第18話 第五章 水の守護者の願い②

 昼になるまでまだ幾分か余裕のある時間帯に、黒羽とサンクトゥスは憩いの宿アルシェに到着した。一階の酒場は、まばらに人がいるだけで夜と比べると随分静かで少し寂しい。

「あら? 黒羽さん、いらっしゃい。お隣の方は……確かサンクトゥスさんだったかしら」

「その通りよ。あなたはエメという名前だったわね。改めてよろしく。私、しばらくこの人と行動を共にすることにしたから、会う機会も増えると思うわ」

 にこやかに笑っていたエメの動きが一瞬止まる。目線をサンクトゥスのつま先から頭のてっぺんまで移動させると、顔色がサッと蒼くなり、大声でレアを呼んだ。

「何、お母さん? あ、黒羽さんとサンクトゥスさん。良き出会いに感謝を。おはようございます。ワワ!  何なの?」

 エメはレアの手を引くと、調理場に駆けこんで行く。

「ちょっと、だから言ったでしょう。油断しては駄目って」

「どういうこと?」

「あの美人さん。しばらく黒羽さんと行動を共にするって言ってるわ」

「そうなんだ。その方が安心かな」

「どこが安心なの。黒羽さん取られちゃうわよ」

 サンクトゥスの正体を知っているレアとしては、母親の懸念には笑うしかない。

「アハハ。大丈夫だよ」

「全然大丈夫じゃないわ。黒羽さんは、男としてどうなのっていうレベルの鈍感野郎よ。でもね、男なの。男なんて小難しいこと言ってても単純。ちょっと、綺麗な女が近寄って腕を組めば、ほぼ落とせるわ」

 あんまりな物言いにレアは反論しようとするが、鈍感という点は激しく同意せざる得なかったので、口をつぐむ。

 母親はなおも娘に、事の重大さを教えようとした。すると、調理場の奥で野菜の皮むきをしていた中年男が作業を中断し、無駄に渋い声で会話に割り込んだ。

「エメ様の言う通りだぜ、レアお嬢様。さっきサンクトゥスって女を見たが、あれは落ちる。どんな男も確実に落ちる。俺もあと十年若ければ、愛の歌で口説くとこだった……グェ」

「仕事をサボって何していたのかしら? 日が暮れればお客さんでいっぱいになるから、急ぎなさい」

 魔法で発現させたこぶし大の石をぶつけられた中年男は、皮むきを再開しつつ、なおも語り続けた。

「とにかく、あらゆる恋愛を経験した俺が言うんだから間違いない。店の方は俺とエメ様で何とかなる。しばらくは黒羽の旦那を手伝って、目いっぱいアピールしてきな」

「え、でも前もお店を任せっきりにしたし、大丈夫なんですか?」

 中年男性はにこやかに笑い親指を立てようとするが、エメに睨まれて渋々野菜との格闘に専念した。

「大丈夫よ。お店の方は気にしないで。それに、詳しくは知らないけど、黒羽さんは川の水が干上がるのを止めようとしているんでしょう。彼を手伝うことは、町を救うことにも繋がるだろうから、フラデンの代表として頑張ってらっしゃい」

「お母さん……うん、分かった。エッロさん、女の人ばかり見てないでしっかり働いてくださいね」

 調理場を駆けだすレアを見送ると、エッロはため息混じりに言った。

「お嬢様……良いケツだ。ごめんなさい。殴らないでくだせぇ」

「お給料をちゃんと払ってほしいなら、真面目に働いてくださいね。全く、人手不足だからって名前通りの変態さんを雇うんじゃなかった」

「エメ様、別に俺の名前はエロいという意味ではありません。つっても、その通りだったとしても構いやしませんがね。もしそうなら、名前負けしてませんから」

「名前負けした方が素敵に思えるのが凄いわ。ハア」

 ※

 調理場で頭を抱える母親と対照的に、笑顔で黒羽のもとに辿り着いたレアは契約についての説明を受けていた。

「なるほど。それじゃ黒羽さんも、あの恐ろしい男のような強さを手に入れたってわけですね」

「いいえ、そんな単純な話ではないわ。ウロボロスは、人にとって大変な負荷がかかる魔力よ。平たく言えば、慣れないうちはすぐに疲れてしまうわ」

「そうなのか。じゃあ、サンクトゥスやカリムのように使い放題というわけにはいかないんだな」

 黒羽はカウンターの天板を、人差し指でリズミカルに叩く。万が一カリムと遭遇してしまった時に戦えばどうなるのか。黒羽は出来るだけ精密にイメージしてみる。

「真っ向勝負をすれば、相手よりこちらの体力が尽きる可能性が高い。使いどころを見極めて、強烈な一撃を叩き込む必要があるな」

「それが現実的かもしれないわね。あとは、私とあなたが上手く連携できれば、勝てる可能性も高まるでしょう。……まあ、これは訓練次第ね。ところで話は変わるけれど、レアちゃん、あの後何か進展はあったかしら?」

