第107話「言霊というものをご存じですか」


 割れた障壁の欠片は、床に落ちた傍から霧散して消えて行く。

 そのままスケットンは右足を踏ん張り、シャフリヤールの首目がけ、魔剣の刃を振り上げる――が。

 ガキン、

 と、どこからか取り出した杖で阻まれた。

 シャフリヤールの細腕のどこにそんな腕力があったのか、スケットの一撃を彼は片腕で受け止めている。

 身体を強化する魔法か、それとも別のものなのか。まだ判断はつかないが、それならそれで構わない。動きが止められればそれで良い。


「主様っ」


 フランデレンが焦ったような声を上げ、剣を抜く。そしてスケットンの無防備な背中目がけて突き上げる。

 だが、それもまたガロの大鎌にとって阻まれた。


「ガロ……!」

「馬鹿はお前もやで、フラン。死んでまで何アホな事やっとるん」


 静かな声だった。

 茶化すような明るさも、わざとらしい賑やかさもなく、ただ諭すようにガロはフランデレンに言う。

 けれど―――――。

 その声は、悔しい、悲しい、そんな感情が混ざっていた。


「証明するんやろ。俺たちみたいな半端者だって生きていて良いんだって、結果で目に物見せてやるんだって、ずっと言うてたやないか。なのに……生きていて良いなんて欠片も思われへん事を、今、俺らはしとるんやで」

「……うふふ。どれだけ頑張っても、生きてて良いなんて誰も思ってはくれませんでしたわ。どっちつかずの化け物と蔑まれ、中途半端だと馬鹿にされ、やり返せば危険なんだと恐れられる。魔族も人間も何も変わらない。自分勝手で傲慢で大嫌い。憎くて、憎くて、たまらない」


 フランデレンはかぶりを振る。


「私たちは捨てられて、裏切られて死んだ。それを主様が救い上げて下さったのです」

「……ああ、それは、俺も感謝しとる。俺らの事を必要や言うてくれたのは、この人が初めてやった」

「ええ、ですから私は――――」

「……でもな、フラン。俺の――俺が知っとる灰狼の矜持は、それを許さへん」

「矜持――――」


 言い放つガロに、フランデレンは二の句を継げなかった。フランデレンは青ざめた顔のまま、目を伏せる。剣を握る手だけはそのままに、フランデレンが唇を噛むのが見えた。

 フランデレンの意識が、シャフリヤールと剣から離れる一瞬。ガロはそれを見逃さなかった。

 ガンッ、

 と乱暴な音を立てて、ガロは剣を叩き落とす。

 フランデレンはハッとして床に落ちた剣を拾おうとしたが、それよりもガロが早かった。床に落ちた剣を足でシェヘラザード達の方へ蹴り飛ばす。


「シェヘラザード!」


 スケットンが名を呼ぶのとシェヘラザードが駆け出すのは同時だった。

 ガラガラと音を立てて床を滑る剣をシェヘラザードはその勢いのまま拾い上げる。

 そのまま魔法を紡ぐと、剣とフランデレンの間にスウ、と繋がった光の線が現れた。

 魂の繋がりだ。

 それを見て、ティエリはトビアスに呼び掛け続ける。ナナシの拡声魔法はまだ効いたままだ。

 部屋の中にティエリの声がわんわん響く。だがもう、誰も耳を塞いだりはしなかった。


「トビアス! トビアス、起きて! 頑張って、負けないで! お願い――――“トビアス”!」


――――ひと際強く名を呼んだ時、フランデレンがガクリと膝をついた。

 同時に剣と繋がる光の線が強く輝き出す。フランデレンの魂がトビアスの身体から抜け出しているのだ。

 シャフリヤールは驚愕に目を見開く。


「馬鹿な、呼び掛けただけで、何故……」

「言霊というものをご存じですか」


 ナナシがぜいぜいと肩で息をしながら、シャフリヤールに向かってにこりと笑う。


「発した言葉は現実になる。それは夢や幻ではなく、我々魔法使いにとっては現実です。――魂に作用するのが魔力ならば、詠唱するように魔力に言葉を乗せれば良い」


 ナナシの言葉に、スケットンはだから拡声魔法なのか、と納得した。

 魔法使いが魔力を使う状態を、ナナシは拡声魔法によって強引に再現したのだ。


「何つー力技……」


 人の事など言えないくせに、スケットンは呟く。

 その声が聞こえたシェヘラザードも「そうね」とくすりと笑った。


「でも、本人に抵抗する意思がなければ成り立たないものだわ。ひ弱そうに見えて、トビアスはあれで案外、頑固なのよ?」

「そんな手で……ッ」


 蹲ったまま、フランデレンは悔しげに言う。魂が身体から急速に引っ張り出されていく影響だろう、立つ事すら出来なくなっているようだ。

 あとはガロに任せておけば良いだろう。

 スケットンはそう判断するとシャフリヤールに意識を戻した。相変わらず片腕でスケットンの魔剣を押しとどめているこの男は、苦虫を噛み潰した顔をしていた。


「…………本当に、厄介な」


 ぽつりと、そう呟く。

 それからシャフリヤールは月のような目でスケットンを睨むと、


「―――――“染まれスカディ”!」


 と、何らかの魔法を詠唱破棄し紡いだ。

 途端にスケットンの魔剣が、周囲のホムンクルスが、強く光り始める。

 ホムンクルスならば分かるが、何故この魔剣まで。スケットンがぎょっとしていると、その光は真っ直ぐに、ナナシに向かって集まって行く。

 魔王の記憶だ。

 最後の一かけらまで搾り取るかのように集められた光が、ナナシに吸い込まれる。ナナシはびくりと身体を強張らせると、ぐらりと前へと倒れ込んだ。

 ルーベンスが慌てナナシの身体を支える。


「ナナシ、ナナシ、おいっしっかりしたまえっ」

「…………」


 呼吸はしている。だが、ナナシは苦悶の表情を浮かべたまま、目を閉じていた。

 ルーベンスが呼びかけても反応はない――どうやら気を失っているようだ。

 スケットンはシャフリヤールに鋭い視線を向けると、彼はそれを鼻で笑った。ざまぁみろ、とでも言っている顔だ。

 

「――――てめぇ!」


 スケットンが低く唸り、力任せに魔剣を薙いでシャフリヤールを引き離し、流れるような動作でその腕を斬り飛ばす。


「――――ッ、あ、ああ、あああ、主様!? ああ、ああ、何て事……!」


 フランデレンの悲鳴が響く。その中で、スケットンはシェヘラザードの名を呼んだ。

 シェヘラザードは光の線――魂の動き。それを冷静に見定め、魂が離れる瞬間を見計らう。

 そしてそれ、、は来た。

 強い光が『トビアス』の身体から離れたタイミング。


「今よっ!」


 シェヘラザードは短く叫ぶ。スケットンは答える変わりに魔剣を振りかぶり、光の線を真っ二つに断ち切った。

 切られた光の線はしゅるしゅると、片方はトビアスの身体で、片方は剣へと吸い込まれ、やがて見えなくなる。

 するとトビアスの身体は糸の切れたマリオネットのように床に崩れ落ち、やがて、


「…………うう、おじょう、さま……」


 と、掠れるように声を出した。弱弱しく上げたその顔は、オルパス村の少年のそれであった。

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