03. 陣

「避雷針はどこだ!」


 セイジの叫びに、ミサキもキョロキョロと辺りを見回した。

 転移陣は、避雷針に引き付けられて発生する。何がそうなのかは、実際に変位が発生しないと識別が難しく、普段はガラクタにしか見えないことも多い。

 ショッピングモールに存在する避雷針が、本来の中心地点だ。形成光が固まり、紋様がはっきりしてくれば、機器に頼らずとも円の中央は見て取れる。


 最初は頭上にうっすらと浮かんだ謎の文字の並びは、次第に輝度を増して、何層もの光の円盤を作って行く。

 地表スレスレから、おそらく上空の雲がかかる高さまで、魔法陣のミルフィーユが生まれているはずだ。


 紋様は細かなカーブを描いて円形に配置されており、セイジたちは光のラインを目印にして変位の根元を探した。

 彼らが立つ通路の陣も、既にキツい弧に曲がっていることから、中心はかなり近いと思われる。

 見当を付けたのは、二人同時だった。


「その店の中よ!」

「探せ!」


 眼鏡の青年たちが倒れていた、そのすぐ隣の小さな店へ、彼らは飛び込んだ。

 ウインドウには『ストーン・メモリー』の店名が、修飾過多な読みづらい書体で今も書かれているが、中の商品はほとんど運び出されている。

 鉱物系のお守りや置物を売っていたようで、パワーストーンと呼称される類いだろう。


 ――また石か。どれだ?


 空間を密に埋める光の紋様のせいで、視界は最悪に近い。しかしそれは、もうそこに中心があるという証明でもある。

 ゴーグルを被り、目を細めて、より青い光の集中する場所へと足を進めたセイジは、奥のカウンターに行き着いた。

 カウンター台に置かれた葡萄の実ほどの小さな球の山、こいつが変位の真芯だ。


「石じゃない、ガラス……ビー玉だ」

「違うわ、これはトンボ玉よ」


 レジの近くに、トンボ玉が小さなカゴに入れられて放置されていた。客へのサービス品に使われたもので、安価な粗悪品ではある。

 店主が忘れたのか、廃棄したのか知らないが、この球の一つが避雷針を担っているのは間違いない。

 一個一個を確かめるのも馬鹿らしく、彼はカゴごと掴んで持ち出そうとする。


「どうするつもり?」

「丸ごと持ってく」

「……潰す・・の?」

「仕方ねえだろ!」


 不満げなミサキも、彼が走り出すのを止めはせず、その後を追いかけた。

 セイジは走る間も、車の前にカゴを置く際も、悪態をつき続ける。彼だって、こんな解決法は取りたくない。


「あいつら……詫び金くらいじゃ、承知しねえぞ!」


 車に積んでいた大型ハンマーを握り、トンボ玉のカゴに向き直った時、最後の兆候が発生した。

 ゴミ箱や空のワゴンが、床の上をゆっくりと滑り始める。

 固定されていない全ての物を、異常な方向に引っ張っる重力の波打ち。これが転移嵐、シフトストームだ。


 自動車は六本のパイルが既に射出済みなため、まだ移動するようなことはないものの、セイジは平衡感覚を狂わされて膝を突く。

 フロアが、山の斜面のように感じる。真横に落下・・するカゴを慌てて掴んだ彼は、そのままトンボ玉と一緒に道路の方へスライドして行った。


「セイジ!」


 避雷針を移動させても、こんな少しの距離ではもう発動は止まらない。

 魔法陣を崩すにはやはり――。

 青い光が充溢する中、彼はカゴから手を放す。


「くらえっ!」


 滑り行く目標に向け、渾身のハンマーの一撃が振り下ろされた。雷鳴に紛れて、ガシャンとガラスの砕ける音が、確かに街路に響く。


 腹の中を掻き回すような浮遊感が消え、身体を地面に押さえ付けられたセイジは、またバランスを崩して肩から横に倒れた。

 空中に層を成していた文様が、飴細工のように歪む。

 中心点の移動と破壊、その結果、陣は再構成を開始した。


「まだ終わりじゃない、やり直しだ!」


 マヌケどものせいで、チャンスをふいにするかと思いきや、まだ諦めるのは早い。

 追跡屋チェイサーの目的は、転移で出現する遺物を真っ先にさらうことだが、セイジたちは違う。生活のために遺物の回収もするとは言え、彼らの望みは転移そのものだった。

 へしゃげたカゴに、周囲の形成光が吸い寄せられ、直視できないほどの明るさを発する。

 ハンマーを支えにして身体を起こしたセイジは、車から降りようとしていたミサキへ叫んだ。


「小型化する、こっちへ!」


 彼に呼ばれるまでもなく、彼女も状況を把握して走り寄る。

 街のあちらこちらで光っていた稲妻は、もう見えない。遠くからでも観測できたであろう青い円筒も、その太さを大幅に縮小した。

 問題は、どれくらい小さくなったかだ。


 再度描かれた文様の円は、カゴから同心状に範囲を広げてセイジを覆い、手を繋いだミサキにも及び、更に乗って来た自動車にまで――は、届かなかった。

 ちょうどその手前、ショッピングモールに入る歩道の辺りで、陣の成長が止まる。


「これじゃ弾かれるわ!」

「地面に寝ろっ」


 なんとか自分の位置を固定すべく、二人は道路に横たわると、指先をせめてもとアスファルトへ突き立てた。

 一度は戻りかけた街の色が、再び白黒に塗り替えられ、重力変動の波が彼らを襲う。


 ――早く、早く発動しろ。落ちる前に!


