第2話 第一章 企業秘密の謎解きは開店後に①

 『本日の営業は終了しました』の文字が表の黒板に書かれた店内には一人も客はおらず、太陽が日の入り間際なこともあって、暗さが昼の明るさとバトンタッチして居座っている。

「はあ、やっと終わった」

 疲れた様子で手に持ったモップを片付けた黒羽は、蛇口をひねり、コップに水をなみなみと満たして飲む。お世辞にも美味しいとは言えない水道水は、疲労と呼ばれるスパイスによって極上の美味に感じるから不思議である。口を拭い、厨房を出ると彼は歩きながらポケットから鈍色の鍵を取り出し、店奥にあるドアの鍵穴に鍵を差し込んだ。

 ドアの先は、さらに深い闇と石畳の階段。黒羽は、ライトも持たずに慎重に、けれども無駄なく淡々と降りていく。右手は壁のひんやりとした感触を感じ、足元はよく響く音を発する。やがて段差は消え失せ、平たいだけの場所に到着し、右手は空を切る。


 ――それは黒羽が地下に到着したことを告げる合図だ。


 空を泳ぐ右手はやがて明かりのスイッチを探し当てた。水底に沈む石のように重く地下に淀んでいた闇は、あっけないほど一瞬に消え去り、人工の光が勝ち誇ったかのように辺りを照らす。

「ッ」

 眩しさに一瞬、視界が奪われるが、すぐに目の前に鮮明さが蘇った。階段と同じように石で覆われた空間はテニスコートほどの広さがあるので、地下のわりには息苦しさは感じない。 

 黒羽は、正面に見える大きな鉄製の両開きのドアには目もくれず、右手にある木製のドアまで歩いた。軋む音と共にドアを開けた瞬間、鼻を刺激した匂いは様々だ。そこは、アナザーの売り上げを支える不思議な原材料が眠る倉庫で、三つのスチール棚と奥には業務用の冷蔵庫が二つ並んでいた。

(やれやれ、一人で店を回すのも楽じゃないな)

 数瞬、弱気になっていた自分に活を入れるために両頬を強めに叩くと、倉庫を歩き回り一つ一つ在庫をチェックしていく。

(ポロバードの爪が三つとクリムの種が二つ……とマジか、シャークミントは在庫切れしてるじゃないか)

 業界用語で食材を表しているのではない。しかし、こんな名前の食材はそもそも存在しない。

(こんなものだな。準備してすぐに行こう)

 倉庫を出て、彼は両開きのドアに向かう。無機質な鉄のすぐ横にある壁には、木製の細長い木箱がおいてある。黒羽は蓋を開けると、中に入っていた衣類を取り出し、着替え始めた。木綿の長ズボンに丈夫な革紐で前を閉じている半袖のシャツ。ここまではそこまで大きな違和感はない。だが、丈夫なレザーアマーを着込み、腰から日本刀をぶら下げているとしたらどうだろうか?

 傍から見ると、コスプレのように見える服装に着替え終えると、黒羽はとうとう両開きのドアの前に立つ。ポケットから取り出した緑色の鍵を手慣れた様子で鍵穴に差し込むと、カチリと音が鳴り、軋みながらもドアは外側に向けて開いた。


――広がる景色は本来、地下では決して見られないものだった。


 闇を纏う深い緑。そこは、うっそうと生い茂る森の真っただ中だ。日が完全に暮れていて、地下室から漏れ出る人工の光以外は何も輝くものはない。濃い森林と土の匂いが満ちており、時折葉を揺らす音が生き物の存在を告げる。

 黒羽は躊躇なく一歩を踏み出す。途端に、背後の扉は閉じて初めからなかったように消えてしまった。

(誰も見ていないな。良かった。目撃されたら説明できっこない)

 ホッと胸をなでおろし、転ばないように慎重に歩くと、やがて人が横に七人は並べる広い街道が現れた。緋色の石畳が月の光を浴びて、密かに自慢の色を自己主張している。黒羽は街道に入り、歩を進めた。今夜は銀の輝きがやけに眩く、明かりがなくても歩けそうだ。左右の木々は背が高く、根が幹に沿って板のように真上に飛び出していた。

「この根は……板根かな。夜に見るとドレスを着た女性に見えるな」

 暗い陰影が静かな舞踏会を連想させる。気まぐれに吹く風が、彼女らの枝を動かし、優雅な音楽を奏でているようだ。

 疲れた体に心地良くてそっと目を閉じる。


 ――だが、どこにでもいるものだ。不粋な輩というのは。


 黒羽は刀の柄を握る。異変を察知したからだ。風によって揺れる葉の音に交じって、力強い足音が聞こえてくる。その音は、徐々に近づき、濃厚な獣の臭いが漂ってきた。喉が渇き、心臓が獣の足音に同調するように高鳴ってくる。体の危険に対する素直な反応を、深呼吸をして強引に鎮める。

(来る!)

