第11話 第二章 ミステリアス・レディ②

 レアが慌ただしく立ち去ったのを見送ると、彼女は立ち上がって、ベッド脇にある窓を閉めた。緩やかに吹いていた風はガラスに阻まれ、月明かりを浴びて輝く黒髪がふわりと動きを止めた。

「ねえ、察しがついているかもしれないけれど、あのカリムという男もドラゴンよ。そして、私の兄さんなの」

 ついさっきまで頬を撫でていた風の代わりに、衝撃的な言葉が黒羽の鼓膜を震わせた。ウロボロスと変身能力の話を聞いた瞬間から、何となくカリムもドラゴンなのではと疑ってはいた。だが、まさか兄弟だとは……。

「そう……なんですか」

「この世界の人にとってドラゴンは尊敬と畏怖の対象なの。聖と悪、両方を感じさせる。まあ、私からすれば、人も変わらないと思うのだけれども。それはともかく、あの人と兄弟だと分かれば、レアちゃんが怯えるかもしれないから、秘密ね」

 彼女は形の良い唇に人差し指を当て、ウィンクをする。たったそれだけの動作を行っただけなのに、黒羽はドギマギとしてしまった。昔、強引に友人に連れられて入ったキャバクラで、同じ動作を女性にされて、ひどく緊張したことを思い出した。

「あら、お帰りレアちゃん。ありがとう。……さて、色々と聞きたいことはあるでしょうけど、次はあなた達の話を聞きたいわ。何でもいいから話して」

 部屋に入ってきたレアから受け取った水を飲み干すと、サンクトゥスはベッドに腰かけた。

「何でもって……まあ、とにかく私から話しますね。名前はレア・アルシェって言います。お母さんと一緒に……」

 レアと黒羽は自身の素性を話した。サンクトゥスは終始静かに聞いてはいたが、時に楽しそうに、時に嬉しそうに頷いた。一通り語り終えると、サンクトゥスは満足そうに微笑んだ。

「面白い。特に黒羽。あなたは別格ね。未知なる世界に飛び込むだけじゃなくて、まさか原料を仕入れて、お店で提供しちゃうなんて。アハハ、凄いわ」

「あの、そんなに笑わないでください。それより、どうして異世界の存在を知っているんですか?」

 足を組むと、サンクトゥスは言った。

「私があなたの世界の出身者だからよ」

「ハ?」

「だから、私は元々トゥルーにいたわけじゃなくて、あなたのいた世界から渡ってきたの」

 この女性は何度驚かせば気が済むのだろうか? いいややっぱり、冗談だろうと思い、黒羽はじっと彼女の顔を見つめるが、その表情からは何も読み取れなかった。

「あなたのいる世界。私は”始まりの世界”と呼んでいるけど、ドラゴンはそちらに住んでいた生き物よ。当時は、魔法を使える人々も魔法を使えない人々と共存していた。けど、もう一つの世界であるトゥルーが誕生して、魔法を使える人々とドラゴンは渡ってきたの。ようは、皆おんなじ世界のお仲間だったのよ」

 どう受け止めるべきだろうかと考えたが、真実だとはどうしても思えなかった。それはレアも同じだったようだ。二人はほぼ同じタイミングで笑った。

「そんな馬鹿な話。ありえないです。もう、よしてください」

「あら、本当の話なのに。笑うなんて失礼だわ」

 そっぽを向くサンクトゥス。大人な女性の雰囲気だった彼女が、今は幼い子供のようだ。予想外の反応に笑うのをやめ、サンクトゥスに問いかけた。

「あの、からかっているんじゃないんですか?」

「もう、違うったら。トゥルーがなぜ生まれたのかは私にも分からない。でも、私達ドラゴンはトゥルーに渡ることを決めた。魔法が使える人々がこちらに渡ってきたのは……理由は察しがつくけど、人じゃない私にははっきりとしたことは言えないわ。ともかく、ウソ言っても仕方ないでしょう。本当よ」

 念を押してくる彼女に、半信半疑だったが頷く黒羽。ふと、別の疑問が湧いたので、ついでとばかりに聞いてみることにした。

「あの、それいつの話ですか? 少なくとも、紀元前のような気がするけど」

「紀元前って?」

「うーん。なんていうか、一言で言ってしまえば、年の数え方かな。今は西暦二千年代だから、紀元前となると何千年、下手したら何万年前とかになるかもしれません」

「え? ってことはサンクトゥスさんって、何歳ですか?」

 照らし合わせたかのように、全員の動きが止まる。黒羽とレアの二人だけが、視線だけを動かして、サンクトゥスを見る。

 彼女は、鋭い視線で見つめ返してきた。

「……ドラゴンはね、長生きなのよ。人間と同じ感覚で生きているわけじゃないの。でもね、言っておくわ。私のこと、年寄り扱いしたら……食べるわよ」

 黒羽とレアの両名は、真心を込めて年寄り扱いしないことを誓った。

 ※

 うっそうと生い茂る森の中に入ると、膝の辺りまで生えているシダ植物がズボンに絡み付くので、黒羽はげんなりとした。それでも、何とか目的の場所に到達すると、ポケットから緑色の鍵を取り出して、空中に差した。すると、両開きのドアが出現し、黒羽は扉をくぐって、自身の世界へと帰還する。

