第3話 第一章 企業秘密の謎解きは開店後に②

 町の印象は一言でいえば、”楽園”と言ったところだ。ダムのように高い市壁に囲まれた町は、二階か三階建ての建物が並び、商人や旅人が至る所にいた。

 『花と笑顔が咲き乱れる町』と呼ばれるだけあって、鮮やかな花と心安らぐ緑の木々が、右を見ても左を見ても目に付くほど植えられており、淡い橙色の輝きが太陽に代わって、優しく人々と建物を包んでいる。この輝きは近くで見ると分かるが、ライト・フラワーと呼ばれる花の種子だ。町の景観はまさしく花の美しさを体現しているが、さて、これはどうしたことだろう。人々は笑顔どころか暗い沈んだ様子で歩いている。


 気のせいだと良いが、と思いつつ黒羽は歩き出し、やがて一軒の道具屋の前に到着した。南の大通りに面した老舗の道具屋『万能百貨店』のドアを開けると、所狭しと並べられた商品棚が出迎える。その奥に、店主であるアルバーノが居座るカウンターが見えた。

「こんばんは。アルバーノさん」

「ううん? おお、コイツは黒羽じゃねえか。お得意さんのご来店だ」

 つるりとした頭と人の良さそうな笑顔がトレードマークの店主が、手を振って答える。

「今日はどんな品を?」

「これです」と差し出された用紙に上から順に目線を動かしたアルバーノは、ピタリと動きを止める。その顔には苦い表情が広がっていた。

「おい、黒羽。すまねえな。ムーンドリップフラワーは品切れだ」

「そんな。ちょうど今ぐらいが旬のはずだ。前に聞いた時は沢山あるって言っていたじゃないですか」

「ああ、確かに言った。あの花はな、綺麗な川の水さえあれば、種子の状態から数時間で開花する。だから、馬鹿みたいに採取できるのさ……いつもならな。けど、ここ最近フラデン産の品は入手が難しくなってんだよ」

 その言葉は、意外だった。その他の地域の品が災害や戦争によって入手が難しくなるのは珍しくない。だが、フラデンの特に植物関連の品が途絶えることは、ここ何十年もないと聞いていたし、実際これまで入手できなかった物はなかったのだ。

「実はな。今プレンティファル一帯で、川の水が干上がるという現象が起きている。そいつのせいで、枯れちまってよ。ムーンドリップフラワーもおじゃんだ」

 足がわずかに震えて目眩もした。最悪もいいところである。ムーンドリップフラワーは夏季限定メニュー全てに使用するキー食材だ。今更他の食材に変更などできないし、何より喫茶店の経営者としてのこだわりが妥協を許さない。

「……解決策はないんですか?」

「理由は分からんし、解決策はない。あるんだったら、今頃町の連中があんなに落ち込むこともなかったさ」

 下を向いて歩く若い男。頭を乱暴に掻いて苛立っている中年の女。町にいた人々の顔が思い浮かぶ。あれは、そういう理由が、と思い当たると同時に他人事でなくなってしまった事実が黒羽に重くのしかかる。

「ムーンドリップフラワーは他の地域でも自生しているが、どうだかな。……あ、そうだ。組合に行って聞いてみたらどうだ」

「組合?」

「おう。まあ、簡単に言えばここのトップだな。フラデンの貿易や政治全てを統制している団体さ。フラデンで商売をするんなら、まずあいつらから許可証をもらってからじゃないと駄目なんだよ」

「なるほど。では、組合ならムーンドリップフラワーを入手しているかもしれないってことですね」

「おうよ。紹介状を書いてやる。これもって連中の受付に渡しな。残りの品はいつ受け取る? え、明日? 分かったよ。それまでには用意しておく」

 礼を言い、黒羽は店を出る。いつもなら夜も遅いので帰るところだが、明日は休業日だ。一刻も早く、入手するためにも今日は宿に泊まることにする。


 場所は万能百貨店の向かいにある『憩いの宿アルシェ』

 茶色のレンガが印象的な宿の入り口に近づくと、恐らく客だろう。沢山の笑い声が聞こえてきた。

 ドアの取っ手を掴んで押す。料理の美味しそうな匂いと共に黒羽の瞳に映った景色は、案の定、頬を真っ赤にした酔っぱらい達がテーブルを囲んでいる姿だった。肌の色も着ている服も異なる客達の間を縫うように進み、やっとの思いで黒羽はカウンターに到着する。室内を照らすライト・フラワーの光を受けて輝く皿を丁寧に拭く女性に声をかけた。

