第10話 第二章 ミステリアス・レディ①

「ウゥゥ」

 重たい瞼が上がり、ぼやけた天井が見える。

(どこだここは……)

 何度か瞬きをして、意識が鮮明になるにつれて鼻を優しく刺激する花の香りで、フラデンにいることを黒羽は理解する。

「あ! 黒羽さん、大丈夫ですか?」

「レア……ここは?」

「宿の二階です。良かった」

 椅子に座っていたレアは、涙ぐんでしまった。

 黒羽はレアの頭をそっと撫で、上体を起こす。ベッドの傍にある窓は開いており、満天の夜空が輝いていた。

「なあ、俺はどれくらい眠っていた?」

「夕方から終わりの鐘が鳴る頃までです。ついさっき、教会が鐘を鳴らしてました」

 フラデンの人々は、教会が鳴らす鐘の音で時間を把握する。正確な時間は分からないが、少なくとも何日も眠っていたわけではない。あんなに酷い怪我だったのになぜと疑問に思い、黒羽は自分の体を触ると、どこにも傷がないことに気付く。

「魔法で治しました。魔力がすっからかんになるまで治癒魔法をかけたので大丈夫だと思いますけど、どこか痛いところはありますか?」

「いいや。むしろ前より調子が良いくらいだ。何度も回復魔法の世話になりっぱなしだな」

 照れくさそうに顔を伏せるレアの横で、黒羽は腕を動かしたり、首を動かしたりして、調子を確かめる。その時、風が窓から吹き、黒羽とレアの髪を揺らす。

「あ」

 そういえば、気を失う前に綺麗な女性がいたはずだと思い当たる。部屋を見渡してみるが、ベッド、椅子、テーブル、タンスなどの家具類があるばかりで、あの女性の姿は影も形もない。

「もしかして、黒髪の女性を探しているんですか?」

「ああ、そうだけど……どうしたんだレア?」

 膝の上に乗せた両手は拳を握り、レアの顔には不機嫌そうな表情が張り付いていた。

「……綺麗な人ですね」

「ああ、そうだな。なかなかお目にかかれない美人さんだ」

「くう。聞きたくない。私がもっと大人だったら。私にもっと胸があったら」

 悶えるレアに、戸惑う黒羽。なぜなのか分からないながらも、とりあえず宥めてみた。

「れ、レア? どうしたんだ。もしかして嫉妬しているのか。大丈夫だって、レアだって美人だよ」

「ほ、本当ですか。じゃあ、その、あの人と私、どっちとつ、付き……仲良くなりたいですか?」

「え? レアとは既に仲良いだろ」

 無自覚は恐るべきか。互いの意図はかみ合っていないのに、黒羽の一言は的確に少女の心を射抜く。

「ひ、卑怯です。絶対分かってないくせに」

「え?」

「フゥ。まあ、いいか。慌てることはありません。それより、黒髪の女性でしたら一階にいますよ。会いに行くんでしょう」

「ああ。おっと、大丈夫だよ。一人で立ち上がれるって」

「油断大敵です。本当なら、まだ眠っていないと駄目なんですから」

 レアの助けを借りながら、黒羽は部屋を出て階段を降りる。一階は酒場だ。教会の関係者や朝が早い商人達ならいざ知らず、宿泊予定の旅人達はこれからどんちゃん騒ぎのはずである。だが、一向に活気のある笑い声が聞こえてくる様子はなかった。

 眉をひそめ、一階に到着すると原因は一目瞭然だった。

 階段のすぐ近くの席に、雪のように儚くて白い肌の黒髪女性が座っていた。本人は何をするでもなく、ただ大人しくお茶をすすっているだけだったが、周りの人々は騒ぐのを忘れるほど彼女に注目していた。黒羽も宿の客と同じように、数瞬見とれていたが、黒髪の女性がこちらに気付くと、手を振ってきたので軽く会釈した。

「目が覚めたのね」

「おかげさまで」

 黒髪女性は黒羽とレアに椅子へ座るように促した。

「その子にお礼は言った? まだなら言った方がいいわ。あなたが気絶した後、すぐに彼女が自警団を連れてきたおかげで、ここまで運んでこれたんだから」

「そうなのか。レア、改めてお礼を言わせてくれ。ありがとう。君のおかげで命拾いしたよ」

 俯くレアに頭を下げる黒羽。黒髪女性はそんな二人を見て、ニコリと微笑みながらどこか遠い目をしていたが、頭を振ると、黒羽に問いかけた。

「名前はなんていうの?」

「黒羽秋仁です」

「変わった名前ね。私はサンクトゥスという名前だけど、呼びにくかったら好きに呼んでいいわ」

 彼女は椅子から立ち上がると、黒羽の顔を近くから眺める。

「具合は良さそう。フーン。やっぱりね。あなた、異世界人でしょう?」


 ――黒羽は頭が真っ白になった。この女性は一体何を言ったのだろうか?


