5

 ヤーンスの街に雪はつもらない。

 歩道や車道のみならず、家々の屋根や壁にいたる細部にまで加熱器が仕込まれているからだ。一定温度以下の水分が受容器に接触することによって作動するこのシステムのおかげで、朔夜は山奥の都市出身にもかかわらず、生まれてこの方街中での積雪というものを見たことがなかった。



「本当に全くつもってないんだな」



 二人がいる場所はヤーンス交通機関の要、スカイトラムの中だ。冬休みが始まる直前らしく、早めに終わったどこかの学校の生徒で車内は混み合っていた。


 女子生徒のかしましい笑い声と老人の世間話、アナウンスなどが入り混じって、車内は酷くやかましい。

 朔夜はすでに辟易していたが、シンは別段構う様子もない。この騒音の中ですら彼の妨げにはならないようだった。



「すごいな」



 浮遊車が駆け抜けるエアラインや人通りの少ない歩道を見下ろしながら、シンはもう一度溜息をついた。


 人目もはばからず窓辺にぴったりと張りつき、ガラスが呼気でけぶるほど外の景色に見入っている。その様子はかなり怪しく、案の定シンは周囲からちらほらと好奇の視線を投げられていた。

 目立つことが何よりも嫌いな朔夜にとっては耐え難い状況だった。



 カタンと小さく音を立て、トラムは中心部に向けて発進した。


 ヤーンスはカタツムリの殻のような都市構造をしている。公園を中心として渦巻状に延びる赤茶色のメインストリートがそうさせているのだ。

 中心部には住宅街が、郊外には企業や工場といった仕事場が主に建っている。郊外に行くほど建物は新しくなり、中心部では見ることの出来ない中層建築物が出現する。



 トラムはビルの上を静かに通過した。


 エアラインには沢山の浮遊車が信号待ちをしていて、随分と混雑しているようだった。

 街の郊外からさほど離れていないはずの目的地にまだ着かない。車内ではいたるところで会話が盛りあがっていてうるさいかぎりだったが、二人の間に話らしい話は存在しなかった。


 時折シンがヤーンスの街について批評するのが会話の全てで、その点においてのみ二人の関係は入学当初と変わっていない。


 朔夜は沈黙も会話も嫌で、窓の外ばかりながめていた。



 遺跡付近の野原には歩くのも困難なほどの雪がつもっていたが、街中には水滴一つ見当たらなかった。それを見ると本当に雪が降っていたのかということさえ曖昧になる。


 朔夜はトラムの窓にかじりつきながらひたすら外をながめていたのだが、そこに映り込んだシンがおもむろにコートを脱ぎ始めたのを見て、眉をひそめてふりかえった。



「あんたさ、いくら邪魔だからってこの寒空の中コート脱ぐのやめろよ。温度変化に鈍いっていったって、周りが防寒対策万全なのにおかしいだろ。もっと周囲に同化して生きろよ」



 人々が吐き出す二酸化炭素で暖かくなる、とでも思っているのかトラムの暖房は異常に設定温度が低い。

 そのため、内部は金属の伝導性もあいまってひどく寒かった。

 ヤーンスの住人でさえ、首に巻いたマフラーに顔を埋め、暖を取っているというのに、部外者がコートを脱いでいるなんて悪目立ちもいいところだ。



 火星人マーズレイスが温度変化に鈍いという話は自称火星人マーズレイスのシンから雪原で聞いたのだが、ここは火星ではなく地球だ。早々に止めさせなければならない。


 シンは朔夜のきつい視線を受けて脱ぎかけていたコートを再び着直した。それでも一度形成された視線の網は容易には外れない。車内の視線が彼に集まっている理由はそれだけではないからだ。


 類稀な美貌を持っている割にそのことに気がつかない少年は、溜息を吐く朔夜を見て顔を曇らせた。



「あんたじゃない、シンだって云っているだろう」



「人の話、聞いてんのかよ。要点はそんなところじゃないだろ」



 自分が注意した箇所と見当違いのところをついてくるシンをめつけ、朔夜は再び窓の外に目をやった。


 下車するはずの目的地にはまだ到着していないものの、外の様子は随分と変わっている。人の数が多いのは相変わらずだったが、郊外に顕著だったビルの数は減り、民家らしき影がちらほら見えた。


 歩道には何があるのか、めずらしく人であふれている。餌に群がる蟻ですら、あんなに数はいないだろうと思うほど、人でまみれるそこを見て朔夜は気分が悪くなった。

 それはこの辺りは好きじゃない、というレベルを遥かに超えている。



 スカイトラムの駅から降りてすぐ目の前にあるのが、目的地の食料品店だった。


 自炊をしようと提言したのはシンだが、一週間近くあるその全てをデリバリーで過ごすというのは出費がかさむので朔夜もその意見に賛成し、結果こうなったのだ。


 食料品店には朔夜も一度だけ訪れたことがある。まだ家族が存命だったころ、母親に連れられて行ったのだ。

 ハンドメイド思考が強いヤーンスではヘルパーマシンではなく自ら調理する住民が少なくない。そのためか他の都市では見かけない規模の巨大マーケットが存在している。望は初等科の社会科見学で行ったことがあったらしいが、朔夜は母に連れられて行ったそのときが初めてだった。