「夜分遅くにすいませんエメさん。部屋空いていますか?」

「あら、黒羽さん。お泊りなんて珍しいですね。レア! 黒羽さんが来てくれたわよ」

「ええー! あ、本当だ! こんばんは、黒羽さん」

 カウンターから最も離れた席にいる客に料理を配膳していた少女が、元気よく駆けてくる。明るめの金髪を長く伸ばし、笑うと可愛らしいえくぼと大きな青い目が特徴的な彼女は、レア・アルシェという。憩いの宿アルシェの経営者エメ・アルシェの娘で、いわゆる看板娘として近所でも評判な子だ。

「こんばんは。相変わらず元気だね」

「そ、そうですか? ヘヘヘ、私それくらいしか取り柄ないから」

 心の底から笑っているレアを見ていると、沈んだ気持ちが少しだけ輝きを取り戻すのを実感する。

「そんなことはない。手先だって器用だし、沢山の男を虜にするくらい可愛いじゃないか。聞いたよ。また、ラブレターもらったんだって?」

 嬉しそうな表情だったレアは、どことなく残念そうな様子に変化する。

「別に私は、ラブレターなんかいりません」

「どうして?」

「どうしてって……本当に理由が分かりませんか?」

 期待するような眼差しを向けてくるレアを見て、黒羽は考える。この様子だと、自分はどうやら答えを知っているらしい。だが、どれほど記憶を頭の中から引っぱりだしてきても、答えらしいものは思い浮かばなかった。

「ごめん。分かんないよ」

「あらあら、レア。あなたアピールが足りないんじゃないの?」

 おかしい。口調はレアを責めている。だが、非難の対象は自分だ、と黒羽は思った。なぜならエメは微笑んでいるが、冷ややかな光を宿した視線を黒羽にグサリと突き刺しているからだ。

「……あの、僕は何か失礼なことをしたでしょうか?」

「いいえいいえ、何にも。ただ、黒羽さんはもう少し女性の気持ちを察することができるようになると、男性としての魅力がさらに増すでしょうね」

 痛い指摘だが、なぜそんなことを言われたのだろうと首を傾げる。ここが分からないところが、彼の残念なところだ。

「おい! 誰がこのクソ不味い飯を作ったのは」

 眉根を寄せ悩む黒羽の背後から、突如響きわたる怒号。

 声の主は、カウンターのすぐ真向かいにある席で食事をしていた旅装の中年男性だ。高々と掲げられたフォークの先端には、真っ黒い肉らしき塊が居心地悪そうに突き刺さっていた。

「あ、すいません。それ作ったの私です」

 頭を下げるレア。男はギラリと睨むと、唾を盛大に飛ばしながら、激しい怒りを彼女にぶつける。

「焦げてるぞ。それに残りの肉は生焼けだ。こんなものは料理とは言わねえ。お前に味覚はあるのか? あんまりなんじゃねえのかよ」

「申し訳ございません。取り替えます」

「いらねえよ。この宿は人から金をとっといて最低なサービスしかできないんだな」

「そんなこと……すいません。この宿は悪くないです。私が上手に作れなかったから」

 フランス人形のような可愛らしい顔立ちに先ほどのような陽気さはない。目には涙が浮かび、固く閉じた唇はかすかに震え、懸命に頭を下げていた。

 ちらりと黒羽はレアが作ったという料理を見る。

(これは……クレームを受けるのも仕方ないかな)と思う。しかし、一方で器用なのになぜか料理の腕前が一向に上達しない彼女が、母を手伝おうと懸命に作ったのが分かるだけに、今の姿は痛々しい。

 止めに入ろうかと黒羽が動こうとした時、男は何を思ったのか、ニヤリと笑い、大股で近づいて彼女の顔を手で掴んだ。

「そうか。そんなに悪いと思っているのか。じゃあ、お詫びとして、今夜相手してもらおうかな。なに、気持ち良い時間を互いに過ごすだけさ」

「あんた、良い度胸だね。娘に何かしよっていうなら」「その手を放してください」

 口調が変わるほどのエメの怒りが、瞬時に萎むほどの迫力。黒羽の言葉はあくまで丁寧だ。だが、鋭い切っ先を向けるかのような静かで冷たい視線が男のみならず、この場にいた人々の背筋を凍らせた。

「な、なんだよ。冗談だよ。ほら、放した」

「……女性にそんな接し方はやめてください。見ていると吐き気がします」

「悪かった。でも、なんだ。あんまりにも飯が不味かったからついカッとなっちまっただけで」

 わずかに目を細めると、黒羽はレアの手を握り、カウンターの中に入っていく。

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