第8話 地震で動揺しなかったあたしが目の前のラブシーンにドギマギしてしまった

 最初の揺れが起きた時バイト先のファミレスで仕事をしていた。忙しく立ち働いていたせいか揺れには気づかなかった。何人かのお客さんの「揺れてる」という声を聞いてはじめて気がついたくらいだ。

 ちょうど、バックヤードで休憩をとっていた店長が店に飛び出してきた。

「なんか、すごいことになってるみたいだ」

 そして、余震を考慮して一旦キッチンで火を使わないようにして、お客さんには事情を説明して一時閉店することになった。正直「大袈裟だな」と高をくくっていた。だけど、店長命令とあっては仕方ない。お客さんには頭を下げて退店していただいた。

 その後、いくらかの大きな余震を感じるようになると、あたしの頭の中は入院しているめぐみのことが気になってきた。

 本社からの指示で本日の営業は終了することになった。とりあえず女の子たちは早めに帰宅するように言われた。店長を含めた男性陣は調理できる料理を作ってお持ち帰り用の容器に入れて販売だけするらしい。これはどうやら店長の独断らしい。やらなくてはならない男の子たちもはやく帰りたいだろうに。

 でも、今は他人のことにかまってはいられない。スマホの乗り換え案内アプリで確認すると、ほとんどの電車が止まっているという情報が出てきた。この時、はじめて東北の現状を知った。

とにかく、家に帰るよりもめぐみの安否が気がかりだ。病院の中だから大丈夫だと思いたいがあの子は意外と精神的にもろいところがある。ちょっとした地震でも驚く。一人きりの病院の個室で激しい揺れに遭遇したらどんなパニックになっているかわからない。

 バックヤードの更衣室では電車が動かないことがわかると近くで独り暮らしをしている子が

「うちに泊まりなよ」

と、他の女の子に声をかけていた。何人かはその申し出をうけていた。「それだったらここのお弁当を買っていこうよ」と誰かが提案していた。

「宮中さんはどうする?」

 あたしにも聞いてくれたが答えは決まってる。

「あたしは帰ります」

 ファミレスの制服を脱いで私服の白のセーターと白のチノパンに着替えて黒のブルゾンを羽織ってから同じ色のマフラーを首に巻く。今日が就活の面接の日じゃなくて本当に良かったとスニーカーの紐を結び直しながら思った。これがパンプスで長い間歩き続けることになったら足がどうなっていたか。

 電話も繋がらないことを確認すると母親のメアドに

「こっちは無事。とにかく病院に行ってみる」

とだけ書いて送信した。無事に送れたみたいだけど機械音痴の母が読むことができるか。読めても返信できるかわからない。

 スマホをバッグに放り込んで従業員出口から店を出る。店頭入口に回ってお詫びのポップを貼っている店長に声をかける。「弁当ひとつ持って帰りな」と言ってくれたが食べる場所がないからと断った。

 とにかく駅まで行こう。そこで地図を買って病院の方角を確認してからできるだけ線路沿いを歩いていこう。そう方針を決めて歩いた。

 JRの駅に着くとたくさんの人でごった返していた。どうやらホームにすら入れないようだ。周囲のほとんどの店が閉店していた。コンビニは開いていたので入る。中はびっくりするくらいなにもなかった。

 お弁当やおにぎり、サンドイッチなどのパン、お菓子に渇きもののおつまみまで食べ物という食べ物が根こそぎ無くなっていた。ドリンクもホットは全滅で冷蔵庫に数本ちらほらと残っていたのでお茶を一本と地図を購入した。

 店の前で地図を広げて方角を確認する。上りの方向を見いだすと歩きはじめる。病院の最寄り駅までは三駅。歩けない距離じゃない。病院に着いたらそこからは考えてないがなんとかなるでしょう。夜になったら電車も動くかもしれないし。

 だが思わぬ誤算があった。線路を左手に見ながら歩いていたのだけど、その線路がどんどん道から離れていく。線路と道路って常に平行して通っているわけじゃないのね。とにかく地図を見ながらあらぬ方向にいかないように注意を払いながら進むしかない。迷ったら立ち止まって確認してから歩くのでさらに時間がかかった。

