第105話「言葉でぶん殴って起こしてやれ!」


 戦いの余波で切り裂かれた本の頁が空中を舞う。

 セピア混じりの白色の頁は、雪と表現するには少々色褪せ過ぎていた。

 シャフリヤールはそれをちらりと見上げ、呆れた様子で息を吐く。


「本を雑に扱うと、知識が頭から逃げ出しますよ」

「主様。逃げ出す頭がすでにありませんわ」

「ああ、それもそうか」

「それもそうか、じゃねぇ! ふざけ――――ンなッ!」


 スケットンが魔剣【竜殺し】を、シャフリヤールの脳天目がけ振り下ろす。

 だがそれは手前で、シャフリヤールが展開した魔法の障壁で阻まれた。

 魔力で形成された半透明の盾は無効化インヴァリットではないものの、破壊に特化した【竜殺し】を通さないほどの強度だ。【レベルドレイン体質】のナナシがいて、なおこれである。さすが四天王か、などとスケットンは心の中で独り言つ。


 だが効いていないわけではない。スケットンが魔剣を振り下ろした箇所は、僅かにヒビのようなものが入っている。力任せに殴り続ければ、その内障壁は割れるだろう。

 何より人数はこちらの方が多いのだ、一人でやるよりもそれは断然早い。

 スケットンが跳躍して後ろに下がると、入れ替わるように他の仲間の攻撃が向かう。それを見ながら、次に攻撃に入るタイミングを計算しつつ、スケットンはちらりとフランデレンを見た。


(――――しかし、あいつは動かねぇな)


 スケットンは、そこが少々疑問だった。

 障壁はあるものの、スケットンらの攻撃は彼女が盲目的に慕うシャフリヤールの直ぐ近くまで届いている。しかし、それにも関わらず隣に立つフランデレンは動こうとしないのだ。

 良く見れば、フランデレンの手は剣の柄には伸びているし、動こうと思えば動ける態勢を取っている。

 それなのにフランデレンは動かない。動こうとしない。

 最初はホムンクルスの記憶を滞りなくナナシに与えるためだと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。

 何故なのだろうかと理由を考えて、少ししてスケットンは思い至った。


(ああ、動かねぇんじゃなくて)


 恐らく『動けない、、、、』のが正解だ。

 何故ならば、フランデレンはまだトビアスの身体を乗っ取っていない。だからこそ屋敷で戦った時のように自由に動く事が出来ないのだろう。

 その状態で下手に動けば、奪い返されるのは目に見えて分かっている。

 故にフランデレンは安全な位置に立って、主へのスケットン達の不敬に対する怒りを堪え、待っているのだ。

 その身体が完全に自分のものになる時を。


――――トビアスさんが先です。まだ間に合う。


 スケットンの脳裏にナナシの言葉が蘇る。

 ああ、そうだなとスケットンは僅かな動作で頷いて、ティエリの方へ顔を向けた。


「ティエリ、何でも良いからトビアスに呼びかけろ!」

「トビアスに!? な、何でもって……」

「何でもいいさ。あいつ、まだ寝ぼけてるみてーだからよ、言葉でぶん殴って起こしてやれ!」

「ぶん殴れって、他に言い方あるんとちゃう?」

「ねーよ! これ以上に相応しい言葉があるかってんだ。なぁ、ティエリ!」


 スケットンがニカッと笑うと、ティエリは目を大きく見開いた。それから「はい!」と明るく晴れやかな声で力強く頷く。

 ティエリは「ぶん殴る……」と小さく呟くと、くっと顔を上げ、フランデレンの方を向いた。

 そしてまず練習のように「トビアス」と口だけ動かし名前を呼ぶ。

 その時、後ろの方キラキラとした光の粒子が、ティエリに向かって飛んできた。

 反射的にスケットンが後ろを向けば、ルーベンスに支えられたナナシが、その白い指先をティエリに向けている。

 ナナシはスケットンの視線に気が付くと、へらりと笑って見せた。


「ご安心を、無害です」

「脂汗かきながら何やってんだお前は、いいから休んでろ」

「何もしないというのもね。まぁ、ちょっとした後押しです」


 人差し指を立てて言うナナシ。彼女の隣で膝をついているルーベンスも「やれやれ」と言った様子で肩をすくめた。

 ナナシの言葉に、まったくこいつは、とスケットンは呆れながらもつられて笑ってしまう。

 さて、後押しとやらはどんなものなのだろうか。そう思いながらスケットンがティエリの方を見ると、ちょうど大きく息を吸っているところだった。


『 ト ビ ア ス ! 』


 その口から放たれたのは、竜の咆哮かと錯覚するような爆音だった。空気どころか地下全体がビリビリと揺れるほどだ。

 スケットン達はたまらず耳を塞ぐ。これにはシャフリヤール達も驚いたようで、同様に手で耳を塞いでいた。

 ちなみに一番驚いているのは声の主のティエリだが、何が起きたのか分からない様子で涙目になりながら周囲を見回している。

 元凶であるナナシだけは自慢げに笑って、


拡声魔法あとおしです!」

「限度があるわ! おのれは加減というものを知らねぇのか!」


 先ほど感じた若干の微笑ましい気持ちはどこへやら、スケットンは全力でツッコミを入れた。

 まったくこいつはと、真逆の感情を抱くスケットン。

 

