鎮魂花

乙原海里

鎮魂花

 夏が終わる。八月はするりと抜け、九月がすこんと入り込む。着々と人生の岐路が近づく、高校三年の夏だ。

 受験の夏とはよく言ったものだが、一切の勉強という勉強を避けた夏だった。未来なんてクソ喰らえだ。そんな風に思っている自分が大学や専門学校、就職なんてしてもどうしようもないと思ったのだ。それでも親や担任は肩を叩いては進路の話をしてくる。

 さっさと決めろ、お前の道だろう。とは言ってくれない。精々、親からしてみれば早くどこかへ行って欲しいはずだし、学校は国公立大学合格者の数字しか見ていない。絶対にそうだ、とは言いきれないが、無言の圧力というものが世の中にはあるのだ。


 息が上がる。丘を駆け上がりたい気持ちだけが先行する。高校三年にもなって、こんな子どもの秘密基地のようなところに来るなんて。

 今日は今年最後の夏祭りだ。住んでいる地域で一番の規模を誇るこの祭りは最後に花火を打ち上げる。その花火が一番綺麗に見えるのがこの丘だ。会場からは少し離れているから喧騒から逃れることができ、程よい冷気が漂うここが昔から好きだった。

 去年までは同級生たちと来ていた。彼らは、今年は流石にやめておくよ、と言っていたが、恋人と祭り会場に行っているはずだ。高校生にもなれば腐れ縁などその程度で、自分だってそうしただろう。でも自分にはそんな相手はいない。だからこそ、自分はここに来たのだ。そんな面倒臭い人間関係から逃れたくて。


 自分たちだけが知っていると思っていた穴場には、既に先客がいた。そりゃそうだ。こんなに美しいのだから、誰かが知っていてもおかしくない。今の今まで誰にも会わなかったのが変だったのだ。

 闇夜に映える白のワンピース。傍らには虫かごと虫取り網があり、昔ながらの夏休みの過ごし方と言った感じだ。最近ではそんな子は見なかったのでなんだか懐かしい。昔はあいつとよく虫取りをしたなぁと思い出が流れ出していく。彼女にはそういう力があるのかもしれない、と思えてくる。会ったことも話したこともない人なのに、不思議と懐かしい。

 彼女の向こう側で、花火が上がり始めた。きらきらと夜空を彩るそれは、昔、鎮魂のためのものだったらしい。今では家族や恋人、友人らと見る娯楽になってしまったが、昔はどんな思いで空を見上げたのだろうか。

 僕はぼうと突っ立って花火を見ていた。田舎の花火大会と言ってしまえばそれまでの、この催し事はもう少しで終わりを迎えるのだろう。年々短くなっているように感じるのは、きっと純粋に楽しめなくなったからだ。

 くるり、と白が舞った。それが目の前にいた少女のワンピースだと気がつくのに少し時間がかかった。にっこりと笑みを浮かべた、なんてことない普通の少女だ。ワンピースに少し遅れて、肩までの髪の毛がふんわりと踊った。僕のことをじっと見ている。その純粋さに気圧されて、ごめん、邪魔だったよね、と僕が丘を下ろうとした時だった。

 まだ夏は終わってないよ、と彼女は歌うように言った。半ば泣きそうな顔だ。

 まだ夏は終わらないよ。だって、私の夏休みの課題は終わってないし、海にも行ってないし、かき氷だって食べてない。浴衣だって、私着てない。それに、私はまだ生きてる。死ぬはずだったのに。死んだはずなのに。

 ぽろり、と涙が落ちる向こう側で、満開の花が夜空で開いた。それは最早孔雀と言えるほど豪勢なものだったが、彼女はそれに背を向けて僕に言い放つ。まるで光の翼を背負っているみたいだ。しだれ柳のように光が垂れ、徐々に消えていく。ただの炎色反応だというのに、それは人々の心の中に灯火をつける。彼女にはなにも残せなかったようだが。

 ねえ、どうして私は生きてるの。彼女は呟いた。


 ふと、線香の匂いがした。そういえば、この丘は「桜の丘」だったと思い出した。目の前の少女はいなくなっていた。

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