 転移陣の発生現場に居合わせたのは、二人にとって二度目である。一度目は、もっと激しく重力が変動して、円の中から振り落とされた。

 それを教訓として、パイル付きの車を用意したものの、ここまで転移円が小さくなるのは想定外だ。


 しかし、もう一つ備えは有る。

 腰のホルダーから鈎状の金属片を取り出したセイジは、右手に握り込んでその尖った先端でアスファルトを突いた。

 遺物・・を加工した包丁サイズの特製ハーケンは、大抵の物を貫き通す。

 彼が力を発動させさえすれば。


 ――刺されっ!


 まるでチーズにフォークを差し込むように、鉄の鈎先は半分ほど地中に埋まっていった。


「つかまれ、ミサキ!」


 彼女の手を引き付け、二人でハーケンを握り、身体を振り回す圧力へ対抗する。


 ――行ける、今度こそ二人で。


 一度目に比べれば、突風に吹かれた程度の重力波、これなら耐え切れるはず。

 目の前すら真っ白に染める強烈な光が、隣にいる相方の顔すら隠してしまう。彼らに見えるのは、お互いが重ねたハーケンを掴む手だけだった。


 突然、重力が逆転して、身体がフワリと宙に浮く。

 吹き流しの如く空中に放り出されると同時に、ここまでで最大音量の雷鳴が鼓膜をつんざいた。


 転移が、発動する。

 地上に叩き付けられた身体は、柔らかい砂地のお陰で、酷い打撲を免れる。

 アスファルトではない、海岸のような砂の触感は、セイジに歓喜の雄叫びを上げさせた。


「やった……ミサキ、やったぞ!」


 聴覚が戻るのは、まだ少し先。自分にしか聞こえない叫びを上げて、セイジは視力が回復するのを待つ。

 正常な能力を取り戻すのは耳より目の方が早く、白ぼけた風景は次第に具体的な形を取り始めた。


 自分たちの居場所は、やはり砂浜であり、数本の杭の並びも見える。

 いくらか水が溜まった様子も窺えることから、転移円は海辺を断ち切ったのだと推測できた。

 目の次は、頭の回転が追いついてくる。顔を見合わせた二人は、一瞬の喜びから落胆へ、表情を急変させた。


「ダメだ! 地面は変わっちゃいけない。俺たちは、取り残されたんだ」


 転移が成功したなら、アスファルトの街路はそのままに、違う世界へ飛ばされる。砂浜になったということは、彼らは連れて行かれなかったということ。

 円の外の暗い廃棄都市の光景は、何も変わっていないと、彼もようやく気が付いた。

 砂地を殴り続けるセイジの傍らで、ミサキがよろよろと立ち上がり、転がるハーケンを拾う。


「これも弾かれたみたいね……」


 彼女の声も、くぐもってはいたが聞き取れるようになった。

 静かな闇に沈む街に、先ほどまでの騒乱の面影は無く、ライトを点けないと先を見通すのも難しい。ショッピングモールの玄関も、ただ真っ暗な口をぽっかりと開けていた。

 立ってモールへ踵を返したセイジの背へ、ミサキが非難めいた口調で言葉を投げつけた。


「どうして? なぜ失敗したの!」

「わからない……」

「陣の中にいたわよね。何がいけなかったのよ?」

「わかんねえよっ」


 街の無機物は、どこかへ無事飛ばされた。

 避雷針の役割を果したトンボ玉も、一つ残らず見知らぬ彼方へ――いや?

 月光に煌めいたガラスの破片を、ミサキは目敏く見つけて拾う。残ったトンボ玉がまだあった。

 腰を屈め、砂地に顔を近寄せて残留品を探し始めた彼女へ、セイジは訝しく問い質す。


「何か面白い遺物でもあったか? 先にバカを回復してやらないと――」

「避雷針が残ってるのよ。弾かれのは、私たちだけじゃない」

「は? 残ったら避雷針じゃないだろ」


 引き返した彼も、砂の上を這い回り、ガラスの破片を一緒に集めた。

 トンボ玉は彼らの近くに落ちているのが全てで、数は多くない。それでも、全部で七つのガラスの球を手に入れる。

 どれも割れていない綺麗な楕円球をしており、ハンマーによる破壊を免れたようだ。


「避雷針が割れたから、転移陣は構築し直された。こいつらは、陣を呼び寄せた玉とは別物だろう」

「力は有るけど、中心じゃなかったってこと?」

「どれも似た玉だったしなあ。たまたま、その内の一つが、転移芯に選ばれてたんだろう」


 博物館から運んで来た化石も、これらのトンボ玉も、場合によっては陣を呼ぶ存在と成り得るのだと思われる。その確率は低いが、手元に置く意味はありそうだ。


「運べそうなら、化石の破片も車に積んどいてくれ」

「避雷針の性質を持つ物は、芯だけしか転移できないということかしら」

「どうだろうなあ……」


 口許に手を当てて悩みつつも、彼は車へと戻る。

 ぼちぼち、他のチームもここへやって来る頃だ。軍も来る以上、回収作業に充てられる時間は少なく、ニキシマたちに任せることになろう。

 セイジは薬剤ケースを持ち、やれやれとモールの中へ入って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る