第32話『白の歪みⅡ』2
とりあえず縫合手術は事なきに終わった。
僕は患者衣に着替えさせられ即日入院。
今は病院のベッドの上でのんびり緑茶を飲んでいる。包帯だらけの右手が使えないため左手だけで湯飲みを持たなきゃいけないのが難点だけど。
で、僕の担当医の花岡先生がベッドのとなりの椅子に座って、それからあてつけがましく盛大に溜息をついた。
「何度か真白くんに呆れたことはあったがね……今回のこれはどういう了見だい?」
「……と仰いますと?」
「君が大怪我をおって運ばれてきたというから慌てて縫合手術に立ち会ったがね。そこで目にしたのは見目麗しいゴスロリ少女だったんだよ。不覚にも胸キュン」
「セクハラです」
「……とまぁ冗談はおいておくとして、だいたいのあらましは酒奉寺昴って女の子から聞いたよ。さっきまで彼女とキャッキャウフフしてて、しかも君はゴスロリ女装まで。なんとまぁよく許したね……“あの”君が」
「それでも着る決心がつくまでに何回か嘔吐しましたけど」
「その先輩とやらに義理もないのだろう? 別にそのタイミングでトラウマと四つに組む必要もなかったと思うけどね」
「うーん……なんだかその場の流れに流されて……」
「で、その後ゴタゴタに巻き込まれて真白くんは真白くんの先輩を助けるために“発症”したと……。君ね、自身の病気を治す気はあるかい?」
「治したいとは切実に思ってますけど心とは裏腹に心が動いちゃうんですよ」
てへ、と笑って誤魔化すも、花岡先生に無視された。
「なんだかなぁ……」
などと呟きながら花岡先生はカルテをペラペラとめくる。
「定期的に投薬を続けてどれだけ安定させても、環境や状況が劇的に差し迫れば“発症”してしまう……か。とすればどうしたもんかなぁ……。だいたいにして君の症例が特殊すぎるんだから、こんな悩みが馬鹿らしくなるねぇ……」
「担当医にあるまじき発言ですね~」
「そんなこと言われても前例のないものだから対処しようもないんだよ。一回サジ投げて近くの病院に盥回しにしてみたけど結局ここに落ち着きやがって真白くんこのやろーう」
ペシ、とカルテで叩かれた。
僕は丁寧に言葉を選ぶ。
「ベタな言い方をするなら先生だけが頼りなんです」
「そんなこたーわかっとる」
憎々しげにそう肯定する花岡先生。
まぁだからなんだ……ていうお話。
*
花岡先生が退室した後。
僕は患者衣をそのままに院内スリッパをはいて病院の外に出た。
青々としげる桜の青葉が立ち並ぶ風景の、そのすぐそばのベンチに昴先輩が座っていた。ベンチに対して腰は浅く座っているのに、両足は伸ばして、背中は背もたれに預けきっている。傍から見ても倦怠感が漂ってくる構図だ。先輩が歩み寄る僕に気付いた。
「真白くんか……」
「どうもお騒がせしました」
「いや、こちらの事情に巻き込んだんだ。詫びるべきは私だろう。手術のほうはどうだったんだい?」
「特に致命的にもならず滞りなく済みましたよ。と言っても縫合と輸血をするだけでしたけど」
そういって包帯だらけの右手を見せる。
「この大学病院には日頃からお世話になっていましてね。自己血輸血用の血を保管してもらっているんです。なもんで、まぁとりたてて騒ぐほどのこってもないんです」
「家族には?」
「今日の夜中辺りに連絡するつもりです。多分華黒が知ったら怒り狂うでしょうからなるたけタイミングをずらさないと」
「愛されてるねぇ……」
「否定はしませんけどね。隣……いいですか?」
「どうぞ」
言って昴先輩はベンチの端へと寄った。
僕はできたベンチのスペースに座る。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。
先に口を開いたのは昴先輩だった。
「……悪かったね」
「はぁ……何がでしょう?」
「こっちの色恋沙汰に巻き込んでしまって、だ。まさか子猫ちゃんの元カレがナイフまで持ち出してくるとは予想外だったよ。私一人ならどうとでもなったがタイミングの都合君まで巻き込んでしまった」
「ものは考えようですよ。僕の怪我一つで丸く収まったんですから八方万々歳じゃないですか」
「その代わり君が一番泥をかぶってしまった……」
「血はまた骨髄がつくってくれますし傷跡に関しては今更ですよ」
言って僕は左腕の傷を見せる。
「華黒は怒るでしょうけど、怒られたからって傷跡が治るわけでもありませんしね」
「……前々から思いあたる節はあったんだが、君は君が傷つくことに関して躊躇いがないのかい?」
「…………あー、その辺はちょっと込み入った話になるんでパスさせてください」
「……込み入った……」