―――しかし。


 その内容はともかくとして、ナナシの『後押し』は、ちゃんとその効果を発揮していた。


「―――――お、じょう、さ」


 一瞬の静けさの中で、その掠れた声は大きく聞こえた。

 弾かれたようにティエリがフランデレンの方を向く。


「トビアス!? トビアス、分かる!?」


 未だ拡声魔法の余韻が残る声量でティエリは『トビアス』に呼び掛け続ける。

 『トビアス』の顔が、体の中に居座り続けるフランデレンとせめぎ合うように、苦悶の表情を浮かべている。そして手の甲が骨の形が浮かぶほどに強く胸元を握りしめ、膝をついた。


「この……さっさと明け渡せば良いものを……!」


 それから顔をやや上げて、フランデレンはスケットンを睨む。


「……何故、あなたが他人のために動いているんですの」

「あん?」


 言葉の意図が分からずスケットンは若干首を傾げるが、フランデレンは言葉を続ける。


「他人の事なんて信じない、どうでも良い、他人に利用されるなんてまっぴらだ。それがあなたじゃありませんか、スケットン様。そんなあなたが何故、どうでも良い他人のために動いているんですの」


 射殺すように睨みながらフランデレンは言う。

 スケットンは「何だ、そんな事か」と呟いた。


「そんな事は知っている。この俺様の事だぜ、誰よりも知っているに決まってんだろ」


 スケットンは淡々と返す。以前ならば肯定せずに、へそ曲がりとでも言われそうな返答をしていた事だろう。

 だがスケットンは否定せず『そうだ』と頷いて見せた。 

 スケットンの両親は、彼らが信頼している者達に裏切られ、命を奪われた。その事をスケットンは大分後になって知ったのだ。

 両親は人に利用され、裏切られ、そして自分はずっと騙されていた。それを知った時に、スケットンはすべてがどうでも良くなった。

 だからスケットンは他人を信じない。利用されるのは吐き気がするほど嫌だ。


 そうやって生きて来て、スケットンは死んで、今こうしてスケルトンとして蘇った。

 最初は困惑したものものの、途中からはこの時間が、人間であった頃からのただの延長戦アディショナルタイムだとスケットンは思っていた。

 時間だけが進んだだけで、何の代わり映えもしない日常の延長。とりあえず生きてみて、満足したら消えれば良い。

 スケットンはそう思っていた。


 だけど、違うのだ。

 死者として蘇ったスケットンの人生は、ナナシから始まった。思えばあの時から、変化していたのだ。

 あのお人好しで、変わり者で、酷く寂しがり屋な勇者と不本意ながらも関わらざるを得なくなってから、時折スケットンは懐かしさを感じるようになった。

 それが何のなのかを理解するのに、そう時間はかからなかった。

 スケットンはナナシの後ろ姿に、自分の両親の姿を見た。

 そして忘れていた憧れを痛みと共に思い出したのだ。

 でも別に『だから』というわけではない。そんな事を言葉にすればこっ恥ずかしくて死んでしまう。

 元々捻くれていたスケットンだ、憧れを思い出したからとは言え、自分で変わろうなんて思ってもいない。


 だが、両親と良く似たナナシが隣にいると、自然とうつって、、、、しまうのだ。

 香り卵のように。


「話が違ぇってんなら、そこのぼっち勇者のせいだな。あいつドがつくくらいお人好しだから、仕方なくそうなったんだよ。文句があるならそっちに言ってくれや」

「今ぼっちって言いませんでした?」

「ツッコミはいいから君は休んでいたまえ!」

「ええー……」


 呆れたようにルーベンスに言われ、ナナシは口を尖らせる。 

 スケットンはケラケラと笑った。そしてそのまま、障壁目がけて飛び、振り下ろす。

 刃と障壁がぶつかり、バチバチと光が迸る。障壁のヒビが大きくなって初めて、シャフリヤールの表情が動く。


「……厄介な魔剣だ」

「魔剣よりてめぇの思考の方が厄介だよ」

「この! 主様に何て口を!」


 フランデレンが目を吊り上げてスケットンに怒鳴る。

 だがスケットンは素知らぬ顔で「おー怖」と茶化す。それから目だけをフランデレンに向けた。


「逆に聞くがよ、何でてめぇは他人のために動いてんだい?」


 スケットンがそう問うと、フランデレンは訝しむように目を細める。


「……物覚えが悪いんですわね。言ったでしょう? 私の全ては、主様のためにあるのですわ!」

「救って貰ったから?」

「ええ、ええ、そうですとも! あの地獄から救い上げて下さった主様のためならば、私は――――」


 当然だと声高らかに話すフランデレン。

 その言葉を遮るようにスケットンは、かつてしたのと同じ質問を、フランデレンに投げかけた。


「――――ならどうして、てめぇはあのデュラハンを痛め、、、、、、、、、、つけた、、、?」

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