神国の所以

「この森で先兵隊は消息を絶った! 覚悟して進めっ!」



 隊の前列を率いる男が仲間達に振り向いて叫んだ瞬間、首が真横に刎ねて口を僅かに動かしながら転がった。



「なっ――」



 突然の出来事に前列の兵は激しく動揺し、直ぐに警戒する。


 しかし敵の姿はない。


 仮に見えないほど遠くから狙われたとして、綺麗に首へ当てられるものだろうか――。


 偶然という可能性は、視認できる範囲で何一つ物体が飛んでいない、つまるところ一撃で仕留められた事実が消し去った。



 出陣前の酒場で散々聞かされた神国の伝説が脳裏を過って、首筋に冷たい汗が湧き出る。


 戦況の理解が追いつかず、目を皿にして首を刎ねた犯人を探した。


 隊に紛れ込んではいないか。こちらの視力では認識できないほど遠くから、狙われてはいないか――。


 全ての兵が警戒を高めた中、地べたを這う黒い影がヌルリと、不自然に動いた。



「上に何かいるぞ!」


「いや、下だっ!」



 影はズブブブと気味の悪い音を鳴らしながら迫り上がり、成人女性並の大きさに膨れたところで輪郭と色を付けた。



 親衛隊ヴァリヤーグの少年は左手に斧を、右手に鉄塊のようなロングソードを握っている。


 防具は一切身に纏わず、素肌にサイズの大きな白い襟付きシャツを羽織っているだけで、とても戦場に現れる戦士の姿とは言いがたい。


 そもそも、



「……お嬢ちゃん、そんな重い武器を持って、どうするつもりだい?」



 兵の一人が彼をお嬢ちゃんと呼んでも誰一人として異論を挟まないほど、彼の姿は戦えるように見えなかった。


 言った男へ異論の代わりに振るわれた斧が一撃で腹を割くと、横に立って軽く笑っていた兵の鼻っ柱には鉄塊のロングソードが打ち当てられる。


 屈強な男でも振り回すのに苦労する重量級の武器を、彼は片手に一つずつ装備して軽く振り回し、戦場を駆け始めた。



 一方、後列でも混乱が広がる。


 退路を大量の狼に塞がれた。



 ――行く手を阻むだけでなく、退路まで絶ちにきた?



 金銀の装飾が施された黒の鎧兜に身を包む士官は、冷静を保ち戦況把握に努める。


 これでは、どちらが攻撃を仕掛けたのか解らない。まるで罠に誘われてしまったようだ。だが前列の兵が戦っている相手は皆目見当も付かず、不気味この上ない。


 前列には多少の軍勢が待ち構えていたところで蹴散らせる、腕自慢の傭兵を並べたはずだ。


 より安全な後列に正規軍の兵を配置したが、これは前列の傭兵が逃げ出さないためであり、それこそ退路を阻むための存在だ。



 狼は体躯がバラバラで、一つの群れにも見える。


 中央には白毛の巨犬と、少女の姿。



 ――獣使い。



 それ自体は特段珍しいものではない。神国レルヴァの民でなくとも、獣を操ることで生活の糧を手に入れる者は少なからず存在する。牧羊犬で家畜を管理する羊飼いが最たる例だろう。牧羊犬ではなく闘犬を従えて軍場に立つ者もいる。



 ただその場合、従える獣の数は、どんなに多くても十頭程度だ。食料の確保や発情期、闘争本能の強い動物は管理が極端に難しい。



 年端もいかないような少女が、横一列に並ぶ狼の群れを全て従えているとすれば――。


 これこそ神国と呼ばれる所以。異能の民。



 野生の獣を相手にするのは厄介だ。これだけの数を相手にすれば小隊の壊滅も十分にあり得る。獣使いの少女が先兵隊を消息不明にした犯人という可能性は高い。



 ――だが正体不明の相手と戦うよりは、獣を相手にした方がマシだ。



 士官は前列の傭兵達に悟られないよう伝令を送る。


 後列の正規軍は進行方向の後ろを向いて、狼の群れと対峙した。


 青く光る黒毛の大軍を容易く討破れるとは考えていないが、所詮は獣だ。どんな獣使いであっても彼らの本能まで御することはできない。


 何匹か殺してしまえば勝手に警戒し、更に何匹かを殺せば生存を優先して逃げ去るだろう。



 もしくは獣使いそのものを殺してしまうか。



 ――いや、殺すには惜しい女だ。



 レルヴァの民は何度も捕えたが、未だ以て異能を有する者を捕えたことはない。

 少女を捕らえ、獣の群れを従える異能を研究し、解き明かし、解剖し、生きていれば女として利用価値が残る。



「前衛を捨てて獣共を蹴散らせ! 女を生け捕りにして退路を確保しろ!」



 自分まで消息不明になるわけにはいかない。前列の傭兵共が『何か』と戦っていることは確かなのだ。それも恐らくは、異能の類い。


 ならば両方と戦うより、確実に勝てる獣と戦い、獣使いの少女を捕らえたほうが安全で有益――。





 白毛の巨犬バクスターの隣で、少女は嘆息する。



「女は生け捕り――だって。男の考えることって、獣並だよねえ」



 呟き終えると隣の白毛の巨犬バクスターに軽く体重を預け寄りかかるが、白毛の巨犬バクスターは少し嫌そうに体を引いた。



「――訂正するよ。バクスター達のほうがずっと理性的で優しい」



 すると納得したのか、白毛の巨犬バクスターは少女の重さをひしとその身で預かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る