第42章:ヴィスワへ

[1] 7月20日事件

 1944年7月は、ドイツ軍にとって極めてひどい月になった。米英連合国の空軍によって本土上空の制空権が奪われ、白ロシアとノルマンディーでは防衛線が連合軍の攻勢を阻止しきれなくなった。

 国内では、このような危機を招いた独裁者に対する不満や危機感は開戦当初から水面下で長く燻り続けていた。この決定的な時期に差しかかり、東部戦線では中央軍集団司令部内に暗殺計画が密かに企てられていた。その計画の中心人物となったのは、主席作戦参謀トレスコウ少将である。

 トレスコウの反乱グループによる暗殺計画はメンバーの一員であるシュタウフェンベルク大佐が国内予備軍の参謀長に就任したことで、にわかに活気づいた。シュタウフェンベルクは緊急時対応計画「ヴァルキューレ」に若干の手直しを加えた。総統暗殺に成功した時、反乱グループはこの作戦を発動してベルリンとその周辺地域を鎮圧できるように仕組みを変更したのである。

 7月20日、シュタウフェンベルクは東プロイセンの総統大本営「狼の巣」に訪れ、ヒトラーが出席する戦況会議に出席した。何点か質問に答えた後、シュタウフェンベルクは爆弾が入ったブリーフケースを頑丈なテーブルの下、ヒトラーが立っている辺りに仕掛けた。会議場を離れ、シュタウフェンベルクが車で「狼の巣」を出た瞬間、爆弾が炸裂した。

 あの爆発でヒトラーは死んだはずだ。そう確信したシュタウフェンベルクは空路、ベルリンへ戻った。ヒトラーが死亡しなくてはクーデターの成功は万にひとつも無かったが、実際にはヒトラーは爆発から生き延びてしまっていた。

 この日の午後、ムッソリーニが「狼の巣」に到着した。以前から予定されていた表敬訪問だった。ヒトラーは「奇蹟の生還」を果たした現場を自ら案内してみせ、上機嫌にこう語った。

「この戦争を継続せよと、神が手を差し伸べて、この私を救ったのだ」

 ベルリンでは情報が予想以上に錯綜していた。総統暗殺が成功したのかどうかも分からず、国内の統制も取れないまま、反乱グループはベルリンに駐留していた警護大隊「グロースドイチュラント」(レーマー少佐)によって拘束された。反乱グループはこの日の夜に処刑された。

 時を同じくして、ヒトラーは全国に向けてラジオ演説を行った。自身に対する暗殺未遂事件を受け、ヒトラーは陸軍の将校に対する猜疑心を露わにした。背後で自分に対する謀略に加担していたため、わがドイツはソ連を倒せなかったのだという内容だった。

 ゲシュタポや親衛隊は反乱グループに限らず、その親類縁者を含む全ての関係者を根こそぎ逮捕した。陸軍はあらゆる戦線で後退基調にあり、ヒトラーが東部戦線における自らの過失を「売国奴」という名目で、陸軍の参謀将校たちに責任を転嫁した。これまで国防軍を支えてきた元帥たちでさえ、その影響力は著しく低下した。

 ナチスの信奉者にとってこうした事態は、まさに銃後における党の勝利だった。

 7月23日、ナチスは陸軍に対して伝統的な軍隊式敬礼ではなく、今後は「ハイル・ヒトラー!」と言って右手を挙げる挨拶―「ドイツ式挨拶」を行うよう強要した。ある兵士が故郷に宛てた手紙には、ナチのプロパガンダがそのまま書き連ねていた。

「恐れることはありません。我々は、我が祖国にロシア人を一兵たちとも入れません。最後の一人まで徹底抗戦あるのみです」

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