第8話「この大地を照らす希望を胸に…」
—とある公園—
「……というわけなんだ。君にすぐにでも依頼を受けて欲しい」
「日をあらためて」
ともこは言った。
「どうして?」
依頼に来た男は首を傾げた。
「今は夏休みだから」
そう言ってともこは立ち去った。
—とあるコンビニ—
ともこは雑誌コーナーで週刊少年ジャンプを手に取った。約束のネバーランドを立ち読みしながら、主人公のエマについて考えていた。
エマのように、どんな状況でも前を向いて、みんなを励ませるような人に、何年後かはそんな自分になっていたいと思いながらページをめくっていた。
なんとなく周囲に視線をやる。夏の昼にコンビニに来る人間は、コンドームを買いに来た大学生カップルか、車の運転に疲れた営業マンぐらいしかいない。ともこは久しぶりに依頼も何も考えなくていい日が来たと思うと嬉しくなった。
「あの……」
ともこは店員に声をかけられた。
「すみません。立ち読みはご遠慮いただいております」
店員は気まずそうにともこを見つめていた。店員はともこの風体にどこか威圧感を感じて萎縮していた。昨今はどんな性質の客がいるかわからないので、少なくともともこが"ハズレの客"じゃないことを祈っている目をしている。
「……あの、すみません。これ買います」
恐縮したともこはレジへと向かった。
—とあるスタバ—
ジャンプを脇に抱えながら、注文の列を並んでいた。洒落た服を着ていた主婦の集団の注文が終わり、ともこの番だった。
ともこは俯きながらメニューを眺めていた。店員と目を合わせるのは何となく恥ずかしい。
はじめてスタバに訪れたともこはメニューの多さにたじろいでいた。クラスメイトがスタバに行って何を飲んだとかの話題が時々出るので、ともこも夏休みを機にスタバデビューしようと訪れたが、店の雰囲気に飲まれて、アウェーな心持ちになる。そういえば、いつか父さんが喫茶店で『れいこー』と注文していたことを思い出す。それを頼めばいい話だ。どの喫茶店でも『れいこー』はおいてあるとお父さんが言っていた。
「あれ? ともこじゃん」
店員に名指しで呼ばれたともこは肩をピクリとさせる。メニュー選びに時間がかかっているのを注意されるのかと思い視線が泳ぎまくる。
「こんなところで何してるの?」
よく聴くと聞いたことのある声だった。
店員の顔を見ると、千尋だった。
ともこは千尋がこんな洒落たところでアルバイトしていることに驚いたが、表情には出さず、額の冷や汗を拭って落ち着きを取り戻す。
スタバの制服をきている千尋を見るのは新鮮だった。
「千尋こそこんなところで何してるの?」
「私はバイトだよ。夏休みだし、社会経験でもしてみようと思って」
へぇとともこは感心した。私といえば夏休み中はほとんど素振りをしているか、夏休みの宿題をこなす日々だ。私も千尋のように外に出て何か新しい経験をしたり、経験値を積んだ方がいいのだろうかと思いつつ、
「…………」
ともこはじっと千尋を見た。
千尋はどこまでもマイペースなともこを心配しつつ、
「まあ、いいや。注文はどうする?」と訊ねた。
ともこは擬似餌にかかった魚のように、
「れいこー」
と言った。
「は?」
「れいこーにする」
「…………」
結局、ともこはれいこーを諦めて、千尋が勝手に持ってきたキャラメルマキアートを持たされた。後で聞いた話だと、れいこーはアイスコーヒーのことらしい。しかも、その単語を使うのは関西に住まわれるおじさまとおばさまぐらいらしい。
ともこは席についてキャラメルマキアートをすすり、ジャンプをペラペラめくっていると、携帯電話がなった。
「はい?」
「あの、なんでも事件を解決してくれる仕事人というのは君のことかい?」
ともこはため息をついた。今日はせっかくの休みなのに、こういう時にかぎってどうして仕事の電話がくるのか。
ともこは場所を指定して電話を切った。ともかく話だけは聞かないと、本当に緊急を要する依頼だったら、引き受けないと後味が悪くなる。
—とある公園—
「話って何?」
依頼人はともこの声に驚いた。
「まさか、君が噂の……」
「そう。はやく依頼内容を話してくれない?」
男はともこの語気にたじろぎながらも、一枚の名刺をともこに渡した。ソニーミュージックのマネージャーと書いてある。
