第43章:東欧制圧

[1] ドイツ軍の内実

 モスクワの「最高司令部」は7月中旬に南部戦域に夏季戦の焦点を移し、南ウクライナ軍集団の撃滅とソ連の影響をドイツの同盟国であるルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、ユーゴスラヴィアに及ぼすことを企図していた。同時に、ルーマニアのプロエスティ油田とハンガリーのバラトン地方にある石油備蓄基地が目標に加えられた。最初の突進は南方に向けられることとされ、西方のカルパチア山脈を越えないことになった。

 カルパチア山脈の東部から黒海に至る700キロに及ぶ戦線を守っていたのは、南ウクライナ軍集団(フリースナー上級大将)であった。その麾下には第6軍(フレッター=ピコ大将)、第8軍(ヴェーラー大将)、ルーマニア第3軍(ドミトレスク大将)、ルーマニア第4軍(アヴラメスク大将)が配属されていた。どの部隊も1943年冬から44年春にかけての退却戦でボロボロになっており、編成・士気・規律の面で立て直しが必要だった。

 南ウクライナ軍集団を監督する陸軍総司令部(OKH)は7月20日に発生したヒトラー暗殺未遂事件により、その業務に大きな支障をきたしていた。陸軍参謀総長は6月10日にツァイツラー上級大将が辞任し、その後は参謀本部作戦課長ホイジンガー中将が代行していた。だが、ホイジンガーは7月20日に反乱グループがしかけた爆弾によって重傷を負ってしまった。

 7月21日、装甲兵総監グデーリアン上級大将は陸軍参謀総長に就任した。グデーリアンはこれまでの数週間でひどく叩かれた東部戦線の中央部を支えるため、予備兵力をモルタヴィア地区から引き抜いた。

 7月中に麾下の5個装甲師団と6個歩兵師団が中央軍集団に抽出されてからは、南ウクライナ軍集団は装甲部隊の予備が貧弱な状態に置かれた。第13装甲師団と第10装甲擲弾兵師団、「大ルーマニア」装甲師団しか保有していなかったのである。またドイツの名目上の同盟国であるハンガリー軍はソ連に対してよりもむしろ、スロヴァキア人やルーマニア人に対して好戦的だった。あるドイツ軍の参謀が次のような言葉を残している。

「南ウクライナ軍集団は3つの異なる戦線で戦わねばならなかった―ソ連に対して、ハンガリー・スロヴァキア・ルーマニアという衛星国に対して、最後にOKHに対して」

 政治的な理由とルーマニアの要衝であるヤッシーとキシニョフを守るという軍事的な理由が重なり、南ウクライナ軍集団はカルパチア山脈からドニエストル河畔のドボサリまで広がる地域と、ドニエストル河下流から黒海に至る巨大な突出部を防衛するよう命じられた。

 南ウクライナ軍集団司令官フリースナー上級大将はこの巨大な突出部からの撤収を繰り返し求めたが、ヒトラーからはまるで相手にされなかった。最後に陸軍総司令部がカルパチア山脈に後退拠点を構築することを内密に許可したが、それもルーマニアの注意を惹かないやり方でなければならないとされた。

 実際、ドイツ軍の防衛計画におけるアキレス腱は枢軸国軍だった。2年前、クリミア半島とスターリングラードではルーマニア軍がドイツ軍とともに戦ったが、それ以外の衛星国はドイツ軍がスターリングラードで破滅的な損害を被ってからも長期化した戦争にうんざりしていた。

 南方軍集団麾下の軍指揮官たちは次のソ連軍の攻勢が自軍に対して行われ、その主力部隊はルーマニア軍に向けられるだろうと予測していた。だが独ソ両軍どちらも、1944年8月に発生したルーマニアの崩壊までは予想することは出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る