 お茶を飲みながら歩いているとお腹が空いてきた。店を出る時は気にならなかったがこうなると弁当をもらっておけばよかったと悔やまれてしかたない。なにせ余震が続いているせいかほとんどのお店が閉まっている。開いているお店でも火を使えないからか飲み物と休む場所を提供してくれてはいる。コンビニやスーパーが開いているととりあえず入ってみるが食べ物はやっぱりない。あってもカップ麺くらいでこれはさすがに食べながら歩けない。

 そんな中、何件目かのコンビニでエクレアをゲットできた。よかった、これでまだ歩ける。今まで少々苦手だったスイーツ系の甘みが疲れた身体に心地いい。これからはエクレアが一番の好物になるかもしれないと思った。

 そして店を出て約三時間。やっと病院の最寄り駅に到着した。ここからはいつもだったらバスに乗って病院に行くのだがバス停には長蛇の列が並んでいるがバス自体がない。タクシー乗り場にも人が並んでいるしタクシーもあるがお金がない。

 ここからさらに歩くしかない。駅前の自販機であたたかいカフェオレを買ってひと息入れた。いつもバスに乗っているときに車窓を見ていたから道はわかっているつもりだ。そう思って山沿いの道を上りはじめた。

 結局病院に着いたのは二十一時過ぎ。もうとっくに面会時間は終わってる。入り口から電気の消えたロビーの時計を見ながらこれからどうしようかと考えていた。このまま帰るわけにはいかない。なんとかめぐみの無事を確認しないと。

 建物の周囲をぐるりとまわってみる。もしかしたらどこかから入れるかもしれない。外科病棟の建物からはじまりドアを見つけるたびにノブを回して確認する。歩き回って十分が経っただろうか突然ガーッという音が聞こえた。音の出た方をみると自動ドアが開いていた。……どういうこと?

 ドアに「救急搬入入口」と書かれていた。どうやら救急車で運ばれてきた患者さんのための入り口のようだ。こういうところって常に開けてあるのか、それとも余震が頻繁に起きてて救急車で運ばれて来る人が多いから今日は開けてあるのか。わからないけどとにかくここから中に入れる。見つかって怒られたらそこで事情を話そう。そう思って中に入った。

 うすぐらい廊下を歩く。ここはたぶん救急病棟っていうところだよね。だとしたらここに通うようになってから一度も入ったことないはず。めぐみのいる外科病棟ってどっちだろう?

「誰?」

 後ろから声をかけられた。

「あ、怪しいものじゃありません!」

と、いかにも怪しさ全開のセリフで返してしまった。懐中電灯を当てられて顔を確認される。

「めぐみちゃんのお姉さん?」

 え?あたしのことを知ってる?でも明かりを顔に当てられてるあたしはこの人が誰かわからない。

「どうしたの、こんな時間に?」

 声の主は聞いて来る。その前に明かりを外して。

「妹が心配で来たんです。歩いてきたのでこんな時間になってしまって。ごめんなさい」

 素直に謝る。やっと明かりが足元に移動した。まだ視界がぼやっとしてる。

「ここにいるってことは『救急搬入口』から入ってきたのね。あそこ鍵をかけてくれないと誰でも入ってこれちゃうじゃない」

 やっと視力が回復して声の主が外科病棟の看護主任さんだとわかる。

「すみません。面会時間は過ぎてるってわかってたんですけど、どうしても妹のことが心配だったものですから」

 あたしの言葉に主任さんは手をひらひらさせながら

「うん、わかってる。気にしないで。あんな揺れがあったら心配にならないほうが不思議だもの」と謝罪を受け入れてくれた。

「あの、それで妹は」

「大丈夫、今も眠ってると思う」

 主任さんは少し考えて「ま、もう一人くらい増えてもいいか」と小声で言ってから

「病室に行くでしょう。一緒に行きましょう」

と誘ってくれた。

「最初の揺れが起きた時、めぐみちゃんパニックになっちゃってね」

 看護主任さんはその時の様子を話してくれた。

「もちろんめぐみちゃんだけじゃなくて他の患者さんもだけど。めぐみちゃんはほら病気だけじゃなくて赤ちゃんもいるからなおさらナーバスになってたみたいでね」

 やっぱり心配した通りだった。

「それで先生がとりあえず鎮静剤を打ったから今も効いて休んでいるはずよ。だから行っても寝顔しか見られないけど」

「それでもいいです。無事な顔を見れば安心できますから」

 あたしの言葉に主任さんはニッコリうなずいて

「それ聞いたの今日で二度目だ」

そう言った。……二度目?

