第15話 第四章 契約②
翌朝。比嘉に店を任せた黒羽は、サンクトゥスと共にトゥルーへと旅立った。空は綿あめを千切って放り投げたように、沢山の雲が浮かんでおり、太陽の姿は隠れてばかりだ。
「さて、憩いの宿アルシェに行くんだったわね」
「ああ、何か進展があるかもしれないからな」
「その前に、少し良いかしら」
隣を歩いていたサンクトゥスは、前に出て黒羽についてくるように合図した。彼女に誘導されて森をしばらく歩いていると、コンテナが横に二つ並べられるほどの開けた場所に辿り着く。
「ちょうど良い場所があったわ。ちょっとわがままを言って良いかしら」
「わがまま?」
「私と模擬戦をしてほしい。理由は後で話すわ」
柔らかい朝日が足元の草を照らし、濃い森の匂いが立ち込める中、一人の人間と一匹のドラゴンとの間で、ピンと張り詰めた空気が満ちる。
「……分かった。どうしても戦う必要があるんだな」
「ええ、ごめんなさい。でも、やるからには本気で来なさい。兄さんほどでないにしろ、私も結構強いわよ」
腰から折れた刀に代わり持ってきた木刀を引き抜くと、黒羽は油断なく構えた。木刀を掴んだ瞬間から、頭と体を経営者の黒羽から剣士の黒羽へと切り替え終えている。闘志を心の底に深く沈め、適度に脱力しきった黒羽は、まさに達人と呼ぶにふさわしい剣士だ。
「凄い圧力。気を引き締めないとやばいわね」
拳を握りしめると、サンクトゥスはウロボロスを発動させた。純白の輝きは天女の羽衣のように、彼女の体からゆらりと立ち上る。魔力が頭のてっぺんから足のつま先に至るまで満ちて溶け込み、人の限界を超えた膂力を得る。
(来る)
黒羽は、一歩後ろに下がる。途端にサンクトゥスの蹴りが鼻先を僅かに掠めた。とても目で追えたものではない。地面が爆ぜたと思った瞬間には、目の前にいる。黒羽は目で追うのを止め、剣士としての直感に頼った。これまでの戦闘経験、血が滾るほどの闘志、そして生存本能。それらが混ざり合った時、人は驚異的な勘の良さを発揮する。
「やあ!」
蹴り、突き。サンクトゥスが抉るように繰り出す打撃技を、黒羽はすんでのところで躱す。風切り音が彼女の一撃の重さを伝え、心がざわめきそうになるが、呼吸を乱すマネはしない。
冷静に淡々と、体の反応に任せて攻撃を回避しつづける。
そればかりか
「フン」
反撃を開始した。
躱しざまに斬撃を放つ。
「なんて人……これならどうかしら」
「クソ、ちょこまかと」
どちらの攻撃も当たらず、一進一退の攻防が続く。
「……?」
瞬きすら許されない戦いのさなか、黒羽はとあることに気付いた。
(地面の爆ぜ方で位置を割り出せるかもしれない)
相変わらず彼女の姿は見えないが、地面が爆ぜた位置の直線上に攻撃が来る。
真正面の地面が爆ぜれば前から、真横の地面が爆ぜれば、横から攻撃されるのだ。
パターンが分かればどうということはない。黒羽は目を瞑ると、音がした方向に袈裟切りを仕掛けた。
「そんな! もう慣れたというの」
「喋っている場合か! そら」
袈裟切りが空を切ったのを見届けた瞬間、黒羽は流れるように足払いをかける。
「わ!」
倒れたサンクトゥスの喉元に、ピタリと木刀を突きつける。
サンクトゥスはポカンとした表情をしていたが、体を震わせると大声で笑い出した。
「アハハハハ、凄いわ。まさか負けるとは思わなかった」
「ウロボロスだっけ? 確かに凄いけど、君の動きはカリムと違って、あまりにも直線的すぎる。読むのは簡単だ」
「参ったわ。でも、自惚れないで。ウロボロスの濃度はまだまだ上がるわ。つまりもっと早く動けるってこと」
黒羽は、やれやれとため息を吐く。そんな様子を見て、さらに笑うサンクトゥスに黒羽は手を差し出した。
「ありがとう。うん……これほどの強さを得るためには、心技体の全てをかなり鍛え込まないと駄目なはず。合格よ」
「合格ってなんの話だ」
「あのね、提案があるの。あなた、川の水をどうにかしたいんでしょう」
「ああ」
