12.新月

[2018・9・8-Midnight]


 伊月が、あの工事現場の築山の真上にいる。

 彼女は、天を睨んでいる。曇天。月は、見えない。

 どおりでじめじめとしていて寝苦しかったわけだ。


「どうしたの、伊月?」

 私は築山の麓から尋ねた。


 このとき、なんとなくだが、街灯の明かりを集めた築山の上に立っている伊月が、舞台女優のように思えた。


「交信が途絶えます」

 伊月は静かに告げた。


 その瞬間。私は伊月の『軸』が、心の『軸』が揺らいだのを『見』た。


 人ならば誰しも持っている、心の中に通った一筋の『軸』が揺らいだのが見えた。



「昨日まで、下弦の月が頭上に光っていました」


 前置き。それは私ではなく、伊月が、伊月自身に言い聞かせるためのもの。

 私にはそれがわかる。そのことが、なんとなく寂しかった。


「満ちた月は欠け、下弦の半月から三日月に至り、最後は新月と相成あいなるのです。そうして新月は、上弦の三日月から半月に至り、再び満月となりま……るのです」


 私はとても悲しい気分だった。

 だって、ここまで寂しそうな伊月は初めて見たのだから。


「こちらの暦で、新月は九月十日。新月の前後は、月から言葉の月光は降らず、かぐや様のお言葉も受信できません」


 頭の片隅で、今日は九月八日であること、新月まで二日の差しかないことが告げられた。

 だが、私の脳の大部分は別のことでいっぱいだ。


 伊月の『軸』は、伊月の心の『軸』は──


「ねえ、聞いてほしいのです。月からの受信は、月からの受信は──」


 ねえ、伊月。君が寂しがると、私まで寂しくなる。

 だって、君の心の『軸』は──


「月からの受信は、昨日からできなくなったのです……」


 君の心の『軸』は、故郷そのものだったのだから……。


 


 一人だけの築山の頂上で、伊月は静かに泣き始めた。

 こらえきれず、私は、土ばかりで殺風景な築山を駆け上る。


 そして、わけもわからず、私は伊月を抱きしめていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。あたしだってわかってたんです。交信が途絶える日が来ることくらい」

 伊月は、私の腕の中で泣きじゃくる。

 もう、本当に、この子はいったいいくつなのだろうか?


「予想以上にさびしくて泣いちゃったの?」


「違うんです。ならここまで泣かないのです」


 伊月は、袖で涙をぬぐうと、その腕にしっかりと抱きとめていたものを私に差し出した。



「これは……伊月の羽衣?」



 そうだ、いつも淡く透明に光を放っていた伊月の羽衣。


 LED


「……!?」

 そこまで気づいて、私は戦慄した。


 羽衣は、自ら光るのをやめたのだ。

 街や太陽の光を反射するだけの、ただの布でできた服になってしまったのだ。


 太陽の下で着るような、夜に光らない服なんて、伊月には、伊月には────


「伊月……」


「あたしは、あたしは、月から見捨てられたのです……!!」


 子供のように、伊月は泣いた。



 私は彼女を、強く、でも、壊れないように抱きしめることしかできなかった。


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