 やがて外科病棟に着いた。

「業者さんの点検で安全が確認されないとエレベーターが使えないのよ。歩き疲れてるところを申し訳ないけど階段で上がってくれる」

「はい、大丈夫です」

 主任さんと一緒に階段を上っていく。

「大変だったんですね。妹がご迷惑をおかけしました」

 こともなげに話してくれていたけど本当に大変だったんだろうな。

「いいのよ、仕事なんだから」主任さんはこともなげに言う。

「本当に大変なのは患者さんの方だからね。身体も精神も自由にならないジレンマは相当なものだから。私たちは身体がしんどいだけだもの」

 そう言ってもらえてありがたい。たしかにあたしも身体の疲れ以外は自由だったからここまで歩いて来られたんだものね。

「さて、まだ寝てるかな」

 やっと五階のめぐみの個室に到着した。主任さんは軽く引き戸を開いて中に声をかけた。

「まだ寝てる?……うん、他にお客さんが来たから入れてあげてくれる」

 ……誰と話してるんだろう?めぐみ、起きたのかな。

 戸が静かに開いて中から人が現れた。

「……宮中。来たのか」

 雅也が顔を出した。それはこっちのセリフだよ。

「とにかく中に入って。他の患者さんもいるからあまり騒がないでね。めぐみちゃんも寝てるからね」

 そう言ってあたしを部屋に入れて主任さんは去っていった。

 雅也がパイプ椅子を出してくれたので座った。

「いつ来たの?」

 その問いかけに

「面会時間が終わるちょっと前だったと思う。仕事が終わって家に帰ってそのままチャリをとばしてきた」

そう答えた

 そうか自転車だったらスムーズに来れたかも。もっともバイト先に自転車はなかったけど。

「宮中の家にも声をかけてきたけど聞いてなかったのか?」

 あたしはバッグの中のスマホを取り出して

「うちのお母さん、スマホを持ってるんだけどちゃんと使えないんだよね。あたしもメールを送ったんだけど……。やっぱり返信もしてない」

 メールアプリを立ち上げてスパムメール以外なにも来ていないことを確認した。

「一応こっちについてめぐみの無事を確認してからうちと宮中の家には公衆電話から連絡しといた。だからお前も知ってるものだとばかり思ってたんだけど」

「それでめぐみの様子は?」

 母のメアドに病院に無事についたことを書いて送る。

 雅也は寝ているめぐみの方を見ながら

「俺が来た時にはもう鎮静剤を打ってもらって寝てた。汗をかいてるから時々拭いてるんだけど」

 タオルをみせてくれた。あたしは手を差しだしてタオルを受け取った。

「じゃあこの子、地震のあった時一人きりだったんだ」

 ベッドに向かってめぐみの額をタオルで拭きながら尋ねた。

「ああ。まさかあんなのがくるとは思ってなかったからな」

 それはあたしも同じだ。それどころか揺れすら気がつかなかった。

「ここ五階だから余震もかなり揺れるんだ。だから高いところに置いていたものはみんな床に置いてる」

 暗い部屋を目を凝らして見るとたしかに花瓶とかが部屋の隅に集められていた。よく割れなかったな。

「……う、ううん。……ん」

 なにか声が聞こえた。ベッドを見るとめぐみがうなされている声だった。

「めぐみ、聞こえる?大丈夫?」

 あたしは声をかける。めぐみがおそるおそる薄目をあけてこちらを見た。

「……お……姉……」

 その言葉が終わらないうちに

「雅也も来てるよ」

と、言った。その言葉に反応したのか彼女の目がすっと開いた。

「まさくん!どこ?」

 雅也があたしの身体を押し退けてめぐみの手を取る。

「ここにいるぞ。大丈夫か?」

 雅也の姿を見て安心したのかめぐみの目から涙が溢れてきた。

「……怖かった。怖かったよ」

 泣き出しためぐみの肩を抱き寄せて慰める。慰められてるめぐみが突然、