「えっと、そういえば、組合のレミルさんが昨日うちに来てアクア・ポセイドラゴンについて話してましたね」

 組合に所属する黒ぶち眼鏡の男を、黒羽は思い浮かべる。レアは一度「コホン」と咳をしてから、わざわざレミルの口調を真似て話し始めた。

「アクア・ポセイドラゴンが、黒マントの集団と具体的にどのような関係があるかまでは、まだ分かっていません。ですが、居場所は大まかに掴みました。近いうちに自警団が調査する予定ですが、待ちきれないという場合は、どうぞご自由に。ただし、彼のドラゴンをあまり刺激しないようにって言ってました」

「ん? 調べて良いって言ったのか。勝手に行動して怒っていると思ったのに、どういう心境の変化だ」

「実は……レミルさんは、お母さんのファンでして。初めはレミルさん凄く怒っていたんです。でも、お母さんが手を握って謝ったら、その……」

 レアは顔を赤らめ、普段よりも小さな声で話す。サンクトゥスは、軽く拍手をして、

「フムフム。女の武器はそうやって使うのね。見習わなきゃ」

 と感心した様子である。

 黒羽は女の怖さを感じ身震いしたが、エメには感謝しなければならないだろう。これで、次の行動は決まった。

「レア、アクア・ポセイドラゴンがいるらしき場所まで案内頼めるかな。あのドラゴンは、俺を助けてくれたような気がするんだ。カリムと敵対している様子だったし、話を聞きに行こうと思う」

 頷いたレアに礼を言って、さっそく森に行こうとする黒羽。しかし、サンクトゥスが腕を掴み、進行を妨げる。見れば彼女は、黒羽の木刀を指差していた。

「置いていきなさい。そんなもの役に立ちはしないわ」

「そうかもしれないけど、俺、刀以外の武器使えないんだよ。フラデンにある武器屋にはないしさ」

「アラ。忘れたのかしら。私には変身能力があるのよ。刀には私がなるわ」

「え? あ、そうか。でも、日本刀をちゃんと見たことがないだろう。変身できるのか?」

「完全には無理ね。本当は刀の知識を学んだうえで、変身した方が確実なんだけど、あなたの家にある本は字が読めなかったし、仕方ないわ。あ、でも、木刀の形に似ているのは分かった。だったら、形はそれをベースに、あなたから話を聞いて再現するわ」

 生きている人(正確にはドラゴンだが)を、武器として使う。どんな感じがするのか、まるで見当も付かない黒羽は、酸っぱい梅干を食べた時のような渋い顔になる。

 サンクトゥスとレアは、そんな黒羽を見て盛大に笑う。

「フフフ。ほら、そんな顔していると、良い男が台無しよ」

「サンクトゥスさんの言う通りです。アハハ……って、え? 意外と人間の男性に興味がある? まずいです。やっぱりお母さんのアドバイスは正しいかも……」

 ニヤリと笑うサンクトゥスと苦い顔をするレア。

「オホン。アクア・ポセイドラゴンは前回遭遇したところから北の方にいるらしいです」

「北の方か。北の門と東の門、どっちから向かった方が近い?」

「うーん。大まかなところまでしか分かっていないので、はっきりとは断言できませんし、すでに移動している可能性もあります。でも、東の門から出た方が近いかも」

「そうか。じゃあ、近道しようか」

「近道って?」と首を傾げるレアに、黒羽は「これさ」と緑色の鍵を取り出した。

「これって確かトゥルーに渡る時に使っている鍵よね」

 人差し指で鍵をつつくサンクトゥスに頷き、黒羽はレアの方を振り向いて言った。

「なあ、どこか空き部屋ないかな?」

「部屋は空いてますよ。あ、もしかしてアレをするんですか?」

 ニヤリと笑い頷くと、レアも黒羽に釣られる形でイタズラ好きの五歳児のように笑った。

 二階に上がり、一番手前の部屋に入る一同。黒羽は彼女らの前に出ると、緑色の鍵を指差す。

「さて、注目。この鍵は異世界に渡る扉の出現と開錠に必須なアイテムだ。普段は南門の少し外れにある森の中を、出現ポイントとしている。でも、それは異世界の存在を知らない人に目撃されるのを防ぐためにそうしてるだけだ。本当はもっと便利なアイテムなんだよ」

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