 黒羽は振り向きざま、一閃。刀を抜刀した。

「ギャア」と出鼻をくじかれた巨大なウサギは後じさりする。体長は二メートルほどで、額には鋭い角が見える。

 黒羽はするりと近づくと、ウサギの足元を真横に払う形で刀を振るう。しかし、動きは実に軽快であり、膝を少し掠めただけだ。

「グェェ」

 酔っぱらいのような頼りない鳴き声とは裏腹に、殺気を噴出させながら突っ込んでくる。

 躱せない。そう判断した黒羽は、一歩外側に踏み込むと、刀をウサギの角にぶつけた。鍔迫り合いを演じるのではない。そのまま勢いを後方へ受け流した。

 正面にいた獲物を屠ったつもりでいたウサギは、数瞬黒羽を見失う。

 彼はその隙を見逃すほど、素人ではなかった。

 ふわりと体が宙に浮きそうになるのをこらえ、地面を勢いよく蹴ると、がら空きの首に向けて刃を振り下ろす。

 確かな手応えの後に、血が勢いよく吹き出す。

「ギャアアア」

 絶叫する獣に黒羽は、躊躇なく刃を突き刺した。

 体を震わせた後、心臓を正確に貫かれた獣は倒れ、辺りは再び静寂を取り戻す。

 血ぶりをして、刀を鞘に納めてから、改めてウサギを見る。オーガラビットと呼ばれる魔物で、この地域ではメジャーな生き物だ。

(コイツは売れるな。やけに痩せぼそってるけど、一万バッレくらいでは売れるはずだ)

 一バッレは約一円に相当する。そして、バッレとはこの異世界で流通する通貨のことだ。

 異世界――そうここは、異世界『トゥルー』

 私達の世界とは異なり、科学ではなく魔法によって栄えた世界だ。神話で語られるような夢物語が現実として当たり前のように存在するこの世界において、オーガラビットのような魔物はもちろんのこと、ドラゴンや精霊もちゃんと息をして、暮らしているのだ。

 黒羽がいる場所は、トゥルーの中でも、森林地帯『プレンティファル』と呼ばれる地域で、豊かな自然と多様な種が生息している。熱帯で年中温暖なこの地域は、亜熱帯気候である沖縄よりも気温が高く、黒羽でさえ暑さに参ってしまいそうになる。

 ましてや、戦闘を終えたばかりなのだ。レザーアマーの中は、汗が洪水のようになっており、一刻も早く目的地である商業都市『フラデン』に向かいたいと黒羽が考えていた。が、

「……どうする? このデカブツを担ぐわけにはいかないし、置いていくのはちょっと」

 呟いたところで、周りは誰もいない。当然、声は闇に吸い込まれて終わりのはずだったが、「お困りかい?」と大きな声で答えが返ってきた。

「え、誰だ!」

「そんな驚かないで。ここですよ」

 辺りを見渡すと、少しずつこちらの方に近寄ってくる馬車の姿があった。

「あなたは?」

「僕は行商人のフーゴと言います。ビックリさせたのならすいませんね。コイツが何度も鳴くもんだから、何か異常があったのかなと思って」

 フーゴの足元には犬がいた。行商を営む者は危険から身を守るために、羊飼いのように犬を飼うという話を黒羽は聞いたことがある。馬車に先行していた犬が、戦っている姿でも見て、主に伝えのだろう。

「ええ、実はコイツに襲われて倒したのはいいものの、町に運ぶ手立てがなくて困っていたんです」

「なるほど。町ってのはフラデンのことですかな? だったらこの馬車に乗せても良いですよ。いいや、それよりも僕が買い取りましょうか。値段は……そうだな。この大きさだと、五千バッレくらいでどうです?」

 流石商人というべきか。黒羽の足元をみて、相場よりも随分安い金額を提示してくる。断って、町で馬車を借りてきてもいいが、血抜きの手間を考えると時間がかかって面倒だ。黒羽はわずかに悩んだ末、結局相手の交渉の上手さに脱帽し、苦笑いで答える。

「ええ、五千バッレで構いません。その代わり、馬車に乗せてくれませんか」

「もちろん構わないですよ。支払いは現金? それとも品物が良いかい?」

「現金でお願いします」

「はいよ。一、二の三、四と五、よし毎度。じゃあ、オーガラビットを乗せるのを手伝ってくれ」

 荷台に積み終えると、馬車は緩やかに進みだす。舗装された道のおかげで揺れは少なく、乗り心地は悪くない。車に比べるのは酷だが、歩くよりは早く進み御者台に備え付けられた光る鉱石がフラデンの市壁を照らすのにそう時間はかからなかった。

「着いたよ」

「お世話になりました。では、ここで失礼します」

 馬車から飛び降り、フーゴと別れると、黒羽はだるそうな様子の門番に挨拶をしてからフラデンの中に入る。

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