第24話 誤解
気が付くと、芝生の上に寝かされていた。体にバスローブがかけられている。頭に冷たいタオルが乗っていた。目の前に白いバスローブを着た皇女様がいる。
「ギル、大丈夫ですか? 水を飲みますか?」
私はこくこくと頷いた。頭を持ち上げられ、口元にコップをあてがわれた。水をゴクゴクと飲む。口の端から水が滴り落ちた。
皇女様の隣に見知らぬおばあさんがいる。白髪にしわくちゃの顔。すぼんだ口。曲がった腰。見事なおばあさんだ。白っぽい着物を着ている。
「嬢ちゃん、驚かせてすまなかったの。儂は、水竜のばあさんでの、ラフサイというんじゃ。普段は、湖におるんじゃが、この頃、神経痛が痛んでの。夜は、ここで養生しとるんじゃ。湯にもぐっとると気持ちがよくての。うん? あんた、大丈夫かい?」
私はもう一度こくこくと頷いた。
「この子は、今、話せないのです。喉を痛めていて」
「ほう、何故?」
「喉に怪我をして、こちらの温泉に浸かって治療しているのです。七日かかるだろうと言われています。喉に大きな血の固まりがあって、それが取れたら元通りになると言われたのですが、大きすぎて取れそうにないのです。それが取れなくても話せるそうですが」
「あんたら、陛下の客人かい?」
「はい。私は、ミレーヌ=ゾフィー・ボージェ。サルワナ帝国皇帝の第三皇女です。こちらは、ギルベルタ・アップフェルト。歌姫です」
「ほお、では、あんたがあの歌声の持ち主かい? 陛下が何度も繰り返し聞いておられた」
私は、もう一度こくこくと頷いた。
「あんた、ここに何日浸かっていた」
私は手を一杯に開いて、突き出した。五日目だ。
「ふーん」
おばあさんはしばらく考えていたが、いきなり、私の口に吸い付いた。
ぎゃあ! やめて、やめて!
私は突き放そうとした。しかし、おばあさんの力は強い。おばあさんの舌が口一杯に広がる。長い舌が喉の奥をぐりんぐりんなめているのがわかる。
ぐりんぐりん ぐりんぐりん
き、気持ちが悪い!
ぐりんぐりん ぐりんぐりん
「やめなさい! 何をしているのです!」
皇女様も、大声をあげて、私からおばあさんを離そうとする。
息が出来ない。く、苦しい!
すっぽん!
おばあさんがやっと離れた。ペッと何かを吐き出す。
私はさっきのコップを探して水を口に含むと、うがいをした。何度も口の中を洗って吐き出す。
うー、喉の奥がまだ、舐められているような気がする。
「何をするんです! ギルに何かあったら、承知しませんよ」
「大丈夫じゃ。この子の傷口を舐めたんじゃ。血の固まりはきれいに儂が舐めとったからの。あんた、これで、話せる筈じゃ。声を出してご覧」
私は恐る恐る声を出した。
「あー」
「ほらの。綺麗な声がでたじゃろ。ほとんど治っとったんじゃ。ここの温泉はよく効くからの」
「しかし、一言、おっしゃって下されば……」
「すまんの。思い立ったが吉日じゃ。ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ」
「あの、ありがとうございます! おかげで、話せるようになりました!」
私は思わず、水竜のおばあさんに抱きついていた。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ、良かったの、じゃが、今夜はまだ、歌わん方がいいじゃろ」
「はい! おばば様!」
「あんた達、儂の背中に乗って遊ばんかい!」
「ええ、喜んで!」
私と皇女様は、バスローブを脱ぐと水竜に戻ったおばば様の背中に飛び乗った。波を蹴立てて泳ぐおばば様。私達は時間を忘れて遊んだ。
翌朝、私はベッドから起き上がり声を出してみた。
「アーー!」
声が出る。
夕べのおばば様は夢じゃなかったんだ。
恐る恐る、歌ってみた。
「アーー!」
歌える! 歌える! 治ったんだ!
「あはははは!」
私は大声で笑いながら部屋を飛び出した。寝間着のまま、走る! 階段を駆け降り、長い廊下を走った。広間を抜け、洞窟の外へ、湖の岸辺に立つ。透明な水をたたえた大きな湖。湖の上には薄く朝もやがたゆたっている。美しい。まもなく晴れるだろう。
「アーーーーーー!」
湖面に向って思いっきり声を出した。次に低音から高音へ、歌ってみる。大丈夫! 元通り!
