本篇16、昔の敵は今も友

日本でもどこの国でも、その国独自の音楽というのは存在します。それは当たり前というか、必ずあることです。楽器を持たないウェッダ人でさえも、歌を歌って意志を伝えることはあるようです。日本の音楽は基本的に邦楽と呼ばれて、箏、三味線、尺八など、西洋にはない楽器が沢山ありますし、音名も覚え方も独自のやり方があります。

ところが、いつの間にか邦楽は、西洋の和声理論などを借りないと、覚えられないものになってしまっているようです。最近の邦楽作品は西洋音楽の調弦に置き換えても何も違和感のないものが多く、言ってみれば、西洋音楽を箏や尺八で演奏しているだけにすぎないという曲が数多いです。例えば、西洋でいうレに当たる音は、日本では壱越、ミに当たる音は平調、などそれぞれ名前がありますが、ほとんどの人はレ、ミと聞こえるのではないかと思います。

いつごろからそういう曲が増えてしまったのかは、私ははっきり知りません。宮城道雄や澤井忠夫が西洋音楽に近づけた重要人物になっていることは確かですが、二人の功績は、果たしてよいことだったのだろうか?と思うとそうでもないきがしてしまうのです。

確かに、日本は終戦後に急速に西洋化してしまった歴史がありますので、そこは仕方ないと思うんですが、例えば独立後、ちょっと逆戻りという考えはなかったんでしょうか。ドイツでは、急に発展しすぎたことで、かえってホロコーストを招いてしまい、深く反省した、という歴史があるようです。たぶんやりすぎを反省して、ちょっと退化しようと思ったんでしょう。ところが日本はそうではなくて、前に進み続けることしかしませんでした。それが結局、優れた文化も失うことになってしまったんじゃないか、と思います。邦楽もその一つでしょう。本来であれば、もう少し邦楽は堂々としてもよいと思うんですね。ですが、今では、西洋音楽の援助を受けて細々と活動するしかできません。

だから、このお話では、ノロが、「西洋音楽の助けは受けたくない」という台詞を口にするようにしました。今は、ほんの少ししか理解者もいないけど、やり方を変えないで、一生懸命やっていくぞ、という邦楽家も少なからずいます。そういう人は、寂しそうではあるけれど、どこか威厳があり、それでも生きていく、という姿勢を崩さないところが素晴らしいと思うのです。

このお話が、2018年に描かれた最後の長編小説でした。

後は、短編とスピンオフのみになっています。

長編を書いてみて、初めて文筆の面白さを知った気がしました。読んで下さった皆さん、本当にありがとう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る