 背丈の低い幼い朔夜にとって、ホログラフィーの棚が所狭しと立ち並ぶそこは迷宮のように思えた。立体映像の品が浮かぶ棚は母親と自分を妨げる巨大な壁であり、買い物をする客は林立するマネキンだった。


 品定めに躍起になる母親からいつの間にかはぐれてしまった自分を探してくれた望。

 朔夜は双子の弟とはそんなに親しくなかった。健康状態に大きな差があったからかもしれない。

 とにかくそのころにはすでに話もしないくらいになっていて、同じ顔だという以外には繋がりもないような冷め切った関係だった。

 だから息急って棚の影から現れた弟を見たとき、朔夜はとても驚いた。



「何でわざわざ、自炊するなんて云い出したわけ?」



 朔夜は野菜エリアに浮かぶ食品のプロフィールカードをいくつか指差し、立体化させた。

 プロフィールカードには原産地や生産工場、重量、培地組成、栄養価などが記載してあるが、栄養付加要素がないかぎり内容はほぼ変わらない。


 朔夜は二つのカードから立体化させた野菜を見比べ、片方を手に取った。

 ふとシンを見ると、その手には見たこともないような形の果物のプロフィールカードがある。



「泊まりの醍醐味だと聞いたからだ」



「誰がそんなこと吹き込んだんだよ」



 シンの手からいかにも使わなそうなカードを奪い、リターンボタンを押す。

 シンは朔夜の手から消えたカードをむっとしたような顔でながめた。



「ジェシーって云って分かる?」



「分からない」



「ジェセル・クラインのことだよ。ほら眼鏡かけてる」



「ああ」



 せっかく選んできた代物が無下に棚に戻されたことが気に障ったらしい。シンは話しながら、別の果物を手に取った。しかも先程のものより値段が高い。



「キャンプの間違いだろ、それ」



 支払いをするのは誰だと思っているんだ、と朔夜は苛々しながら再びそれを元に戻した。



「そうだったか? まあ面白ければいいだろ」



「面白くない」



 溜息をつくように返すと、シンは笑った。

 だがその手には主要栄養素含有白菜がある。栄養素は配合成分が多いほど高価格であり、シンが持っているものはその中でも最高価格だった。


 その前に白菜で何を作るべきなのかを考えて欲しかったが、選ぶのに夢中になっているシンの念頭にはそんなものはないらしい。眉間に皺を寄せて悩んでいる。


 その様子にかつての母親の姿が重なった。



―――望は偉いわね



 生鮮食料品のカード群から目を離し、今は亡き母親は弟の頭を撫でた。

 何故褒められていたのかは覚えていなかったが、望が見せた満足げな顔だけは記憶にある。

 勝ち誇ったような表情。思い出した途端、朔夜の中にどす黒い塊が芽生えた。



 何だ、これ。



 朔夜は自分の中に突如として現れた激しい感情に戸惑いを覚えた。

 決して仲のいい兄弟ではなかったが、こんな憎しみにも似た感情を覚えるほど険悪だったわけではない。確かにネカーたちと外で遊ぶことの出来る望を羨ましいと思うことはあった。けれどもそれはただの嫉妬であって、憎しみではない。



―――朔



 脳の奥底で望が呼んでいる。

 同じ顔、同じ声、同じ姿をした弟。そういえば、望に関する記憶はあまりない。仲がよくなかったせいだろうか。彼の姿はいつもネカーたちと外で遊んでいたものばかりで、他の映像は記憶の中に全くなかった。