「……はい、込み入った……」
あはは、と笑って誤魔化す。
話題転換。
「それより先輩こそどうなんですか。手当たり次第女の子を手篭めにする……甲斐性と言えば聞こえはいいでしょうけど今度のように敵すら作ってしまって。そうまでして可愛い女の子を乱獲するってのはちょっと理解しかねますよ」
「可愛い女の子が好きなんだ。美少女は人類の宝だからね。それはルノワールやルイス・キャロルが証明している」
「それだけですか?」
「根源がそこにあることは否定させないよ。でなければ女の子を多数捕まえて手元に置く気力なんて沸いて出るものじゃないだろう?」
「それはごもっとも」
「……無論、それだけだと言えば嘘になるがね」
「と言いますと?」
「最近父が見合い話を持ってくるようになってね……」
「はぁ……お見合い……」
「君も知っているだろうが酒奉寺家は古くからあの一帯の土地を広く所有している名家だ」
ちなみに、あの一帯、とは僕らの住んでいるアパートや瀬野第二高等学校の周囲一帯のことである。
「資産にものを言わせていくつかの事業にも介入していて、実質あの街の地主と言ってもいい。政治の先生も頭を下げにくる権威あるお家柄だよ」
「それは知ってますけどね……。隣町の似たような名家の
「うん。父も後継者育成に必死だ。老後のこともあるだろうから私か統夜に家を継いでもらいたいかつ贅沢を言えば酒奉寺家を発展させうるにたる家長となってほしいと思ってるのだよ」
「先輩がなるんじゃないんですか?」
「十中八九だろうね。愚弟には私のような卓越した才能がない。故に私が酒奉寺家を継ぐことになるのは決定事項なのだけれど……はあ……」
先輩が溜息をついた。
「そこで見合い話の話に戻るのだよ」
……ああ、なるほど。
「別に女性が家長でもいいと思う僕は庶民なんでしょうか?」
「まぁあまり好まれることではないね。仮にそうなったとしても婿養子を迎える必要が出てくるだろうし」
「中々がんじがらめな世界ですね……」
「親が子を選べないように子も親を選べないからね」
それは痛いほどわかるなぁ……なんてことをしみじみ思う僕。
先輩が空に向かって溜息を吐いた。
「来年は受験だ。大学に進学したとしてもこんな遊びが出来るのはあと数年。大学を出るまで……だ……」
「…………」
「可愛い女の子に囲まれて一生を過ごすなんてのが酒池肉林なのは重々承知さ。帝辛の最後を再現されるのも御免こうむる。……けどね……好きにもなれない男と政略結婚をして半生を添い遂げるなど正に悪夢でね」
まぁ受け入れるしかないんだけどね、と自虐的に笑う先輩。
僕はポツリと呟いた。
「……逃げるって選択肢はないんですか?」
昴先輩がほんの少しだけ驚いたように目を見開く。
「それは酒奉寺家のしがらみから、ということかい?」
「はい」
僕は頷く。
「これはあくまで個人の見解なんですけど……逃げるって言うのは一つの選択肢だと思うんです」
だって……ねえ?
「押しつぶされる現実に盲目的に立ち向かっていくことは不幸です。逃げるという選択肢を思いつけないのは……あるいは逃げることより救いがない」
「まるで見てきたような言い方をするね」
それは、もう。
「ともあれ……無理に居座ることなんかないと僕としては思うわけなんですけど……いかが?」
そんな僕の言葉に、昴先輩は薄く笑った。
先輩の手が僕の頭に伸びて、優しく撫でられる。
「ありがとう。君は可愛いな……」
なでなで。
ほんわかした空気がしばし流れ……それから、
「む、そうか」
昴先輩が何かを思いついたように口を開いた。
「よく考えればこれはこれで有りだ」
「……何がですか?」
「女装した君を婿に迎えればいい。返す刀で華黒君も手に入れる」
「…………」
…………。
いっきに場の空気が沈殿する。
「なんだ。事態はかくも簡単なことじゃないか」
「っ!」
僕はベンチを立って逃げようとして、
「待ちたまえ」
……先輩に襟を掴まれた。
「何故逃げようとする?」
「自分の胸に聞いてください!」
「なに、今日の服装が気に入らなかったというのなら心配するな。ワンピースにチャイナにセーラー、なんとはなればメイド服とて用意してあげよう」
「自分の胸に聞いた結果がそれですか!?」
「夢のある話だろう? ものの大小に関係なく、女の子の胸には夢が詰まっているものなのさ」
「そこを行くナースのお姉さん、急患です。頭に疾患が見受けられる患者がここに」
「……失礼なことを言うね君は」
言わいでか。
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