「えっと、あの」

「その様子だと当たりね。フフフ、随分久しぶりにあっちの世界の、ってちょっと」

 サンクトゥスの手を掴み、黒羽は二階へ全力疾走した。焦りのせいで、まともに思考が働かず、全身から不快な汗が噴き出る。

 黒羽は自身が先ほどまで眠っていた部屋に入ると、ドアを勢いよく閉めた。

「あら、大胆ね」

「違います。そんなつもりじゃなくて、どうして異世界人だと」

「ウロボロスを発動した私に触れて無事だったからよ」

「ウロボロス?」

 遅れてやってきたレアが、ドアを閉めるのを待って、サンクトゥスは説明を始めた。

「ウロボロスはドラゴンだけが使える魔力よ。人間だけが扱える魔力はヒュ―ンというわね」

「ええ! そ、それじゃあ、あなたはドラゴンなんですか?」

「そうよ、お嬢さん。あら、そんなに怯えないで。別に取って食いやしないわ。自分でいうのも恥ずかしいのだけれども、良いドラゴンよ。私は」

(ドラゴン……ねえ。小学生の頃に遊んだゲームにはよく登場したけど)

 嘘臭いと言いたいところだが、剣から人の形に変化したのだから、この際正体がドラゴンでも驚きはしない。むしろ、トゥルーらしいと黒羽は納得さえしていた。

「ウロボロスは身体強化の力があるの。ドラゴンっていっても様々だけれども、基本的に身体が大きな個体が多い。そんなドラゴンが、俊敏に体を動かすためにはウロボロスが必要なの」

「あなたは体の小さな個体ということでしょうか?」

「いいえ。本来の私は体が大きいわ。でも、私はウロボロスとは別に変身能力があるの。ほら、人といっても、運動が得意な人もいれば、手先が器用な人もいる。つまりは個性があるでしょう。ドラゴンも同じ。個体ごとに特殊な能力を持っているの」

 一度言葉を切ると、彼女はレアの方を向き、人差し指を立てた。

「さて、そこのお嬢さん。人はドラゴンには絶対に勝てないと言われている。そうよね?」

「はい。私達人間ではドラゴンに手も足も出ません」

 黒羽は疑問に思った。ドラゴンは頑丈そうだが、魔法で攻撃をしたら勝てるのではないだろうか?

「フフフ。不思議がってるわね黒羽秋仁。確かに魔法は素晴らしい力だわ。でも、ウロボロスとは相性が悪いの」

「相性?」

「水と油の関係です。黒羽さん」と今度はレアが説明をしてくれる。

「黒羽さんもご存じのように、水と油は混ざりません。それと同じように、ヒュ―ンとウロボロスは混ざり合わない関係なんです。人は体内のヒュ―ンを別の性質に変化させて、魔法という現象を発生させます。ですが、基はヒュ―ンであり、常にウロボロスを体中に巡らせているドラゴンに魔法を放っても、弾かれてしまいます。そして、物理攻撃も硬い鱗で無効化される」

「だから、ドラゴンは最強ってわけか。あ、そうか。剣を振った時の光。あれが、ウロボロスの光なのか」

 物分かりの良い生徒を褒める先生のように、サンクトゥスは微笑んだ。学生の頃に戻ったような気がして、黒羽としては少し照れくさい。

「そうよ。白い光は私のウロボロスの光。あなたは確かにあの時、その光に触れた。けど、魔力欠乏症にならなかった。それってつまり、魔力がないってことだから、トゥルーの人ではありえない」

 今日は未知なる言葉によく悩まされる日だ、と黒羽は思った。人差し指で、こめかみをトントンと叩くと、レアの方を向いた。

 レアは待ってましたと言わんばかりに、得意げに話し出した。

「魔力の量に個人差はあれど、トゥルーに住む人々でしたら、必ずヒュ―ンは体内を駆け巡っています。このヒュ―ンの濃度が著しく低下すると、魔力欠乏症となり、めまいを起こしたり、気を失ったりするんですよ」

 黒羽は二度ほど頷いた。つまり、ウロボロスはトゥルーの人々にとっては毒にも等しい魔力というわけだ。触れば、体内の魔力が消し飛んでしまう。

「ウロボロスという魔力は、今は発動していないんですか?」

「ええ。人に変身している状態なら、体を動かすのは筋力だけで事足りるから必要ないわ。……フゥ、話し疲れたわね。ごめんなさい。レアちゃん。お水持ってきてくれるかしら」

「あ、私ったら気が利かずに、すみません。今すぐ持ってきますね」

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