 変だ。



 朔夜は強張った手を顔に這わせ、そのまま両耳に手を当てた。



―――朔



 記憶の中の望は笑っている。忌まわしいその呼び方。憐れむような目つき。



 やめろ、やめてくれ。



 朔夜は耳を塞いだまま何度もかぶりを振った。

 真っ黒に染まった頭の中で望がこちらを見ている。

 近寄らないで欲しかった。望が隣にいると自分が本当に可哀相な人間のような気がしたのだ。



―――朔



「やめろ!」



 ばちんと高い音がした。

 ヘルパーマシンを含めた周囲の買い物客が一斉に振り返る。

 シンははたかれた自分の手とはたいた朔夜を交互に見つめ、それからふいっと視線を外した。


 何でもないふうを装うシンを視線の端に留めながら、朔夜は深呼吸をするようにがむしゃらに空気を吸った。



 落ち着け、落ち着け。



 心の中で呪文のように同じ言葉を繰り返しながら、朔夜は自分が今どこで何をしているのかを一つずつ言語に変換していった。


 今いる場所はヤーンスの食料品店。

 目的は夕食の材料を選ぶこと。隣にいるのはルームメイトのシン・ライザー。

 注目されているのは声に出して怒鳴ったのと思い切り手を打ったから。


 そこまで思って、朔夜は急にこの場にいるのがつらくなってきた。

 顔がかあっと熱くなり、火照った皮膚の上を冷たい汗が流れるような奇妙な感覚に囚われる。


 今すぐ全力疾走でこの店から出たいと考える朔夜の隣で、シンは落ちた白菜のプロフィールカードを見下ろして顔を曇らせていた。



「やっぱり落ちたものを戻したら駄目だろうな。確かジェシーはそう云っていた気がする。だからこれも戻したらいけないな、うん」



 苦悶に満ちた声でそうつぶやくと、シンは当然だというようにカードを握った。

 そこでさらに気になる白菜でも見つけたのか、シンは動きを止めてカードの列に見入っていた。大きな目は真剣そのものだ。

 いい加減白菜から離れて欲しいと思ったが、あんな理不尽なことで怒鳴ってしまった手前、これ以上文句を云うことも出来ない。


 朔夜はシンの手から白菜のプロフィールカードを奪うと、次は肉だろと告げて歩き出した。



「おれは肉にはなかなかうるさいぞ」



 シンは朔夜の手の中にある白菜のカードを満足そうに見ると、蛋白質、蛋白質、とつぶやきながら精肉売場へと歩いていった。朔夜は釈然としない気分のまま、そのあとを追った。

 苛立ちはすでに消え失せ、人前で怒鳴ってしまったという罪悪感だけがしこりのように残っている。



「あんた……」



 精肉コーナーは牛、豚、鶏、羊、と大きく四区画に分かれている。

 シンは手前にあった鶏肉専用のカード群を熱心に見つめていた。

 腿肉、手羽、ささみ、手に取るものは多様を極めている。相変わらずそれで何を作るのか、ということは考えていないらしい。


 朔夜は淡青色みずいろのコートに覆われた背を見下ろしながら、思い切ったように云った。



「あんた嫌じゃないの? わけの分からないことで怒鳴られられたりして」



「あんたじゃない、シンだと何度も云っているだろ。お前には学習能力がないのか?」



 手に取った肉の元株の名と促成培地成分を確かめながらシンは返した。先程といい、わざととしか云いようのないその対応に朔夜は顔をひそめる。

 シンはカードをつかんだまま、くるりと振り返った。



「お前が何かを隠しているのは分かっている。でもどんな人間にだって隠していることくらいはあるだろう? 訊きたいとは思うが、お前が云いたくないのなら云わなくてもいい。おれが火星人マーズレイスだと告白したのは、何もお前に自分のことを云わせたいと思ったわけではないからな」



「そうなんだ」



 意外だと思いながら見ると、「ま、お前が云いたいのならあえて止めはしないがな」とシンは意地悪く目をすがめた。



「まあ、そんなことより今は肉だ。これとこれ、どちらかを選べ」



 シンはにっと笑い、朔夜の前に二枚のカードを差し出した。


 シンは話題のすり替えが上手い。いつまでも同じ話をしているのが嫌いなようだ。


 朔夜はそんなシンの性質に少し救われたような気分になって、わずかに口角をあげた。


 だが余裕でいられるのもその時だけだった。



 ゲートで全品の総計が出された瞬間、朔夜は真っ青になった。自分とシンの手にあるカードの枚数を見れば想定の範囲内なのだが、実際数字として弾き出されるとその重さが良く分かる。

 朔夜は震える手でカートの挿入部にクレジットスティックを差し込んだ。

 機械の奥でかちりと音がする。残高が減る、呪われた音だ。


 ふとシンの方を見ると、彼は我関せずといったようにゲートの向こう側にいた。多分自分で支払いを済ませたこともないのだろう。奢ってもらうのが当然といわんばかりの姿勢だ。しかし本質が無邪気そのものだというのが影響してか厭味には感じられない。随分と得な性分だと思わずにはいられなかった。


 カードと引き換えにやってきた荷物を持ってきた鞄の中に詰めていく。自宅に置いてあるもので一番大きな袋を持ってきたことが幸いしたようだ。

 制限容量ぎりぎりで品を納め、持ちあげる。非常に重い。



 限度というものを知らないのか、こいつは。



 この状態になるまで放っておいた自分のことは棚にあげ、朔夜はシンを軽く睨んだ。


 シンは朔夜の視線に気付かないふりをしていた。

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