「……赤ちゃんは?赤ちゃん無事?」

雅也の腕をつかんで聞いてきた。

「大丈夫、赤ちゃんも無事だ。先生も言ってたよ。『こんなに動揺しない赤ちゃんも珍しい』って」

 めぐみは雅也の言葉に少し安心した顔をしたようだ。

「……ごめんね。情けないお母さんでごめんね」泣きながらお腹の中の子に謝る。

 あたしが声をかけようとした時、また揺れが来た。たしかにかなり大きく感じる。めぐみがまた動揺した。

 泣き出しためぐみをかばうように抱いていた雅也がふと彼女のあごをクイッとあげてキスをした。

 ……ヒャーッ!地震で動揺しなかったあたしが目の前のラブシーンにドギマギしてしまった。

 揺れが治まって唇を離した雅也がめぐみを抱き寄せ、こちらを見て「見たかったんだろ?」と聞いてきた。あたしは無言で何度も縦に首を振った。

 雅也の身体の影に隠れためぐみが

「……変態」

と、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけた。可愛い。


 落ち着いためぐみを横に寝かせる。

「もう少し眠りな。明日は休みだからずっと一緒にいてあげるから」

 そんなかっこいいセリフを言えるんだ。めぐみは雅也の言葉に安心したのか彼の手を握って目を瞑った。

「宮中も寝たほうがいいよ。って言っても寝る場所がないか」

 本来なら担当医の許可がないと付き添いができない。今回は看護主任さんの独断でこっそり入れてもらったのだ。付き添いベッドは期待できない。

「大丈夫、ひと晩くらいなら徹夜できるし。いざとなったら床で寝たっていいよ」

 あたしは余震で動いたパイプ椅子を引き寄せて座った。……途端に朝が来た。

 いや、座った途端に爆睡してしまったらしい。目が覚めたら朝日が部屋の中に差し込んでいた。目の前で若夫婦がニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 旦那の方が

「すげえな。座って五秒も経たないうちにいびきをかくなんて。なにが起こったのかと思ったよ」

と言うと、

「お姉ちゃん、よだれ。恥ずかしいな」

めぐみが口元を指しながら世にも情けないといった感じで言ってきた。すいません……。


 朝ご飯を買うために雅也と二人病室を出る。だけど病院内の売店はまだ開いていない。しかたないので店先の自動販売機でクリームパンと牛乳を買う。雅也は悩んでカレーパンとお茶にしていた。

「ねえ、入院費とかどうなってるの?」

 以前から聞こうとして聞けなかったことを思い切って聞いてみた。

「めぐみのお父さん、宮中のお父さんだけど……が以前から加入していた保険を結婚を機にめぐみの分だけうちが保険料の支払いを引き受けたんだ。これのおかげで入院とガン治療の支払いはかなり楽になってる。あとは足りない分は俺と俺んちで折半って形にしてる」

「うちは出してないの?」

「めぐみはもううちの家族だしな。それでもどうしても困った時は助けてもらうことになってる」

 廊下のベンチに座る。こんな話は病室じゃしにくい。

「お袋の言うにはたぶん出産費用とかそちらの方で助けてもらわなくちゃって話だった。……俺の稼ぎがもう少しよかったらな」

 雅也の言葉を聞いてあたしもいくらか負担できないか考えた。ああ、就職が決まってくれさえすれば。せめてバイトのシフトを増やしてもらうか。できなかったらかけ持ちか。

「悪い。愚痴りたくなかったんだけど余計なこと言っちまったな」

 あたしは首を横に振る。謝る必要ない、あたしから聞いたんだから。

「さて病室に戻ろう。めぐみの朝めしも届いていると思うし」

 雅也は立ち上がって先に歩き出す。あたしもあわててついていった。

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