と言葉の両方がいっぺんに沈黙する。


 つまりチンピラAが言っている内容は「自分の恋人を昴先輩に横取りされたから、今度は俺が昴先輩の恋人をムチャクチャにしてやるぜ」ということなのだろうか? そしてこの場合の「昴先輩の恋人」というのは……まぁ……当然……昴先輩の隣に立っている可憐なゴスロリ少女……なのではないかなぁ……なーんて嫌な予感がしたりして。あ、あはは……まさか……昴先輩の痴情のもつれの尻拭いとして僕が贖罪対象なんて……そんな馬鹿な……などと現実逃避気味な楽観論を考えていた僕の首元に、


「おい、動くなよ可愛い譲ちゃん。玉の肌に傷がつくぜ?」


 ナイフがあてられた。煌めく剣先。ガチ刃物。後方を陣取っていたチンピラBがいつの間にやら僕との距離を詰めていて、なおかつ物騒な刃物で脅すときたもんだ。これでは完全に人質である。案の定チンピラAがいやらしい笑みを浮かべて勝ち誇る。


「おっと抵抗するなよ酒奉寺昴。お前が動くと大事な大事な嬢ちゃんが傷物になるぜ? もっとも……」


 と、そこでチンピラAもまた懐からナイフを取り出す。


「抵抗しなけりゃお前自身が傷物になるがなぁ……」


 そう言ってサディスティックに笑うチンピラA。


 僕は首元のナイフを気にせずジト目で先輩を睨む。


「どういう状況ですか? これ……」


「うむ、まぁ痴情のもつれの弊害という奴だね」


 相も変わらずしれっと言う先輩。


 しっかし……どうしたものか、この状況。


 未来その一、僕が抵抗すればチンピラBにナイフでズブリ。


 未来その二、昴先輩がチンピラAの制裁に抵抗すればやっぱり人質の僕がズブリ。


 未来その三、もし昴先輩が抵抗しなければ僕にズブリは無くなるけど、先輩がズブリで、そのうえ僕はチンピラ二人に生贄ワッショイ。


 あれー?


 フローチャートが全部バッドエンドまっしぐらなんですけど?


「どうするつもりですか先輩?」


 とりあえず対策を聞いてみる。先輩は顔色一つ変えずにこう言った。


「私の事情で私のかわい子ちゃんを傷物にするわけにはいかないね」


 ……なかなか真摯な意見だけど反論したい箇所がちらほら。


 とまれ、


「とまれ……巻き込まれてしまった形の真白くんの保護が最優先であることは譲れないね。そのために真白くんを脅している粗野な木偶から片付けることにしようか」


 言うが早いか昴先輩は一陣のつむじ風となった。チンピラBが反応する暇もない。急激に空中で軸回転したと思いきやチンピラBのナイフを空中回し蹴りで払い落とし、そこから器用にも空中で再度身を捻って回し踵蹴りをチンピラBの顔面にお見舞いする。打撃において最も威力の高い踵蹴りに、回転による遠心力と全体重を乗せた飛び蹴りが加わった高等複合技だ。その威力、推して知るべし。


「……っ!」


 案の定、不快な破壊音がチンピラBの顔面から聞こえてきたけど、まぁ神の造形物たるパーフェクト超人酒奉寺昴に喧嘩を売ったのだからこれくらいは甘んじて受けるべきだろう。


 そして……無論それを静観するチンピラAでもなかった。


「てめっ! 酒奉寺ぃ!」


 チンピラBをのされて激昂したチンピラAがナイフをかざして昴先輩へと襲い掛かる。先輩はアクロバティックカンフーの弊害からか着地の際にバランスを崩していた。とても今すぐ振り返って対処、なんてことはできそうもない。あと半秒もあればナイフは昴先輩に深々と突き刺さるだろう。


 ジャア、ドウスル?


 僕はこの状況を傍観するのか?


 知己が傷つくのを静観するとでも?


「……まさか」


 自虐的に笑ってしまう。


 そんなこと……欠陥したALUには土台無理な相談だ。


 僕は“発症”する。


 視界が赤く染まり、聴覚は静寂に支配され、感覚は遮断されて外的刺激を受け付けなくなる。そして僕は……リミッターのはずれた身体をフルに使って最速で疾駆した。昴先輩とチンピラAとの間に一瞬にして割り込み、振り下ろされたチンピラAのナイフを右手で受け止める。


「――――っ!?」


 昴先輩の悲鳴は聞こえない。


 ナイフは僕の右手の平を易々と貫通して右手の甲から突き出てきたけど、生憎と今の僕には痛覚がない。ナイフで致命傷を負おうと尺骨動脈が切断されようと問題にならない。とりあえずナイフに刺された右手を無視して、僕は右足を垂直に跳ね上げた……もちろん全力で。その蹴りはちょうどよくチンピラAのアゴに炸裂して彼を仰け反らせる。僕はこれまたちょうどよく振り上げた右足を利用して、仰け反った彼の鳩尾目掛けて踵落としを敢行した……もちろん全力で。彼が白目をむいて悶絶したけど……まぁ気にしないことにしよう。


 これでABともにノックアウト。


 対してこちらの被害は僕の右手にナイフが刺さっただけで昴先輩は無傷。全くもって損害軽微。僕の右手から滝のように大出血している光景はいっそシュールだった。バー『天竺』での応急処置で巻いた右手のガーゼと包帯は、その多大な出血によって真っ赤に染まってヒタヒタになった。


 昴先輩が先輩らしからぬ焦った様子で僕のほうへと歩み寄る。


「真白くん! ナイフが……っ! ナイフがっ!」


 そう言いつつ――正確には僕が唇を読んでいるのだけど――先輩は僕の右手のナイフを引き抜こうとする。僕は慌てて先輩の軽挙を止める。


「今ナイフを抜かれると逆に出血がひどくなるのでそのままにしておいてください」


 ナイフが刺さったままの右手をひらひらと振りながらそんなことを言う僕。


 昴先輩が心配そうに僕を見つめる。


「痛く……ないのかい?」


「今は痛覚が働いていませんので」


 正直に答える僕。


「それより昴先輩……救急車かタクシーを呼んでくれませんか? ここらの近くの大学病院に僕と華黒が懇意にしている担当医がいるんです。そこで傷を塞いでもらわないと……」


「あいわかった。すぐさま手配する」


 頷いて昴先輩は携帯電話を取り出すと、被害者の搬送と、警察を呼び出して加害者を拘束することを、並行してやってのけた。


 僕は右手から血をダラダラ垂れ流しにしながら大学病院まで運ばれた。

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