 ※

 地下はトゥルーに渡った時と同じように、人工の光で照らされており、何も変わった様子はない。ただ一つ違うのは、光に照らされている人物が、一人ではなく二人であることだ。

「ここは?」

「お店の地下室です。僕は食材の運び出しを行うためにまたトゥルーに戻るので、あなたは二階に上がっていてください。あ、扉や窓には触れないで。警報装置が鳴ると厄介ですから」

 警報装置が何なのかは、長い間眠り続けたサンクトゥスには分からなかったが、面倒くさいものということは理解できた。彼女は言われた通り、二階に上がると、カウンター席に座り、黒羽が仕事を終えるのを待った。

「始まりの世界に行きたい」

 そう言って、サンクトゥスは黒羽に強引に付いてきた。

 好奇心というのもあるが、自身が眠っている間に世界はどう変わったのかを知りたかったのが理由の一つだ。両方の世界を行き来する黒羽の側にいれば、すぐに分かるだろう。

 そして、もう一つの理由が兄のことだ。きっと、兄は殺し損ねた黒羽にもう一度会いに来る。会って……彼の暴走を止めなければならない。

(フー、今から気合いを込めても意味はないわね。気軽にいきましょう。おや、この椅子面白いわ)

 座った椅子は、体の向きに合わせて共に回るただの回転椅子なのだが、彼女にとっては珍しいものだ。くるくると回る景色を楽しんでいると、ピタリと動きを止めた。

 カウンター席の真後ろはテーブル席を挟んで、窓が設置されている。

 美しい月が銀色の輝きを放ち、真っ暗な海が宝石を砕いてまぶしたように、月光を反射していて幻想的だ。

 海を見たのはいつのことだったか。悠久なる過去は、記憶の海の奥底に沈んで、細部までは思い出せそうにない。でも、兄と見たあの海の青さだけは、印象に残っている。

「兄さん……あなたはきっと純粋すぎたんだわ」

 呟いた声は、空気を僅かに振るわせただけで、また、沈黙が舞い降りた。

 眠りに就いた期間が長すぎて、沈黙には飽きてしまった。それどころか、恐怖すら感じさせる。けれども、独り言をこのまま続けるのも馬鹿みたいだ。

(暗くて寂しいわね)

 ――唐突に、自分を知る者がトゥルーでもこの世界でも、ほとんどいないことに気付き、淋しさが彼女の肩にのしかかった。気分を紛らわせるために、彼女は立ち上がり、カウンターの中に入る。左手にカウンター席、右手には大きな棚がある。棚の中には皿やコップが等間隔で並び、表面には指紋一つついていない。

 右から左へ視線を動かしていくと、棚の一角に写真が飾られているのが目に入る。

 恐らくは幼い頃の黒羽と高齢の男性が仲良く一緒に写っていた。

「ああ、それは僕の祖父ですよ」

 いつの間にか作業を終え、地下から上がってきたらしい黒羽が、カウンター越しにこちらを見ていた。内心、かなりビックリして心臓が高鳴っていたが、表面上は冷静さを装い、サンクトゥスは黒羽に笑いかけた。

「そうなの。優しそうな方ね」

「はい。とても優しくて、一本筋が通った人でした。もう三年前に亡くなってしまいましたけど」

「あら……ごめんなさい」

「良いんですよ。僕が喫茶店を始めようと思ったきっかけは祖父の影響なんです。祖父も喫茶店を経営してて、本当にカッコよくて自慢だったんです」

 よほど祖父を尊敬していたのだろう。そうでなければ、異世界に渡るほどの熱意を持って喫茶店を経営できるはずはない。出会ってそれほど時間が経っているわけではないが、この男は信頼ができるかもしれない、とサンクトゥスは思い始めていた。

「ねえ、明日は仕事なの? できれば、もう少しお話ししたいのだけれども」

「ええ、構いませんよ。……そうだ。コーヒーでも飲みながら、話しましょうか。ちょっと待っていてください」

 ――数分後、暖色系の蛍光灯が室内を照らす中、黒羽とサンクトゥスはコーヒーで喉を潤しながら、様々な話をした。

 初対面同士だったのに、昔からの知人と話をしているように居心地が良い。人と仲良くなるのは得意だが、こんな感覚は初めてでサンクトゥスは新鮮に感じた。

「アハハ、おかしい。あ、ねえ、そういば、どうしてこんな不思議な建物を手に入れることができたの? 異世界に渡るのは一般的ではないのでしょう」

「ええ、まあ。異世界がありますよ、なんて言ったら頭がおかしい人だと思われますよ。僕がこの建物を購入できたのは偶然です。……僕は、運命だと思っていますが」

「運命?」

「そう、運命です。僕が大学……知識を学ぶ施設に通っていた頃の話です。その時の僕は路頭に迷っていました」

 コーヒーカップの縁を指でなぞっていた黒羽は、目を瞑りコーヒーの匂いを嗅いだ。

「喫茶店を経営するのが昔からの夢で、当時の僕はお店として使うための建物を探していました。でも、見つからなくって本当に困っていたんです。そんな時に出会ったんですよ。あの妙な老人に……」

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