「音楽レーベルの人が何のよう?」
「実は、欅坂46の握手会が今日と明日の午後5時に開演するんだ…
—その握手会に出る予定のメンバーの守川あいこに犯行予告してきた男が紛れている。その男からメンバーを守ってほしいとのこと。その犯行予告はファンレターの中に混ざっていた—
明日の握手会に参加予定だったともこはメンバーの名前を聞いて眉をつりあげる。まさか自分の推しが狙われているなんて。これは緊急事態だ。
「その犯行予告を見せて」
マネージャーはともこに一枚の手紙を渡した。
—刺し殺してやる—
と、一言だけ丁寧な字で書かれてあった。
「握手会の警備は厳重で金属探知機まであるんだから、ナイフなんて持ち込めるわけがない」と言ってマネージャーは険しい表情をする。
「だけど、万が一があってはいけない。だから、腕がいい仕事人って評判の君のところにきたんだ」
「私に頼るよりも、今日と明日の握手会は中止にした方が話は早い」
ともこはマネージャーに言うと、彼はとんでもないと首を横に振った。
「まさか、メンバー1人のために中止するなんて、この握手会に幾らの金がかかっていると思っているんだ? 中止すれば大損だよ。だから、君のところに頼みにきたんだよ」
ともこはマネージャーの言葉を聞いてため息をついた。
アイドルの危機管理を優先するべきなのになぜ金を優先させるのか。大人って本当はバカなのではないだろうかと思った。
「依頼金は高くつけておくから」
そう言ってともこは立ち去った。
—とある探偵事務所—
「今日中に用意してくれなんて無茶もいいところだよ。わたしだからこそ履歴書の束を手に入れることができたんだから、今回の仕事は高くつけとくからね」
ともこは探偵から履歴書を受け取った。
「で? 握手会の警備アルバイトの履歴書なんて何につかうの?」
「急いでるから後で」
ともこは履歴書を一枚ずつめくってゆくと、あっさりと探していた履歴書を見つけた。丁寧に顔写真までついている。
「山田実…」
ともこは名前と顔写真を記憶して、事務所から出て行った。
—インデックス大阪—
山田はチラチラと腕時計を見ながら、握手会が終わる時間を待っていた。もう2分もすれば終わる。それからは2人だけの時間だ。
警備アルバイトの面接はそこまで難しいことじゃない。あとは配置の問題だ。それに関しては指示役にとりいることができれば簡単だ。だから、俺はこうして守川あいこのレーンのはがし役につくことができている。
「お疲れ様でした」
最後の客が終わり、守川あいこはスクリーンで仕切られたバックヤードに戻った。山田も後に続こうとする。
夕暮れでオレンジに滲みかけている空が見えた。レーンの設置場所が屋外だったために、風に晒されながら、震える手でスーツの胸ポケットからバタフライナイフを取り出した。
……いくら参加したファンに金属探知機を通しても無駄なことだ。だが、警備として潜り込めば、そこを通る必要もない。山田は優しく微笑む。彼女を殺すことで、彼女の存在は永遠になる。そして僕も死ねば、彼女と二人きりだ。
山田は守川の背後に近づこうとすると、野球ボールが視界に入った。
「ん?」という間もなく視界がブラックアウトする。
—インテックス大阪—
翌日、ともこは列に並んで1時間ほど順番を待っていた。その場所から振り返り、ビルの方を見上げた。あの時、うまくボールを風に乗せることが出来てよかったとともこはホッと一息をついた。あの後、山田は気絶している間にナイフを取り上げられて、警察に突き出されたらしい。
「それで、なんで私まで握手会に付き合わされるのさ」
千尋が不満そうに漏らした。
「ひとりで推しに会うのは恥ずかしい」
「ともこって変なところあるよね」
「別に変じゃない」
「まあいいや。それより昨日の事件、犯人がよく特定できたよね」
「簡単だよ。手紙と同じ筆跡の履歴書を見つけただけ」
「なるほどねぇ」
話してる間にともこの番がきて守川あいこと対面した。
「来てくれてありがとう!」
ともこは何も言わずに彼女の手を握って通り過ぎた。5秒もないぐらいの間だが、推しと握手ができて満足していた。
……推しを助けることができてよかった。
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