第一話 電車味の缶ジュース

 これは日本画の講義で一緒になる蛍の同期生から聞いた話である。

 その同期生――東雲加奈子しののめかなこの地元には、実に奇妙な自動販売機が置いてあるらしい。

 普段は電源も入っておらず、商品もディスプレイに陳列されていないのだが、ごく稀に電照板が光を放っている時があるという。

 東雲の地元は東京都台東区にある上野。

 肝心の自動販売機は上野駅から御徒町へと南下して進んでいく最中の裏通りで、ひっそりと佇んでいるらしい。

 

「それでね。昨日、上野美術館に寄った帰りにね。ふと自動販売機の噂を思い出したの」


 東雲が噂の自動販売機の前まで足を運んだ時刻は夕方十九時。人通りも冷めやらぬ繁華街が色めきだつ時間である。

 人の目が溢れかえる路上の一端に佇む噂の自動販売機。異常なものが販売されていれば、それこそ警察沙汰になりそうなものだが……。


「どうせ噂だしと思って、気軽にふらっと寄ってみたらさ……なんと! 電源がついてたの。まさかもまさかよね。それでね、対価を支払うと左から数えて四番目のランプだけ光るらしくてさ、実際に払ってみたの。そしたら本当に光ったのよ! ……で、せっかくだからボタンも押してみたの」

 

 蛍は東雲に何か出てきたのか聞いてみる。


「何か出てきたと思う? ……いや、何が出てきたと思う?」

 言いよどむ蛍を見た東雲はくすっと笑って、唇を釣り上げた。

 

「……電車味の缶ジュース。焦げ臭くて、喉にへばり付いてきて、飲みづらいったらありゃしなかったわ」


 ――東雲と話したその日の夕方。

 蛍はすぐさま秀と上野で落ち合い、噂の自動販売機を探してみた。

 東雲から目的地とその周辺の地図を書いてもらっていたので、お目当ての代物に出逢うまでそこまで時間はかからなかった。


「ボロボロだな。確かに運転はしているみたいだけど、何も並んでいない」

「お金を入れたら、左から数えて四番目のボタンが光るみたい」

 

 蛍の言葉に秀はボディバッグから財布を取り出した。


「……いや、戻ってくるぞ?」

「え?」


 二つの雑居ビルの間に出来た裏路地に”それ”はあった。

 秀の言う通り、サビだらけの自動販売機は電源がついているだけで、うんともすんとも言わなかった。

 お金を入れたら、ランプが光るのではなかったか。


「まあ、噂なんてこんなもんだろう。実物は存在してるわけだし、百物語の一つに加えてしまってもいいんじゃないか?」


 そうだね、と頷こうとする蛍の肩に誰かの肩が乗った。

 ビクリと身体を震わせ、秀の隣へと駆け寄る。


「どちらさまですか?」


 怪訝そうな声を上げる秀。蛍はおそるおそる後ろへと振り返った。

 そこには紳士然とした身なりの老人が立っていた。ブラウンのスーツで身を包み、同系色のハットを被っている。

 パッと見、実にまともな印象を受ける格好だが、その手に持つ杖だけは常人のそれではなかった。

 老人の持つ銀の杖には作り物の蛇が一匹巻き付いており……杖の頭の部分には真っ赤な眼球を模したオブジェがくっついていた。

 まともな格好と杖とのアンバランスさが、気味の悪さを助長している。

 高名な芸術家や聖職者の中でも、悪趣味なものを好む人間はいるというが、普通ではないものを愛するということは、一般人にとって恐ろしいことであることに変わりはない。

 

「おや? お客様ではない? 自動販売機の品物をご購入なされようとしていたように見えたのですが」

「お金を入れても、戻ってきましたけど」

 

 秀の言葉に老紳士はしわがれた頬をぐぐっと緩めた。

 

「いやはや。説明不足ですみませんね。政府の犬どもの目が厳しい時代なものですから。……対価は私に直接お支払いいただく決まりになっているんですよ」

「対価」


 老紳士が言った一部分を反芻する。そしてすぐさま蛍は言いようもない恐怖にかられた。

 何か……何かがおかしい。私はなにか大きな勘違いをしている。

 老紳士が今度はにんまりと笑う。まるで仮面が笑っているかのような生気のない笑顔だった。

 

「ええ、対価です。最上級のものなら脳みそか臓器を少々。それと昨日も新商品が入りましてね、『首吊り味』と『眼球味』なのですが、こちらは新規様特別サービスで小指一本と交換出来ますよ」

「あんた……さっきから何をわけのわからないことを」


――眼球味。

 

「秀、行こう!」

「あ、おい! なんだよ急に!」


蛍は秀の手を引いて、一目散にその場から逃げ出した。

上野駅の改札前までやってきたところで彼の手を離し、両手を膝の上に乗せて息を整える。

 

「なあ蛍。いったいどうしたんだよ。あの爺さん、随分わけのわからないことを言ってたみたいだけど」

「”東雲さんの”なの」

「は?」

「さっきお爺さんが言ってた眼球味。”東雲さんの”なの。たぶん」

 

 ――それでね、対価を支払うと左から数えて四番目のランプだけ光るらしくてさ、実際に払ってみたの。

 

 蛍は東雲の言葉を思い返してみる。確かにお金を支払うとは一言も言っていなかった。

 お金ではなく……対価。

 日本画の講義の中、自動販売機の件を嬉しそうに話す東雲の右目は眼帯で覆われていた。

 今日になって付け始めた彼女の眼帯と、老人が昨日仕入れたと言っていた『眼球味』。

 蛍には、その二つが無関係だとは到底思うことができなかった。

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