「たぶんだけど、兄さんが一枚噛んでいる気がするのよ。あの強さ。いくらあなたでももう一度会えば、どうなるか分からない。そこでなんだけど、私と”異種契約”しない?」
仕事柄上、契約と言う言葉はよく聞くが、恐らく違うものだ。黒羽は、怪しげな商品を売りつけてくるセールスマンと接している時と同じ顔をする。
「ちょっと、何よ。話を詳しく聞く前に、そんな顔するのは感心しないわね」
「ごめん。で、異種契約って何だ?」
「読んで字のごとく、異なる種族同士が交わす契約のことよ。条件を提示して、互いに合意する。それ以降は、契約を破棄しない限りその条件に縛られる。これから私がしたい契約は、そういうものよ」
にわかには信じがたい話に、黒羽は面食らう。
「そんな契約が存在するのか?」
「ええ、あるわよ。この契約を用いれば、あなたに私のウロボロスを使わせることだって可能になる」
「は? 俺がウロボロスを使えるようになるだって? 冗談だろう」
「本当よ。あなたにはヒュ―ンがないから、ウロボロスを使っても魔力欠乏症になる心配はない。だから、使おうと思えば使えるはずよ」
先ほどの戦闘を思い出して、黒羽は身震いした。あの力があれば、カリムと渡り合うこともできるだろう。魔法を使えない黒羽としては、安全を確保するという意味でもありがたい申し出だ。しかし、
「嬉しい申し出だが、君に何の得があるんだ?」
サンクトゥスは黒羽を見つめ、ポツリと話し始めた。
「私はね、兄さんを止めたいの。あの人の憎悪は、自分でも歯止めが効かない状態だわ。人を恨んで、殺して。そんな悲しい生き方は、誰にとっても幸せな結果にならない。だからね、唯一の肉親である私が止めてあげるのよ。あなたには、その手伝いをしてほしいの」
「止めるって……もしかして、その、殺すとか」
「……それは分からない。できれば、生きてあの人には罪を償ってほしい。あ、でも安心して。殺しの手伝いをしろってわけじゃないの。あなたができる範囲で手を貸してくれればいいわ」
ずっと吹いていた風は止み、葉が鳴らす音さえ聞こえなくなった。静けさはまるで、二人を中心に森全体へと広がったようでさえある。
黒羽は悩む。多くのお客達と接してきたからこそ、人を見る目には自信がある。口元をきつく締め、思いつめたかのようなサンクトゥスの表情からは、兄を止めたいという気持ちが溢れ出ている。だが、ここで簡単に協力すると言っていいものかどうか。
サンクトゥスは、そんな黒羽の迷いが透けて見えているようだった。歩み寄ると、二本の指を立て微笑んだ。
「提示する条件は二つ。一つ目は契約者に危害を与えることは互いにしない。二つ目は互いができる範囲で助け合い、無理強いはしない。どうかしら? この条件なら安心でしょう」
「確かに随分とフェアな条件だな」
「でしょう。私は兄さんを止めたいから、協力者がほしい。あなたはウロボロスという力が手に入る。互いにメリットがあるわ。それにね……私はあなたのこと気に入ったの。何かに夢中になっている人ってとても好きよ」
熱湯をかけられたかのように顔が熱い。むずがゆく感じて、黒羽は頭を掻いた。
「契約か。……ん? 待てよ。契約を破ったらどうなるんだ?」
「さあ?」
「さあって」
「分からないわ。でも、誓いを破った契約者は消滅すると言われているわね」
随分と重いペナルティに、和やかな気持ちが薄氷を踏んでしまったかのように、あっさりと砕かれる。じんわりと滲む汗が、スーと背中から腰にかけて流れ、肌が粟立つ。
「おい。それは本当か?」
「ごめんなさい。私も初めて契約するし、はっきりと断言はできないわ。ただ、確かなことは、私が眠りに就く前の世界では、当たり前のように契約が行われていたということだけよ。契約をしたら分かるって、あの子達は言っていたけれど」
古いアルバムを眺めているような目で、サンクトゥスは遠くを眺めた。
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