1.羽衣少女

 静寂の世界の真ん中に、彼女はいた。

 停電の夜の坂道で、彼女と出会った。


 真っ暗だった。真っ暗の中に、蛍火のように儚く灯る一つの明かり。


 それが彼女。


 彼女の身に纏われていた着物は、お伽話の天女が着るようなものとしか思えなくて、本当に淡く、神秘的な発光をしている。


 そんでもって顔。


 これまた物語の姫君のよう。白く透き通る肌。遠目にもわかる整った目鼻。

 深窓の令嬢。という言葉を思い出した。


 彼女が、口を開いた。

 困ったようで、それでいて茶目っ気のある笑顔。


 私は、釘付けになってしまった。


「すみませんが、お月様から落っこちてしまいました」


 簡素なフレーズ。

 それだけで、私の心を捉えるには十分だった。


「なので、助けてくれませんか?」


 彼女は微笑んだ。畜生、ほだされる。

 鈴の音のような声にその上品な笑顔。こんなの欲情しないほうがおかしい。


 欲情……?

 ああ、そうか。私はこの女性に欲情している。

 私は女だけど、この女性に欲情したんだ。

 当然だろう。このひとは美しい。

 今まで普通に生きてきた私が狂うくらいに。



 夢見心地で、坂道を上る。隣には天女。

 何を話したかも覚えてはいないが、わずかばかりの時で寮の門の前までたどり着いた。


 私は、今歩んだ道を振り返る。

 寮が坂の上にある都合上、暗い街がよく見えた。

 停電で電気一つないけど、多くの建物の輪郭がぼんやりと見える気がする。


 なだらかだった。なだらかで平和な光景に思えた。

 

 なにをしているんですか、と先に寮の門を通っていた羽衣の彼女が、きょとんとこっちを見ていた。

 あどけなさの残る表情に、きゅん、とする。

 彼女を追って門を通る。



 あばよ、日常。

 私の中の平衡はたった今ぶっ壊れてしまったんだ。

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