「ラララー、ララ、ラララ、ララ、ラー、ラー」
湖に響き渡る私の声。喜びが歌から溢れる。私は金髪を振り乱してくるくると回った!
「ラララー、ララ、ラララ、ララ、ラー、ラー」
歌える! 歌える! また、歌える!
竜達が驚いて私を見ている。皆が集まり始めた。
「そなた、治ったのか?」
いつのまにか来ていた竜王様が言った。私は腰をかがめてお辞儀をした。
「おはようございます、陛下、はい、おかげさまで! 実は……」
私が説明しようとした瞬間、レオンの叫び声がした。
「竜王、貴様、ギルに何をした!」
レオンがいきなり竜王様に剣で打ちかかった。さっと剣を抜く竜王。
キン!
剣と剣がぶつかる。
「何をする!」
「ギルを抱いたな? ガリタヤが言っていた。閨を共にすれば、魔力を使ってたちどころに傷を治せると! だから、七日を待たずギルの声が治ったのだな! そうであろう!」
「違う、そうではない。ええい、落ち着かぬか!」
シュッ、シャキン!
レオンの剣を弾き返す竜王! あたりは騒然となる。
「私が治したのではない。今、仔細を聞く所だ!」
「レオン、やめて! 違うの、水竜のおばば様、ラフサイさんが治してくれたの」
「ええ!」
レオンが剣を引いて立ち尽くす。
走ってきた竜医師のベツヘレが叫んだ。
「水竜のラフサイが治したって! あの人は傷を舐めて治すんですよ!」
「ええ、私の喉に舌をいれて舐めてくれました」
私は自分の喉を指差しながら、言った。
「う! 喉を見せて下さい」
私はあーんをした。
「うーん、きれいに治っている。昨日診た時は、でかい血腫が残っていたのに!」
「儂が舐めたんじゃ、きれいに治って当然じゃろう」
水竜が湖から上がって来た。水から出た途端におばば様の姿になる。頭をぶるっとふって水滴を弾き飛ばした。
「儂がこの子の喉に舌をつっこんで舐めたんじゃ。血腫を舌で搦め捕っての」
竜医師ベツヘレが真っ赤になって怒り狂って言った。
「舐めただと! そんな原始的な方法で! 傷が治ったから良かったもの、悪化していたら何とする」
「何を小賢しい! ひよっこが生意気な口をきくんじゃない! 我ら竜は昔から傷をなめて治してきたんじゃ」
竜医師とおばば様が医療上の論戦を始めた。人によっては口喧嘩というだろう。ガリタヤが宥める。
「お二方、陛下の御前ですよ!」
「これは陛下、とんだ御無礼を」
「御無礼を……」
竜医師とおばば様は改まった様子で礼をする。
「よい、そなたらの論戦はいつものことだ。ラフサイ、よくやってくれた。ギル、そなたが歌えるようになって良かった」
レオンが真っ青な顔で地面に膝をついた。竜王に向って深々と頭を下げる。
「陛下、申し訳ありませんでした。勘違いをしてしまいました。陛下とギルを見て、つい……。何卒、お許し下さい」
竜王様がふっとため息をつく。
「私は我が妹の奸計によって流されてきたそなたらに、安全に休める場所と食事と病気の治療を提供した。にもかかわらず、よく確かめもせず、恩人である私に刃をむけた。そなたの短慮は、そなたの仲間全員を危機に陥らせたのだぞ。私があなたの所行に腹を立て、全員を殺そうとしたら如何するつもりであった?」
「も、申し訳ありません。何卒、何卒、お許し下さい」
「陛下、どうか、レオンを、レオニード殿下をお許し下さい。私からもお願い致します」
私もレオンの隣で陛下の前に跪づいた。
「ギル。この出来事のそもそもの原因はそなたにある。そのような寝間着姿で飛び回るでない。恋人が間違えるではないか」
恋人?! 誰と誰が! いや、そうじゃなくて!
「あの、私、申し訳ありません。陛下、このような格好で。嬉しくて舞い上がっておりました。どうか、罰するなら私を」
「一生歌えぬかもしれぬと思っていたのだ。そなたが舞い上がる気持ち、分からぬでもない。しかし、朝のさわやかな時間を騒がせたのも事実だ。
ギルベルタ・アップフェルト!
そなたに罰を与える」
私は畏まって待った。
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